深を知る雨
2201.07.01 ③
《20:02 中央統括所》泰久side
「……どういう、ことですか」
自分の声が掠れているのが分かった。
「彼女は分身能力を持っている。あの時自爆したのが橘優香本人であるとは言い切れない」
「分身にあれだけの威力を持たせられるはずがありません」
「そうだな、普通では有り得ない。だが彼女ならどうだ?世界最強のSランク能力者であり、東洋の核とまで呼ばれた彼女なら」
……そうだ。何故忘れていた?
あの辺り一帯は大規模な超能力衝突で一瞬にして焼け野原になった。
優香も含めて、誰1人として死体を残していない。
いくら優香と言えど、死体解析の技術が発達している今、解析士の目を欺けるほど本人に似せた死体など作れないはずだ。
だからあの形で自爆したのか?死体が残らなくても不自然ではないように?
それに、大神たちから消えた橘優香に関する記憶。
優香が生きているとすれば、優香が哀花の正体を隠すために、哀花が超能力部隊に入る直前、隊員たちの記憶を消したとも考えられないか?
哀花の動きを見るためにわざと泳がせた?
ずっと――誰にも気付かれない形で、哀花の周囲を彷徨いてたっていうのか。
「彼女があの程度の超能力戦で死ぬものか。賭けてもいいさ。橘優香は生きている」
自信を持って笑う紺野司令を見て――これだけの条件が揃っていて、何故自分は今まで優香が生きている可能性を排除していたのかと不思議に思う程だった。
《12:00 大英帝国》楓side
「……楓、大丈夫か?」
もう数日戦いっぱなしだ。
戦闘慣れしていないあたしを後ろの里緒が心配するのも分かる。
……でも。
「この先に薫がいるかもしれない。あたしは、薫に会えるまで戦うわ」
自惚れかもしれないけど、もしあたしが戦闘員として戦っている姿を見れば、薫は自ら止めに来ると思ってる。
そこをぶん殴って連れ戻して、一緒に戦おうって言うのがあたしの目標だ。
「無理すんなよ。Aランクだからって酷使されてるけど、楓は人殺すの慣れてないだろ。訓練だってろくに受けてないのに、いきなり戦場は誰だって……」
あたしが戦場に立つことに反対らしい里緒は、珍しくあたしのことを心配してくれているらしい。
「ありがとう。でもあたし、実は殺人犯なのよね」
「……は?」
「人、殺したことあるの。個人的に」
向かってくる兵を吹き飛ばしながら、里緒にそう言って笑ってみせる。
「……だから、何人殺したって怖くない」
あの時からあたしは普通の人間なんかじゃない。
戦場で戦うことが汚れ仕事だと言うなら喜んで引き受ける。
最もあたしに適した仕事だと思うからね。
――正面から、物凄い勢いで血の矢が飛んできた。
風で弾き返せるものではなく、矢が肩を貫く。
「……ッ!」
まずい、この能力は。
咄嗟に後ろの里緒が通信機に向かって叫ぶ。
「こちら一班!ロイ・エディントンが現れました!」
あたしたちで勝てる相手じゃないし、救援を呼ぶしかない。懸命な判断だ。
……でも、救援が来るまで持つかどうか……。
ここは大英帝国だ。
だから予想できていなかったわけではないのだが、この戦争が始まってから1度も姿を見せてこなかったために油断していた。
「あれ?君と会うのは2回目だねー?」
濃い霧の中から、胡散臭い笑顔を浮かべたロイ・エディントンが現れる。
「そうね、マカオで会って以来だわ」
「君が超能力部隊の制服着てるってことはー、廃止されたんだ?女性禁制。ざーんねん。哀花ちゃんが自分の招いた結果をその目で見て苦しむ姿、もう見れないんだ」
「……は?」
「あれ?知らない?聞いてない?8年前情報を渡したのは哀花ちゃんだってハナシ」
「それは聞いたわ。でもどうしてあんたがそれを、」
「だって俺だもん」
「は?」
「哀花ちゃんから情報受け取った相手、俺だもん」
……あ。そうか。道理であの時、哀のことを知った風に言っていたわけだ。
この男はそんなに前から、哀のことを知っていたんだ。
「ほんと単純だよねー?ちょっとその有り余る劣等感を刺激して、上手い話を持ち込んでやればすぐ食い付いてさ。能力を求めるハイエナみたいで可愛かったなあ。どうしたって哀花ちゃんじゃ優香に勝てっこないのにね?夢見ちゃって。自分にもできるかもしれないと信じて届かぬ夢を追い求める凡人ほど愚かで可愛いモンはないよねー」
「……っあんたねぇ!」
「あれー?怒った?何で?哀花ちゃんは明らかに悪いことをしたのに、どうして君が俺に対して怒るの?」
この男が何のことを言っているのかは分からない。
でも、哀を馬鹿にしてるのは分かる。
――――何でそんな言い方するような男に、哀を馬鹿にされなきゃいけないの。
「友達だから!!哀が過去にどんな酷いことをしてようと――今の哀が酷い人間だとも、劣った人間だとも思わないからよ!!!!」
傷口を押さえながらそう叫べば、ロイ・エディントンが先程まで浮かべていた笑みをふっと消した。
つまらない生き物を、何の面白味もない玩具を見るような目で、あたしを見てきた。
「あっそ」
吐き捨てるように言ったロイ・エディントンは、能力で周りの死体から血を集め始める。
「じゃあもう君に用はないから、死んでくれる?」
本能的に身の危険を感じたが既に遅く、血がこちらへ向かってくる。
こんなの、あたしの風流操作でも里緒の念動力でもどうにもならない。
――――あ、あたし死ぬな。
まるで空から自分の様子を見ているような心地で、そう思った。
「…………ねー、それ何のつもりー?」
再びロイ・エディントンの声が耳に届いた時不思議に思った。あれ、あたし何で生きてるんだろうって。
次に、あたしを抱き止める温もりを感じた。
「君は顔が割れてるんだからさ、あんま表出てくんなって言ったよねー?それとも、同じ日本帝国人に同情しちゃった?困るなー、君には大英帝国軍の人間として働いてもらわなきゃいけないのに」
一体何の話だろう。
心なしか、前方にいる大英帝国軍の人間も、後方にいる日本帝国軍の人間も、ざわめき始めたように思う。
恐る恐る目を開けると、こちらに向かっていたはずの血液が全て固まっていた。
……この、能力。血流操作以外で、血液を固めることのできる能力は。
「おい、あの顔……」
「何であいつがここに……」
「――――死んだんじゃ、なかったのか?」
顔を、上に向ける。
そこにいたのは、予想もしていなかった人物だった。
「びっくりさせてごめんね……楓ちゃん」
こんな場所ですら柔らかく笑う、その男。
「……け、すけ……」
その名をうまく呼べない。
会いたくて会いたくて、死ぬほど会いたかった人なのに――視界が揺らいで、その姿をうまく捕らえられない。
「佳祐、佳祐……ッ!」
生きてる。ほんとにいる。ここにいる。
あたしは、夢でも見ているんだろうか。
「どうして日本帝国の暴れ馬がここに?」
「彼は裁かれたという報告があったはずだ」
「虚偽報告だったということか?」
「彼が死んだという情報すら日本帝国軍の罠だったと?」
「しかし彼は、こちら側の軍服を着ている」
早口の英語で聞き取りにくいが、大英帝国軍側が動揺しているのが分かる。
「大神佳祐?間違いないぞ」
「生きていたのか……?」
「今までどこで息を潜めていたんだ」
勿論、驚いているのは日本帝国側もだ。
だって佳祐は、軍事裁判で裁かれたはずなのだから。
「そこを退いてくれるー?2度は言わない」
「……この子はダメだ」
「はぁ?」
「この子には手を出すな」
佳祐のあたしを抱く力が強まると同時に、前方にいるロイ・エディントンが舌打ちをし、面倒そうに言った。
「つってますけど、どうしますー?ナディア元帥」
ナディア……大英帝国の元帥?この状況を聴いてるの?
『どういうつもりかしら、佳祐くん』
ザザッとノイズ音がした後、佳祐の耳元のスピーカーから声が流れた。
中年女性の声。おそらくナディア元帥だろう。
どういう事情があってのことだか知らないが、佳祐はどうやら大英帝国側にいるらしい。
……でも、あたしを助けてくれた。
「この子は弟の友人です……“日本帝国人だから”助けたわけじゃありません」
『あなたねえ、一応言っとくけど裏切り行為よ?8年前助けてあげたこと、忘れたのかしら』
「覚えてますよ、勿論……。あなたは命の恩人です。でも、ぼくにも譲れないものはあります」
通信機の向こうで、ナディア元帥が大きな溜め息を吐くのが分かった。
嫌な予感で胸が一杯になる。
「もう会話したって無駄ですよ、ナディア元帥。殺しちゃいましょう?」
語りかけるように言ったロイ・エディントンは、にやりと笑いこちらに向かって手を翳す。
今度は状態変化能力で防げないレベルの量を向かわせてくるつもりだ――そう思ったあたしは佳祐を庇うようにして前に立ったが、すぐに引き戻された。
浮遊感がしたかと思うとあたしの体は佳祐と一緒に浮いていて、――あたしたちがいた場所に入れ替わるようにして立ちはだかったのは、何とも頼もしい人物だった。
血と水がぶつかり合う。
この光景を見たのは2度目だ。
「……随分お早いご登場じゃーん?東洋の死神クン」
「生憎その呼ばれ方は嫌いなんだ。やめてくれるか?」
いや――違う。前とは違う。水の方が、勝ってる。
あの時以上のパワーが出ている。
「……っは、何、もしかして君怒ってる?さっきの会話聞いてたんだ」
ハッとして里緒の方を見ると、どうやら通信機の電源を入れたままだったようだ。
「あぁ、全部聞いた。お前が哀花を唆したこともな」
「“唆した”ぁー?成長させたと言ってほしいね。彼女は実の姉への憎しみに近い嫉妬心を糧に自己の能力を伸ばした人間だよ?俺はその手助けをしただけ」
「言いたいことはそれだけか?」
問いかける東宮泰久の声がこれまで聞いたこともないくらい低くて、ゾッとした。
「俺は後悔することが嫌いなんだ。したってどうにもならないからな。過去が変えられるわけじゃない。だが今に限っては、どうしようもなく後悔していることがある」
東洋の死神――一見そこまで残忍な人間には見えない男なのに、今はその呼び名が似合うと感じる。
「8年前、お前を確実に殺しておくべきだった。――お前がいるから哀花が泣くんだ」
その声には、明確な殺意が籠っていた。
ロイ・エディントンはぷっと吹き出し、馬鹿にするような視線を東宮泰久に送る。
「泣く?哀花ちゃんがそう簡単に君の前で泣くかなあ?君の前では優香のような強い存在でいたいと思ってる、哀花ちゃんが?」
まるで自分の方が哀のことを知っているとでも言いたげなロイ・エディントンに対し、東宮泰久は少し悲しげな声で返した。
「泣いていたさ。……ずっとな」
そして、目だけであたし達に合図を送る。――先に行けと。
ロイ・エディントンに対抗できるのは東宮泰久くらいしかいない。
それに……ここにいたらあたし達も巻き込まれる。
佳祐があたしを地上に降ろし、手を放した。
「じゃあね……楓ちゃん。もうあんまり、危険なことはしないでね。ぼくは、なかなか助けてあげられないから」
佳祐はこっちに来ないのと聞きたかった。
でもそれは、できなかった。
「楓ちゃんの顔が見れて良かった」
佳祐の顔を見て、我が儘を言ってはいけないと思った。
あたしは覚悟を決めて、里緒たちと共に走り出す。
佳祐と薫の無事を願いながら。