第二幕、御三家の嘲笑
 どくんどくんと、心臓が鼓動しているのが伝わって来る。私のものじゃない、いま私が耳を押し当てている胸の中にある心臓だ。互いの心臓を合わせるようとでもするように、体がしっかりと包まれていた。


「亜季」


 それなのに、音が合わない。落ち着きを取り戻していたはずの心臓はまたうるさく鼓動し始めていた。それだけじゃない、心底安堵したような声が耳元で名前を呼んでくれた、たったそれだけのことで泣きたくなった。その涙を必死に堪えても、別に込み上げてくる何かが溢れそうだった。桐椰くんの心臓の音も少しだけ速かった。焦ってここに来たのが伝わって来たと思ってしまったのは、私の自惚れだろうか。


「何かされたか?」

「……ううん。キャミソール、切られただけだよ」

「……写真は、」

「私が自分で脱いだの。だから、何もされてないよ」

「……無茶すんなよ」


 ぎゅう、とまだ力が入るのかと思うほどまた腕に力が籠められる。


「無事で良かった」

「……うん」


 そんな桐椰くんの腕は震えていた。声も少しだけ震えていた。私の身体だって震えていた。名前を呼んでくれただけでも嬉しかったのに、そんな風に言われると、涙腺が緩むのを止められなかった。


「本当、心配した」

「……うん」


 抱きしめられてさえなければ崩れ落ちていたかもしれない。喉の奥が苦しくなって、瞳に溜めた涙が今にも零れそうだった。このまま抱きしめられていたいと思うほど、じわじわと感じて来た体温に陽だまりのような暖かさを感じた。


「ありがと、桐椰くん……」

「……心配させんな」

「うん、」

「……もう一人で頑張るなよ」

「うん、うん」

「無事で良かった、本当に……」


 譫言(うわごと)のように、桐椰くんは繰り返した。私だって馬鹿みたいに何度も頷いた。手が不自由なのがもどかしかった。思い切りしがみついて、余すことなく暖かさを感じたかった。


「……で、いつまでそうすれば気が済むんだ」


 それを断ち切ったのは冷ややかな疲れた声だった。我に返ったように桐椰くんの腕ががばっと離れた。なんなら私の肩を掴んで引き離すときた。ぽかんとしている内に自然と目に入った桐椰くんの顔が、暗がりでも分かるくらいに赤くなっていく。その口元には血が滲んでいた。


「桐椰くん、血……」

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