深を知る雨
《22:15 Sランク寮》
端末を通してやり取りすりゃあいいのに、心配性な泰久は私の顔を見ないと気が済まないらしいから、こうしてわざわざ来ている。
先程まで小雪に抱かれておきながら何事も無かったようにSランク寮に近況報告に来た私は、いつものように「いつも通り」とだけ言って帰ろうとした。
しかし、泰久は疲れている今日に限って別の質問をしてくる。
「最近よく訓練の指示を任されるようになった。お前の仕業か?」
どうやら泰久は、最近隊長が方針を変えているのは私の指示だと思ってるらしい。
確かに提案したのは私だが、最終的な選択をしたのは隊長だ。
「えー知らない。隊長の気分じゃないの?」
泰久は私の答えに少々納得していない様子だが、しつこく聞いても私が本当のことを言わないことくらい分かっているらしく、私から視線を外した。
泰久が視線を落とした先にある本の表紙にはでかでかと『紅茶の極意』と書かれている。
「……最近紅茶にハマってんの?」
泰久は私の質問を耳にした途端ハッと息を呑み顔を上げ、真剣な声で聞き返してくる。
「何故それを?」
見りゃ分かるわ。
「……紅茶ねぇ、紅茶。私は自分で入れて飲んだりはしないかなぁ」
既に作られてるやつしか飲んだことない紅茶ド素人の私に対し、紅茶にハマってるらしい泰久は口元を緩めた。好きなことを話す時にする表情だ。
「紅茶は面白い。入れ方次第で味が変化するが、高価なものは渋くなりすぎない」
私には違いがよく分からないが、本を覗き込むと、色々な紅茶の写真が載っていた。何となく左下の写真を見ていると、「これが気になるのか?」と聞かれた。
「色が変わる紅茶だ。今度入れてやる」
変わらない無表情だが、ちょっと張り切ってるのが私には分かる。
「色が変わるってどういうこと?」
「最初は水色だが徐々に紫になり、レモン果汁を垂らすと桃色に変わる。だから“夜明けのハーブティー”とも呼ばれている。紫になるのは温度の変化によるものだが、桃色になるのは単純にレモン果汁で酸性に傾くためだ」
「へー、面白い!見てみたいかも」
「お前が見たいなら買っておこう」
泰久が今度こそ破顔一笑したので、その表情にきゅうっと胸が締め付けられるのを感じた。
泰久の笑顔を見ただけでテンションが上がってにやにやするのを見られたくなくて、「待ってるね!」とだけ言って部屋を出ようとする私に、「一也が呼んでいた。帰りに寄ってやってくれ」と泰久が言う。
「……はーい」
一也とはあれから……煙草の臭いについて指摘されてから、話していない。私が朝まで誰かといたことは薄々気付いてるはずなのに、何も言ってこないのが怖いところだ。今日はどんなお説教をされることやら……なんて脅えながら部屋を出た。
どうせ怒られるならさっさと怒られた方がいい!と覚悟を決めて一也の部屋に入ると、一也は存外優しい笑顔を浮かべて私を迎えてくれた。
「こんばんは。怪我の具合はどうですか?」
「あ……治ったよ。もう痕も残ってない」
「妙に早いですね」
「でしょ~?私、気付いてないだけで再生能力にも目覚めてたりして」
「それは困ります。そんなものに目覚めたらあなたはこれまで以上に無茶をしそうだ」
クスクス笑う一也を見て、もしかしてそんなに気にして無いのかも?と少し安心した。怒られないならその方がいい。
一也のベッドに座り、そのふかふかさを楽しんでいると、一也が私の正面に立った。
「最近寮に帰っていないようですね」
こちらを見下ろしてくる一也の雰囲気がいつもとは違う。
「あなたの隣の部屋の隊員を操って何日か見張りをさせていました。あなたは夜中に部屋を出てそのまま帰って来ず、起床時刻の前にEランク寮に戻ってきている。違いますか?」
「えぇ!?そこまでしてんの!?怖っ!」
「……」
一也は脅える私に苛立ったかのように無言で私の首筋に顔を埋め、そこに噛み付いた。
「……一也、痛い」
痛いからやめてくれという意味で言ったのに、噛む力をより強くされる。
いたたたたたあいたたたたたたた。
「今日も煙草の臭いがします。もしかして、先程まで一緒にいたんですか?相手はどこの馬の骨です?…まぁ、答えていただかなくともこちらで調べますが」
「…それはやめて」