深を知る雨
2201.06.04
《12:50 軍事施設内》一也side
瀬戸川麻里が大中華帝国に無事入国したという報告が入ったのは昨夜だ。
僕たちには何もできないのが歯痒いが、今は信じて待つしかない。
何をする気も起きずグラウンドまでの道にある自販機で珈琲を買って開けていると、ふと向こうのベンチに顔見知りの女が座っていることに気付いた。
明るい茶色のショートヘアは遠くから見ても目立つ。
「何してんですか。こんな場所何もないでしょ」
珈琲を飲みながら話し掛けると、女――紺野司令官の娘は驚いたように顔を上げる。
「よく話し掛けられるわね……。あんただけよ?皆気ぃ使って話し掛けてこないもの」
「は?何故?」
「あー……そうね、あんたはどうでもいいわよね。薫のことなんて」
数秒考えて、そういえば大神薫はスパイだったのだということを思い出した。
彼は確か、敵国に逃げたのだったか。
「いや、大神薫のことが発覚してから何日経ってると思ってるんですか。さっさと立ち直った方がいいですよ」
「ッさいわね!薫とはちっちゃい頃からずっと友達だったの!そう簡単に忘れられると思う!?あんただって哀のこと忘れられないでしょ!?」
「哀花さんのことを今は無き者みたいに言わないでくれます?生きてますし、永遠に会えないとは限りませんし。……大神薫だってそうなんじゃないですか?」
「そりゃそうだけど。……薫は生きてるけど。でも、もう2度と会えないんだろうなって思うのよ」
「……」
まぁそうだろうなと言いかけて、我ながらその発言はさすがにデリカシーが無いと思い何とかギリギリで引っ込める。
「……北欧に、逃げとけって言われたの」
「はぁ」
「戦争が終わるまで北欧に逃げとけって。それが薫の望みなら、薫のあたしへの最後の頼みだったなら聞いてあげたい。でもこんな気持ちのまま1人北欧に向かうなんて無理」
戦争が始まるまであと1週間と無いだろう。
いつ始まるかも分からない状況だ。
だからこの女は焦ってこんなに思い詰めてるわけか。北欧へ行くか否か。
「そんな顔をするくらいなら、自分の気持ち圧し殺すのやめたらどうです?言うことを聞いてずっと同じ場所に留まっていられるような良い子ちゃんなら別ですけど、貴女そんな大人しい女じゃないですよね?辛そうな顔しながら強がったって見苦しいですよ」
軍事パレードの日、この女に言われたことをアレンジして返してやる。
「……あんた喧嘩売ってんの?」
「いいえ?ただ、ムカつかないのかと思いまして。勝手に何もかも抱えて、勝手にどこかへ行った勝手な男に。そんな男の言うことを聞いて大人しく北欧へ行く気ですか?因みに僕は哀花さんに対して、今すぐ引き摺り戻してケツ腫れるまでスパンキングしてやりたいと思うくらいにはムカついてます」
「それあんたの趣味でしょ……」
若干引いたような表情をした紺野楓は、しかし数秒後には真剣な表情に戻る。
「……あたしだって、ムカつく」
女とは思えない程低い声を出した紺野楓は、勢いよく立ち上がった。
「――ッ誰があんたの言うことなんて聞いてやるか!あたしのこと心配なら傍で見てろっつーのバ薫!少しくらい!少しくらい頼ってくれたってよかったのに!スパイになるほどの事情があるなら、言ってくれたらよかったのに!あたしだってあんたの力になりたかった!あんたを楽にしてあげたかった!……ッ大っ嫌い!!」
空に向かって叫び、涙を流す。
「あたしのこと置いてくあんたなんか大っ嫌い!」
溜めていたものを吐き出すように吠えた紺野楓は、涙を乱暴に拭いて僕を見た。
「――あんたの言う通りよ。あたしは大人しい女じゃない。あんな男の言うことなんか、聞いてやらない」
その誰をも狩ってしまいそうな強い瞳が、紺野司令官に似ていると初めて思った。
「薫サイドと戦ってやるわ。思いっきりね」
――――この日、日本帝国軍超能力部隊に、8年ぶりに正式な女性隊員が生まれた。
《12:50 軍事施設内》遊side
麻里からの連絡を待ちながらぶらぶらしていると、胸元に何かがぶつかってきた。
突然のことだったので少し驚いて見下げると、そこにいたのはSランクの雪乃嬢。
「あっ、す、すみません!!」
「……いや、俺も悪い。見えてなかったわ」
長い髪を珍しく1つに纏め、首にタオルを巻いている雪乃嬢は、どうやら随分走ってきたらしい。
「ジョギング趣味なん?意外やな」
俺から話題を振ったことに驚いたのか雪乃嬢は目をパチパチさせたが、少し遅れて返事してきた。
「……趣味というか、走ってると考え込まずに済むので……」
「ふぅん?」
目を細めて能力を発動させる。
[哀様がいなくなったのは、私のせいだ]
あー、なるほどなるほど。
この嬢ちゃんはそんなことで落ち込んどるわけね。
「んなことないんちゃうかなぁ」
「……ッえ!?」
「うん?」
「よ、よよよ読みました!?」
「うん」
笑顔であっさり答えてやると、雪乃嬢は警戒した様子で心臓の辺りを押さえて勢いよく後ずさる。
いや、俺は大脳の情報読んどるから心臓隠したところで意味ないんやけどなぁ。
「俺が口出すことちゃうかもしれんけど、哀ちゃんは多分、前から決めてたんやと思うで」
「……でも哀様は私のために、わざと大きな話題になるようなことをしたんです。兄様だって凄く悲しんでる。私はいつも哀様に頼ってばかりで、1人で何も解決することができなかったばかりか、哀様に多大な迷惑をかけてしまいました」
ああ。そういえば、一時期雪乃嬢の噂が隊内に広まっていた。
……なるほどなぁ。
哀ちゃんは話題作りも兼ねて、わざわざあんな派手なことをしたわけか。
「あの会場での哀様は悲しい目をしてました。まるで私たちと永遠に別れようとしてるみたいな目でした……。兄様と一緒に、何度か大中華帝国に行こうとしたんです。でも、ダメで。私には哀様が何を考えているのか分かりません。でも、もしかしたら、本当に私たちともう2度と会わないつもりなんじゃないかって……」
[哀様が男だろうが女だろうが、偽名だろうが本名だろうが、どれだけ私たちに嘘を吐いていようが――そんなことは関係ない。私は哀様に戻ってきてほしい。ありがとうって言いたい]
「大丈夫やって。会うことくらいいつかできるわ」
「……! ま、また読んだんですか!?」
「ごめんなぁ。よう知らん相手のことは読みとうなってまう性質やねん」
口先だけの謝罪を伝え、ちょうどいい位置にある雪乃嬢の頭をぽんと優しく叩いた。
……あいつが、こんな風に想ってくれとる子がおるってことに、気付いてくれたらええんやけどな。
「君はなーんも心配せんといつものように居り。その方が、あいつは救われるはずやから」
雪乃嬢は数秒ぽかんとして俺を見上げていたが、「……はい」と泣きそうな顔をして頷いた。