深を知る雨
《4:30 軍施設外》
「ええとこがあるねん」と言って私を軍の施設のすぐ近くにある古びた店に連れてきた遊は、無遠慮にドアを開けて中に入った。
“たなべれすとらん”――外の看板にはそう書いてあった。こんな時刻に来ていいのか疑問に思うが、遊が慣れた様子で奥へと進むので私も後ろを付いていく。
お客さんは誰もいないし、電気も奥の方にしか付いていない。
と、その時。
「誰じゃ?こんな朝早くに」
80歳くらいのお婆さんが保湿化粧水らしき液体を顔に塗りながら奥から出てきた。
「千代さん、元旦やし特別サービスってことで今日くらいは営業してや」
「何だい、またお前か。まぁいいさ、元旦に1人は寂しいと思っていたところさ。……それにしても、お前に連れがいるとは珍しいね」
千代さんと呼ばれたお婆さんが私を一瞥する。品のある女性だ、と思った。
「今、“そんな歳になって化粧水か、見苦しいな”と思ったじゃろう。出て行け小娘が」
「ええええええ思ってません思ってません」
「女はいくつになっても女なんじゃ。若いもんにはスキンケアの重要性が分からんじゃろうがな!」
ほんとにそんなこと微塵も考えてなかったよ!?
「そんなことありませんって!私だってお風呂上がりに化粧水塗ることありますし!乾燥には弱いですし!」
「ふん、そんなことを言って内心馬鹿にしておるんじゃろう。自分の方が若いと」
「若いってそんなにいいことですか!?若い女には出せない魅力ってもんがあるんですよ!?私のストライクゾーンは5歳から90歳です!!」
「………ふん」
少し頬を染めて顔を逸らすお婆さんは、多分私より乙女な心をお持ちだと思う。
「この店はもう営業してないんだがね、特別につくってやるよ。わしんとこの料理はロボットに作らせるもんとはわけが違う。料理ってのは愛情で美味しくなるんだからね」
ヒッヒッヒッ……と毒キノコでも入れてきそうな笑い方をして奥へと戻るお婆さんは、この店で料理を作っている人らしい。
普段営業してないってことは、普通はもう食べられないってことだよね。
特別感にワクワクしながら、遊が座る席の向かい側に座る。
水は勝手に入れていいようなので自分で入れて運んだ。今時ロボットのいないレストランというのも珍しい。もう営業してないからかな?
「おもろいやろ、千代さん」
「…ここにはよく来てるの?」
「まぁこの店が潰れてなかった頃から来とるからな。今も食いたくなったら無理に開けてもらうねん」
遊は椅子に深く座り、無駄に色っぽい目付きで私に視線を向けた。
「さて、と。本題に入ろか、哀チャン」
「その呼び方やめてよ、気色悪い」
「女の子やねんからチャンやろ、チャン。なぁ哀ちゃん?」
「……」
「哀ちゃーん?」
「……」
「あーいーちゃーん?」
「馬鹿にしてるよね!?そうだよね!?」
「施設内やったら話しづらいと思って施設外に連れ出したんに、正体教えてくれへんの?」
「外だろうが内だろうが一緒です!正体も何も、私は私だし」
「じゃあ持っとる能力の種類全部教えて?」
「読心能力と精神感応能力!」
きっぱり言って水を飲もうとコップを手にした時、遊の手がコップを持つ私の手の上に重なる。指長いな、と感心した後遊の顔の方に視線を向けると、相変わらずの死んだ目が私を捕えていて。
「“設定”の話はしてないねん。それ以外にあるやろ、能力」
「……、」
「そっち教えて」
随分厄介な人間に興味を持たれてしまったものだ。探るのはやめろと言ったはずなのに……この男は私の言葉をちゃんと聞いていたのか?
「自分のされたくないことを他人にしちゃいけません、って習わなかった?遊だって知られたくないことあるよね?―――神戸の能力者育成所で何があったか、とか」
一瞬。遊が動揺した一瞬の隙に遊の手から逃れ、立ち上がって遊の首に手を伸ばし、そこに爪を立てる。
「あんまりしつこいようなら、遊のこと殺す覚悟はできてるよ」
殺人なんて爪があれば十分可能だ。
遊は微動だにせず私を見上げ、先程よりかは冷たい声で問うてくる。
「調べたんか」
「さぁ、どうだと思う?」
睨み合うように見つめ合う。
本当は調べてなどいないのだが、あの時の反応からして、能力者育成所という場所に遊が何か嫌な記憶を持っていることは確かだ。触れられたくないことだろうから触れないようにはしたかったが、そっちが遠慮しないならこっちも遠慮しない。
必要以上にこちらを探ってくるようならこっちだって探ってやる。