深を知る雨
2201.08.17
2201年
8月17日
戦争は、
急速に終結へと
向かい始めることになる
《21:00 ファーストフード店》遊side
毎日毎日敵国の捕虜と対話するストレスを発散させようと外へ出た俺は、誰もが行くようなファーストフード店で、誰もがそうそう見かけないような美しさを持つ女性と出会った。
その女は不意に現れて俺のテーブルの前に立った。
肩より少し長い程度の綺麗な黒髪と、少しの幼さを残す顔立ち。俺はこの女性と似た顔を、何度も見ていた。
心を読もうとしたが、無音だった。
「……優香さんですか?」
俺は会話もしたことのないはずのその女を知っていた。
「へぇ、よく分かったわね」
「写真を見たことがあるので。それに、哀ちゃんによう似てますしね」
簡単に答えれば、優香さんはふむと頷きながら俺の前の席に座った。その手にはこのファーストフード店で人気の抹茶ラテがあった。
「あんだけ隠そうとしとったわりに、あっさり俺の前に姿を見せるんですね」
「だって隠したって無駄じゃない。君は1番最初に気付いてたでしょ?あたしが生きてるってこと」
唇で弧を描く優香さんを見て、この人はあのチビだけじゃなく、その周りの動きも全て把握しているのだと悟った。
「まぁ、確かに1つの可能性として考えてましたけどね。死んだはずの千代さんが軍事パレードの前の日には当然のようにおったわけやし。あれあんたやろ?」
わざわざ姿を変えてまで俺たちに接触する必要性を感じられる人物を、俺はこの人以外に思い付かない。
「すごーい。正解。」
「で、何で俺に会いに来たんです?」
前置きは面倒なので単刀直入に聞いた。
パチパチ拍手してきていた優香さんは手を止め、頬杖をつく。
「君なら、あたしが気付いてほしくないことにもそろそろ気付いて嗅ぎ回ってくるんじゃないかと思ってね。探られるのも鬱陶しいし、先に教えておこうと思って」
「薫のことですか?」
「あー、やっぱ気付いちゃってるんだ?」
「……薫が一切表に出てこおへんことにも、あんたが関わっとるわけですか」
「まぁね。あたし、今は君たちから見れば敵国側にいるし」
薫は随分前に敵国に亡命した。
しかし、その後薫の目撃情報は一切ない。
敵国の人間すら、薫らしき人物を見ていない。
薫の目的が日本帝国を負かすことなら、目立つほどの活躍をしていてもいいはずであるのに、全く目撃されていないのは不自然だ。
「薫に何したんです?」
「やあね、怖い顔しないで?あの子が佳祐くんと会っちゃったら今度はずっと隠してたあたしたちの方に怒りの矛先が向くだろうし、戦力になるとはいえ面倒なことは避けたいから、“1人目”になってもらっただけよ。別に大英帝国軍の戦闘員として使わなくても、日本帝国軍の戦力を削いだという点で役には立ったしね」
人のことを道具のように言う優香さんに、底知れない不気味さを感じる。
それにしても1人目とはどういう意味だと眉を寄せると、質問する前に答えられた。
「ああ、殺したわけじゃないから安心して。ちゃんと北欧に置いてきたわ」
にこりと笑う優香さん。
どうやら生きてはいるらしいが、心を読めない以上信憑性がない。
「……あなたは、何でそっち側におるんですか?」
「超能力開発の進み具合からして、日本帝国が強大すぎる力を手にするであろうことは8年前から予想できていたわ。それじゃあ困るのよ。大国には程よく潰し合ってもらわないといけないのに」
……ああそうか、この人は。
「もう一度リセットさせたいの。崩壊の後にある混沌と、その後に造り上げられるであろうある種の平和が欲しい。それはきっとその場しのぎに過ぎないし、結局歴史は繰り返されることになるだろうけど……それはあたしたちが生きてるうちの話にはならない」
乱暴な手段を使って世界平和を望む破壊神なのだ。
となると、今この世界は――どこまでも、この人の意のままに。
「気っ持ち悪い女やな」
率直な感想を吐き出した。
感心を通り越して気持ちが悪い。
本当に人間なのかとすら思えてくる。
状況を把握し、予想し、自分の思い通りに動かす。
おそらくこの女は、今の戦況だって予想済みだったんだろう。――日本帝国は確実に、敗戦へ向かっている。
それも、国力の殆どを消耗した、最悪の形でだ。
罵倒したにも関わらずぷっと吹き出した優香さんは、ドリンクにストローを挿して俺を見た。
「そういうの何て言うか知ってる?同族嫌悪って言うのよ」
「一緒にせんといてくれはります?俺はあなたほど策略家やありません」
一見大英帝国にとって最悪の事態に見えたおよそ1か月前のロイ・エディントンの死も、この人にとっては戦場となった大英帝国本土に多大なダメージを与えたという意味で利益であったのだろう。
この人だけは敵に回したくない。
……いや、もう遅いか。
「もう一度聞きますけど、薫に何したんですか?」
「あら、薫くんだけじゃないわ。これからみんなにすることよ」
優香さんはクスクス笑いながら、今後の予定を――戦争が終わった後のことを、俺に話し始めた。
――――優香さんの計画の全てを聞いた時、俺は自分の耳を疑った。
聞きたいことは沢山あった。
反対したい気持ちもあった。
「……あんたはそれでええんか?」
でも1番最初に浮かんできたのは、この疑問だった。
「あら、あたしの話?変わってるわね。てっきりもっと気にすることがあると思ってたけど」
「ほんまにそれを実行するんやったら、あんたも哀ちゃんに――」
言いかけた言葉を最後まで言えなかった。
優香さんの瞳は決して揺らがない光を放っていた。
「それが1番の目的よ。あたしが、あの子の人生を狂わせてしまったから」
相手にどう思われようが相手に何をされようが、その相手のためになることを考える――俺には到底抱けない感情を、この女性は持っているのだ。
「これがあたしの、あたしなりの――あの子にあげられる最後のプレゼント」
優香さんは抹茶ラテの容器を振り、氷の音を楽しむ。
そして、黙っている俺に澄んだ瞳を向けた。
「何も文句を言わないのね。どうして?君もあの子が好きでしょう?」
どうやらそれもお見通しらしい。
しかし全てを聞いた今、俺に言えることはたった1つだ。
「諦めますよ。あなたの無条件の愛に敬意を表して」
――誰も、この人には勝てない。
「……でも、次にもし出会えたら、絶対に諦めません」
「へぇ?」
「奇跡が起きたら、それは運命やってことやろ?」
俺の答えが意外だったのか優香さんは数秒俺を凝視した後、クスリと機嫌良さそうに笑った。
「そうね。そうなれば、あたしの負けだわ」
それはまるで、妹の友人に満足したかのような、“姉”の表情だった。