第二幕、御三家の嘲笑
「でも……、ビーチバレーは今日だけのことだし、テニスは多分松隆くんのほうが上手いんだろうし、」
「技術で勝つ度に虚しくなるんだよね」
それがどういう意味なのか尋ねる前に、「何か甘いものでも食べる?」と提案されて、場を繋ぐというか、ずっと喋ってるだけだと空気も重くなっちゃうかな、という理由で「りんご飴」と答えた。少し歩いた先にりんご飴の屋台があって、「このくらいかっこつけさせてよ」と笑う松隆くんに負けて奢られた。
「こういうとこだよね、多分」
「……何が?」
「俺はかっこつけたいからこういうことしちゃうけど、多分遼はもっと違う感情でやるんじゃない? アイツはイイヤツだからさ」
かっこつけたいからって奢るのは、恰好悪いことなのかな。恩を着せるためとか、そんな徹頭徹尾自分のためにあるような感情とはきちんと区別された別のものだと思うんだけどな。
「……さっきの、技術ってなに?」
「上手い言葉が思いつかないんだけど、テニスができるとか、頭が良いとか、歌が上手いとか、そんなのはいくらでも上を観念できるものだろ?」
言わんとしていることはなんとなく分かった。テニスも勉強も歌も、どれもこれも他者との関係で優劣を付けることが容易なもので、だからこそいくらでも上がいる。一番以外は二番以下。二番は三番より良くても所詮二番。それが何十億分の二番でも、所詮は二番。
「一番でもないものを引っ張って来て俺にはできるだのお前にはできないだの、誇示するだけ馬鹿馬鹿しいっていうか、やってる本人が虚しくなるだけなんじゃないの、って俺は思うんだよね」
その根底にあるのは、一番じゃなきゃ意味がない、なんてもので、唯一であるだけで有価値とする考え方と真っ向から対立する価値観だ。一番以外の全ての価値を否定する、その思考は、きっと松隆くんが松隆くんを否定するのに十分だ。
「だから……、そんなもので身近な誰かの上に立ったところで、いくら他人に褒められたところで、それが何なの、って俺の中で思う。それは俺の魅力になんかなってくれないってね」
一口ちょうだいよ、と言われるがままにりんご飴を差し出す。躊躇しなかったのは、年齢不相応に落ち着いている松隆くんが年齢相応に子供っぽく見えたせいでもあった。まるでキスするように、松隆くんはりんご飴を一口齧った。