深を知る雨
誰かの話
2201年
9月1日
日本帝国は
再び“敗戦国”となった。
戦犯たちは無罪を主張したが、
では誰が戦争を開始したのかという質問に
答えられなかった。
不思議なことに
日本帝国には他の敗戦国と違い、
戦争を開始した主犯がいなかった。
誰もが口を揃えて
「私は個人的に戦争に反対していた」
「反対していたが時代の流れに逆らえなかった」
と言った。
そんな曖昧な主張しかできなかった
日本帝国軍上層部は
1人残らず死刑となるはずだったが、
今回の戦争では
どの敗戦国でも死刑が行われなかった。
勝戦国において、
国際法は国家に対して適用されるものであり
個人に対して適用されるものではない
国家の行為である戦争の個人責任を問うことは
間違っている
という意見が大きかったからだ。
従って死刑は行われず、
代替の裁きとして行われたのは
敗戦国の軍人の“記憶消去”だった。
ナディア・モロニー含む多くの記憶消去能力者が
投入され、敗戦国の軍人の記憶は失われていった。
戦時における記憶、
特定の人間に関する記憶、
幼少の頃からの記憶
どういった記憶を消去するかは
個人個人に合わせて決定されたが、
中でも特に重要視されたのは
SランクNo.1である橘哀花に関する記憶だった。
《20:00 日本帝国》
「その子には、随分と時間をかけたんですね」
大英帝国上層部の男の1人が、長い時間眠る少女の前に立っていた女性――大英帝国軍元帥に対し、そう声を掛けた。
「ええ。この子は大中華帝国の戦争指導者であるし、1番力を入れないと。この子に関わった他の軍人からも、この子に関する記憶を奪っておくわ」
「さすが、徹底している。しかし嫌な時代ですな。世論のおかげで敵国の戦犯を殺すこともできないとは」
「前向きに考えなさい。Sランク能力者は国際的に見ても貴重よ。そう簡単に殺すのは勿体無いわ」
クスクス笑いながらそう返したナディア・モロニーは、記憶消去が完了した少女の額から手を放す。
「……さよなら。哀花」
呟いたその言葉は、誰の耳にも届くことはない。
橘優香が橘哀花に与えた最後のプレゼントは、
ハン・ジュノンへ与えたそれとは少し異なる、
全てを忘れた“新しい人生”だった。