深を知る雨
誰かの話
《23:00 マカオ》
通常軍の施設外へ出る時は外出許可が必要なのだが、彼はそんなものを取る必要が無かった。
男はSランク催眠能力者。上層部の無能力者を操ることなど簡単だ。
おまけに変装能力も持っているため、他人に成り済まして軍を出ることもできる。
男は寮で眠ると見せかけ国外へ出ることがしばしばあった。
行き先は美しい夜景の一部である、ある建物。
そこでは頻繁に人が死ぬ。
賭博に負けて高層ビルから飛び降りる人間が後を絶たない。
男の目の前で飛び降りていった人間もいる。
しかし、男はその様子を見て何か感じたことは無かった。
ただ気まぐれに下を見下ろし、見えなくなった人間の身体を視力検査でもしているような気持ちで探すだけだ。
男はある時から二十代前半の女だけは生かそうとするようになった。
飛び降りようとする女を止めるようになった。
ただで生かすわけではない。
顔を変えさせ、体を変えさせ、声を変えさせ、監禁する。
借金まみれの女は、管理人に生かしてもらう代わりに姿を変えられ自由を失う。
男が最上階の部屋に入ると、見張り役の男が縛られた女を見ながら魔羅を扱いているのがまず目に入った。
男は忌ま忌ましそうに舌打ちする。
「僕の女でマスこいてんじゃねぇよ」
「…えっ…あっ…すんません、…」
男が入ってきたことに気付いていなかった見張り役の男は、びくりと体を振るわせてすぐに手に持っていたものをズボンの中に仕舞う。
しかし男に慈悲はない。
「もうお前いらねぇから死ね」
「ッそんな、………――――分かりました。仰せのままに」
命乞いをしようとした見張り役の男は、しかし一瞬にして大人しくなり、真っ直ぐに部屋の窓まで歩を進めそこから下へと笑顔で飛び降りた。
―――これが男の催眠能力だった。
無能力者をいくらでも操ることができる。自殺させることだってできる。
彼に近付く無能力者は彼に命を握られているも同然だった。
男は静かになった部屋で縛り付けられた女を眺める。
“あの女性”と同じ顔、同じ体。
女の体には沢山の文字が刺青されている。男がそうするよう命じた。
性奴隷、雌犬、売女―――どれも普通の人間が見て気分の良くなるような言葉ではない。
彼女はもう壊れてしまっている。
あと数週間もすれば他の女と交代させられてしまうだろう。
男は壊れた女の体をじっと見つめた。それこそ恋人を見るかのように。
虚ろな瞳とボロボロの肌。“あの女性”の絶望した姿に男は胸を打たれずにはいられなかった。
「――――…愛しています……」
“あの女性”を壊す疑似体験こそが、唯一彼の感情を大きく動かす方法だった。