深を知る雨


 《10:30 Aランク寮》楓side


―――遊の機嫌がすこぶる悪い。朝帰ってきてから物凄く怖い顔をしている。

「……遊、何かあったの?」

聞きたいけど聞けない状況が続いていたが、ここに来て何とかその状況を打破できた。話し掛けたら怒鳴られそうな雰囲気だったから放っておくべきかどうか悩んだのだが、遊は存外あっさり答えてくれる。

「東宮に言われた。あのチビともう関わんなってな」
「…は?東宮ってあの東宮泰久?Sランクの?」
「やっぱ知り合いだったのか、あいつと底辺」

聞いていないようで聞いている薫が、ゲームをしながらぽつりと言う。

「あぁ、幼なじみらしいわ。それも相当可愛がっとんで、あれは」

吐き捨てるように言う遊は、やっぱりなかなか機嫌が悪い。


ていうか何でそんなこと言われたのかしら、と考えていると、呼び鈴が鳴った。

この寮に客なんて珍しいのでもしかしたら哀かもと思って外を確認せず玄関のドアを開けると、――そこには怖い顔をした男が立っていた。

怖い表情をしているわけではないのに見た目が怖い。

「上がらせてもらってもよろしいですか」
「はあ…。えーっと、すみません、誰ですか?」
「一ノ宮一也と申します。Aランクの皆様にお話が」

え、……え?名前しか知らないけど、一ノ宮一也って確かSランクじゃないの?何でSランク能力者がこっちの寮に?

「入りますね」
「ちょ、ちょっと!」

こちらはまだ許可していないというのにズカズカと中へ入ってきた一ノ宮一也は、躊躇うことなく居間へと向かう。あたしも慌ててその背中を追った。

居間には里緒がいる。知らない男が急に入ったらびっくりするだろう。

走って一ノ宮一也を追い越し、両手を広げてその前に立ちはだかった。

「待ちなさいよ!」
「何でしょう。退いてくれませんか、邪魔です」

邪魔っつったか。邪魔っつったかこいつ。

「勝手に上がってきて何その態度?」
「僕が急いでいるのが分かりませんか?融通のきかない方ですね」
「はぁ!?まずは用件を言いなさいよ、話はそれからよ」
「彼らと顔を合わせてから話します。退いてください」

にこりと笑って退けと言う一ノ宮一也は、何が何でも今すぐ薫たちと話したいらしい。

とりあえず里緒を上の階に移動させなくてはと考えていた時、

「Sランク様が何の用だぁ?」

居間から出てきたらしい薫の楽しげな声が後ろから聞こえてきた。

「東宮の次は一ノ宮か。今日はSランクとよう会うなぁ」

振り返ると、遊も出てきていた。里緒はその後ろに隠れるように立って一ノ宮一也に対し警戒心丸だしの目を向けている。

「哀様が高熱を出しました。お心当たりは?」

私を挟んで後ろの3人に問い掛ける一ノ宮一也は、少し苛立っているようにも見える。

哀が熱?

「…………あ」

――性別転換ドリンク。

あれ、使用した後に熱が出ることがあるって話じゃなかったかしら。

あたしの僅かな反応を見逃さなかったのか、一ノ宮一也はふう、と溜め息を吐いて言った。

「やはりあなた方が関係していると考えて間違いなさそうですね。本日はお願いをしに参りました。―――今後一切哀様とは関わらないで頂きたいのです。あなた方には見張りを付けさせ、見張りには少しでも彼に接触するようならば攻撃するよう催眠をかけておきます」

催眠て。あたしは軍人としてここにいるわけじゃないから知らないけど、催眠能力を持ってるってことなんだろうか。

あたし達に直接かけてこないってことは、あたし達には効かないのかしら。

「……どうして初対面のあんたにそんなこと言われなきゃいけないの?」

素朴な疑問を口にすると、目の前にいる一ノ宮一也が少し驚いたような顔で初めてちゃんとあたしの方を見た。

「あなたは彼に熱を出させたことに関して微塵も悪いとは思っていない、と?」
「その熱、多分すぐ下がるわよ。そういうもんだし。ていうかあんた、あたし達に因縁つけてあたし達とあいつを引き離したいだけじゃないの?」

急にやってきて何かと思えば、哀に熱が出たからもう関わるな?

それを決めるのは少なくとも第三者であるこの男ではないはずだ。

睨みつけるあたしを見下ろし、一ノ宮一也は感情の色の見えない眼を細めた。

「気のお強い方ですね。―――虐めたら愉しめそうだ」

ぞくり――室内は暖かいはずなのに、嫌な寒気がした。一歩。一ノ宮一也が一歩踏み出してあたしに近付く。その威圧感に少しも怯まないわけではないが、ここでビビる素振りを見せたら負けな気がする。

「偉そうな口を利きますが、あなたは哀様の何であるおつもりなのでしょうか?」
「……友達よ」
「ッハハ、友達ですか」

無表情だった一ノ宮一也が冷笑を漏らす。

「…何かおかしなこと言ったかしら」
「いえ。随分おこがましい考えをお持ちだなと。10年間ずっと彼を見てきた身として断言しましょう。彼は絶対にあなた方に気を許したりはしない」

そこまで言って、一ノ宮一也はあたしの後ろにいる3人にも目を向けた。

「あなた方のためにも言っているのですよ。……うちの泰久様が少々お怒りなものでね。この寮ごと沈められても文句は言えない」

泰久……東宮泰久?何でSランクの2人が哀に熱が出たからってそんなに怒ってんのよ?

そもそも哀とSランクの間に交友関係があったこと自体初耳だし、ここまで大事に――過保護と言えるほど大事にされてるなんて知らなかった。


「そういうことで、お気をつけて」


にこり、とその怖い顔に似合わない優しい笑顔を最後に見せた一ノ宮一也は、踵を返して出て行った。



< 89 / 112 >

この作品をシェア

pagetop