深を知る雨
《13:15 廊下》
2階に戻った私は周りに誰もいないことを確認し、トイレで全身タイツを脱いで髪を整え廊下に出る。
と。出たところで見知らぬ隊員が静かに立っていたので結構驚いた。
何故かこっちをじっと見ているので一応会釈をして通り過ぎようとしたが、
「まったく…何をやっているんですか、あなたは」
何だか聞いたことのある口調で話し掛けられ足を止める。
「…ええっと…一也?」
「ええ、そうです」
「…そういえば変装能力も持ってたんだったね」
確か一也の変装能力はBランクレベル。Bランクレベルだと骨格まで変えられるらしい。見た目では全然一也だって分からない。
「忘れてたんですか?他人に成り済ましてあなたの様子を見に来ることなど造作無いことなんですよ」
「…うーわー…悪趣味な能力だなあ」
「おや、そう思います?便利ですけどね。今度泰久様の姿で抱いて差し上げましょうか?」
「え!?む、無理無理無理無理!恥ずかしい!」
「…恥ずかしい?」
「絶対泰久相手だと緊張する!」
「へぇ…僕相手だと恥ずかしくも何ともないってわけですか」
にこりと優しい笑顔を浮かべた一也は、
「ムカつくなぁ」
ぼそりと何かを言った。私の耳では聞き取れなかったが。
一也はたまにこうしてぼそぼそ何かを言う時があり、それが大抵独り言であることを私は知っているから、特にその内容は聞かずに別の話をする。
「私が止めようと思って行ったのに、結局助けられちゃった」
「あまり目立つ行動を取ることはおすすめしませんが」
「だからバレないように全身タイツ着用したんじゃん」
「あなたは少し馬鹿なところがあるんですね」
「ほんとはっきり言うよね!」
「あんなことをせずとも、あなたなら能力の使い方次第でどうにかできたんじゃないですか?」
一也は私に焼きそばパンを渡しながら呆れたように言ってくる。
おお、気が利くなぁ。昼休憩の時間をさっきのいざこざで結構使っちゃったし、食堂まで行って食べるのが億劫だと思っていたところだ。
「無理矢理止めてもまた別の場所で繰り返すかなって……説得しようと思ったんだよ」
「あの全身タイツでですか?」
「……分かったよ!そんなに不評ならもうやらないよ!!」
一也はふっと可笑しそうに笑った。
…一也が笑った、と思って思わずじっと見つめると、恥ずかしそうに顔を手で隠される。
「……何ですか、そんなに見て」
「いや、一也ってあんまりそういう風に笑うことないからさ」
「あなたの前では笑ってる方だと思いますけどね」
「うっそだあ。全くってわけじゃないけど、あんま笑ったとこ見ないよ?ちょっと大笑いしてみてよ」
「しろと言われてできるものでもないでしょう」
「最近あった最高に面白かった出来事を思い出すとか!」
「ありません」
「……最近嬉しかったことを思い出すとか?」
「特にありません」
「さ、最近ワクワクしたことを……」
「それこそありませんね」
「か、一也大丈夫?生きてて楽しい?」
変に心配になって問い掛けると、
「生まれてきて良かったと思う程のことが、今まで一度もないんですよ」
少し寂しい答えが返ってきた。
私は食べ終わった焼きそばパンの袋を投げ捨てる。すぐに掃除ロボがそれを回収した。
「生まれてきて良かったって思う程楽しいことが無いと、何も感じないってこと?」
「そうでしょうね。感度が悪いので」
「……ここの感度はいいのに?」
「ちょっ、と、どこ触ってんですか」
周囲に誰もいないことをさりげなく確認してから一也を壁へ追い詰め、まずは股間、その後その手を上昇させて腋の下に滑らせる。一也はちょっと焦った顔で私の手から逃れようとするが、それを無理矢理押さえ付けてくすぐった。
「んっ、あはっ、あははは!ちょ、やめ、」
「おー笑った笑った。新鮮」
「くすぐった、…んはっ」
苦しそうに笑う一也から漏れる声が徐々に色っぽいものへと変貌してゆき、……何故か彼の下半身が反応し始めたので動きを止めた。
「……こんなんでも勃つんだ。くすぐっただけなのに」
「…あなたがこちらに悪戯をしようという時の顔を見ると興奮するんです。そのうえ体を触られるとちょっと…」
「…え、何、悪戯されたいってこと?」
「…まあ、そうですね」
「えー何それ可愛い。一也ってばそんなに私に悪戯されるのが好きなの?」
「7つも年上の男に悪戯しようとする悪いあなたをどう罰しようかと想像するだけで全身がぞわぞわします」
思わず黙る。……一也ってたまにこういうこと言うよね……。
一也から手を離しすーっと距離を置いた私を見て、一也は面白そうに目を細め、
「僕が何かにワクワクする時があるのだとしたら、それはあなたのそういう反応を見た時でしょうね」
喜ぶべきなのかそうじゃないのか分からない言葉を吐くのだった。