深を知る雨
―――外は雨が降っている。小雪に初めて抱かれたのも、こんな風に雨の降る日だった。
「ねぇ、小雪。何で雪乃に冷たくするの?」
もうすぐ小雪が食事をし終わるといったところでそう問うたが、答えはもう私の中にある。
「……哀には関係ないよ」
苦しそうな表情で冷たいことを言う小雪を見て、こっちまで胸が苦しくなった。
「小雪、さ。私と話す時ずっと、―――私の黒子見てるよね」
私の口元には黒子が1つある。歴代のセフレ達はこの黒子を色っぽいと褒め、黒子にキスをしてから事を進めることが多かったから、目に見えない自分の顔とはいえ位置はちゃんと覚えてる。
私の言葉を聞いた瞬間、小雪は逃げるように立ち上がった。
でも駄目だ。ここまで来たら引き下がれない。逃がしてあげられない。
私も立ち上がって小雪の近くに立ち、その私よりいくらか高い位置にある顔を見つめた。
「この位置、雪乃の黒子の位置と同じだよね」
雪乃に冷たくしてるのは、雪乃を自分から離すため、なんじゃないか。
「……言わないで哀」
小雪が脅えた顔をして後退る。
―――私は小雪とのこれまでの関係を壊そうとしているのかもしれない。
「気付かないで、」
―――でもこんな関係は一度壊さないと駄目だ。
「哀を壊したくないんだ……、」
「―――小雪はずっと私を雪乃の代わりにしてたんだよね」
そう言った瞬間、小雪の恐怖を孕んだ瞳と目が合った。
ああ、小雪がちゃんと私を見てる。
ようやく私として小雪に触れられる。
一歩踏み出し、愛しい子供を抱くように小雪を強く抱き締めた。
小雪の体が僅かに震えるのが分かった。
「……私は壊れないよ」
「…嘘だよ、…皆壊れるよ……」
「私は壊れない」
「この秘密を知ったら、皆おかしくなるんだ。俺の義母さんだって……俺が雪乃を好きだって知って、壊れた」
「うん。でも、私は壊れないよ」
「……俺は哀を抱きながら雪乃のこと考えてたよ」
「うん。誰かの代わりにしてるんだろうなとは薄々思ってた」
「気持ち悪いでしょ?軽蔑するでしょ?実の妹相手に欲情して、妹と共通点のある女しか抱けない。最低の兄貴だと思わない?俺は人間じゃない、他の動物でもない――醜い化け物だよ。でも欲望には抗えない。汚くて弱い俺に、人を名乗る資格なんかない」
「小雪がそんなに思い詰めるのは違うと思う。好きになった子が妹だった、ただそれだけのことでしょ?」
「……哀は何も分かってない。俺の感情は、恋とか愛とか、そういう言葉で表せるほど綺麗なものじゃないんだ。もっとどす黒くて、下半身に支配された獣のような衝動だ。ねぇ、言ってよ。気持ち悪いって言ってよ。突き放してよ。そんな風に優しくしないでよ。俺を…許さないで……」
「――――ふざけんな」
私は、思いっきり小雪の腹を蹴り飛ばした。
ドタン、と大きな音を立てて小雪が床に倒れる。
「私が小雪にそんなことすると思う!?私を誰だと思ってんの!?小雪の友達だよ!?小雪はそうは思ってないみたいだけど!小雪にとっては私なんて赤の他人なんだろうけど!」
「そんなことな…、」
「今の今まで黙ってて!こっちが気付くまでなーんにも言ってくれなかった!どんだけ信用ないの!?気持ち悪いとか…!思うわけないじゃん!」
怒鳴った後で大きく息を吐き、落ち着くために浅い呼吸をした。
小雪は床に座ったまま私を見上げている。
「……もう1つ、聞くけど」
多分、これも隠したかったことなんだよね。ごめんね。
―――でも、気付いてしまったからには知らないふりして接することはできない。
「小雪……Sランク能力者、だよね…?」
私の質問に、小雪が分かりやすく息を呑んだ。
「……変だと思ってたんだ。瞬間移動に失敗して腹に何かが刺さったって話だったのにすぐ治ってるし、私の肩の怪我も小雪と寝た日から全然痛くなくなったし。バレない程度に治してくれてたのかな、って…」
「……」
家族の能力の種類は似るって言うのに、雪乃は治癒能力で小雪は瞬間移動能力。
兄妹でこうも違うのは珍しい。でも小雪はCランクだから、他の能力持ってんのはおかしい。持ってるとしたら、Sランク能力者以外有り得ない。
ああもう、踏み込むだけ踏み込んでしまった。
おそらく小雪が踏み込んでほしくなかったところまでいってしまった。
「………哀には、敵わないなぁ」
ふふっと泣きそうな顔で笑った小雪は、「……ちゃんと話すよ」と言って、私の手を引っ張ってソファに座った。
そろりとその隣に座ると、小雪が私の手を優しく握る。
「哀の言った通りだよ。―――俺はNo.3。Sランクの治癒能力者だ。Cランクの振りをしてるのは、雪乃がSランクの性欲処理係になったから」
「……そっ、か」
「俺が軍人になるって決めた頃にね、雪乃の義父――紺野司令官が雪乃をSランクの性欲処理係にしたんだ。雪乃と同じ寮にいさせて、俺が苦しむ姿を見たかったんだろうね。俺は雪乃を抱けないのに、同じ寮にいる他のSランクは雪乃を抱く……そういう状況にしたかったんだよ、あの男は」
「何それ……」
「そういう男だよ。人を苦しめることを楽しみに生きてる奴だ。俺はあいつの思惑通りになるのが嫌で、Cランクと偽って入隊した」
そこまで言って、小雪は私に目を向けた。視線が絡み合う。滅多に私の目を見ることのなかった小雪が私を見てる。
「――最後に話せて良かった。壊れないって言ってくれて、嬉しかった」
「……“最後”?」
「知られたからには、もう一緒にいられない。俺が嫌だ」
私の手を握っていた小雪の手が、離れていく。
「もう、友達はやめよう」
―――嗚呼やっぱり、人の秘密なんて暴くべきじゃなかったのかもしれない。