獣紋の聖女

10 王都のお兄さま

 乗合馬車に揺られて二週間。
 ようやく着いた城下町は、朝もやの中に包まれていた。
 王都『ディアハート』。
 初代国王の名を冠した王都の時計台の下には、番神である猫神リムと竜神グランディアの銅像が建っている。世界における六神のうち、この二神が結婚し、生まれたのが健国王ディアハートだというのが我が国の最古の歴史だ。
 その銅像前にて、馬車を降り、それまで同行していたジュレさんと別れの挨拶をした。
 商人たちが行きかう朝の搬入時間に、今はちょうどあたるらしい。ジュレさんが「またね」手を振り去っていく。私は薄紅色のウィッグを付け、ふわふわの髪の感触を楽しみながら頭を下げた。

「さて、と」
 高台にみえるのは我が国の王宮。その斜め前には中央神殿がそびえたっている。
 昔、お父さまと獣紋の登録をしに来た覚えがある場所だ。成人覚醒を経た今、きちんと申請をして獣紋を調べてもらえば、私の手の甲にある紋もわかるかもしれない。

(でも……万が一、トレミーにバレてしまったら……)
 獣紋は知りたいけれど、神殿に履歴を残すのは危険な気がする。
 結局、神殿へは行かず、他の方法を探すことにした。

「まずは宿かな。仕事も探さなきゃ」
 誰にも頼れないとなると市井で働くしかない。試しに一番近くの酒場に入り、掲示板を確認するけれど、見た瞬間およびじゃなかったと後悔する。
 故郷の村では、薪集めや猫探しなど、女性や子どもができそうな依頼も張られていた。でもここにあるのは、ほぼ都会の店でやる仕事で、どれもこれも技術が要るものばかり。

「髪結いとかお針子もできないのよね……メイドは身元を明かさなければ雇ってもらえないし」
 かといって、男性がやるような仕事もムリだ。
 販売も、ムリとは思わないけれど確実に店主に迷惑はかける。ウェイトレスをやれば皿を割り、物を売れば値下げ交渉に負けてしまう自分を容易に思い描けてしまった。
「ひとまず、お兄さまに会いに行こうかな……」
 仕事のことはおいおい考えればいい。
 日が暮れないうちに、お兄様には会って、事情を話しておきたいのだ。
 地面を見ながら移動を始める。何かの拍子にトランスインプレッションが起きてしまわないよう、なるべく男性の目線を避けて歩いた。 
 
「第十三騎士団の団長であるナヴァールに会いたいのですが」
 身内です、と付け加えながら騎士らしい人に尋ね歩くと、数十分後には、お兄さまのいる鍛錬所に行くことができた。
「失礼。第十三騎士団に何用か」
 騎士の鍛錬所には門衛がいる。うっかり目線を合わせないよう、フードを深くかぶり直しながら、軽いカーテシーで応じた。
「ナヴァールの妹、アルイーネ・ルヴァンでございます。お兄さまに会わせていただけませんか?」
 妹、アルルの名をかたると門衛は背筋を伸ばし「では私がご案内致します」と頭を下げてくれる。やがて石造りの四角い建物が見え、その向こうに広い平地がみえた。
 今は朝の九時。ちょうど騎士たちは一度目の休憩に入る頃合いだという。案内役の騎士が帰ってくるとその後ろに、懐かしい顔が見えた。

「ナヴァールお兄さま!」
 呼びかけた瞬間、お兄さまは目をドングリのように丸くし、癖のある金髪を揺らした。
「はぁ!? な、アルルじゃなくてコル……っ」
「お会いできて嬉しいです! お兄さま――っ」
 名を呼ばれる前に腕をとる。「事情があるの、話を合わせて」と傍で囁くと、お兄さまは一瞬眉を寄せた。
 それから、傍にいた案内役の騎士に「しばらく二人にしてくれ」と告げる。すると、騎士は一礼し風のように去っていく。
「ありがとう、お兄さま」
 合わせてくれたことにお礼を言うと、お兄さまは「はぁ」とため息を吐き、頭をかいた。

 お兄さまはお父さまと同じ猫獣だ。したがって、そんな髪をかく仕草でさえ、猫さんが毛づくろいをしているようで、たいへん愛らしい。
「あらためまして、お会いしたかったです」
 礼儀正しくカーテシーをすると、お兄さまはさっと気色ばんだ。
「お前……獣紋手袋もせずに王都を歩いてるのか!? あまりにも慎みがないだろう。いくらカメレオンが希少紋だからといって、ゼロではないんだぞ!」
 叱り口調。私を心配してくれてのことだってわかって、じいんと涙が浮かんでしまう。
 でも、手袋がないのは仕方ない。
 たしかにこれがあればトランスインプレッションを起こさないでくれるけれど、それ以上に懐事情のほうが深刻なのだ。
「ごめんなさい。私の獣紋手袋は、アルルが持って行ってしまったのよ」
「また、あいつかー。なんでそんなに欲しがるんだろな……と、予備はないのか?」
「予備のはもうボロボロなの。高価なものだからたくさん買えるわけでもないし」
「だけどなぁ、そもそもお前には危機感ってものがなっ」
 お説教モードに入りそうだった。
 ナヴァールお兄さまはいい人だけど、少しくどいところもあったりする。これ以上お小言が続いたら嫌だなと思い、ポケットに忍ばせておいた小袋を取り出した。
 その瞬間、お兄さまの目は蕩けて、整った美形顔がふにゃりと崩れる。
「……おま……マタタビ、……っくっ、」
 お兄さまが可愛いらしく身をよじる。
「兄に向かって、なんてことを……ああ、力があああ……」
「よしよし、いいこいいこ」
 ここぞとばかりに、お兄さまのふわくしゃ猫毛金髪を触る。気持ちいいなぁと顔をうずめて幾度も撫でると、そのうち頭の上に三角形の猫耳が生えてきた。
「おや?」と思う。
 いくらなんでも、マタタビだけで獣化することなんて――と思っているうちに、お兄さまの体毛が濃くなり、頬にはひげ、手のひらには肉球が現れ始める。
「お、お兄さま……可愛い」
 別に獣化のサービスまでは要らなかったんだけど。
 これは猫好きな妹へご褒美なのかな? と思い、頭を撫で続ける。
 猫は正義。ほんと、うちのお父さまが猫獣で良かったなって思うひとときだ。

「――って、バカやろう! こんなところで獣化させるな!」
「ええ?」
 お兄さまは袋を払い、懐からポーション瓶を取り出し、頭からひっかける。
 ぶるぶると水気を飛ばすと、睨みながら私の肩をつかんだ。
「マタタビ程度で獣化はムリでしょ? お兄さまがたまたま獣周期だったのでは?」
「いや、そんなはずは――ってもういい。こっちの話は後だ。で、コルル。お前はわざわざ王都まで兄をからかいに来たのか? 用件は?」
 半獣人になったお兄さまがすごむ。そんなところも、なかなか可愛いなぁと思いつつ、私もにやけた顔を元に戻した。
「お兄さま。我がルヴァン家の存亡の危機なの。実は――」
 事情を話そうとしたときだった。お兄さまの背後に先ほどの騎士が見えた。なぜかこちらへ戻ってきたらしい。走りながら、必死に叫んでいる。

「団長――大変です! コスタが獣化しました! 手持ちの牛用ポーションでは治らないので重症かと思われます! また、知り合いに牛紋の聖女がいないかと聞いたところ、全員ダメでした! 神殿へ行ったほうがいいでしょうか!? それとも獣サロンにしますか!」
 お兄さまが振り返る。
「くそっ、またか。最近、発症するケースが増えたな!」
 手が私の肩から離れた。
「コルル、すまないが、このとおり緊急事態だ。じゃあな」
 こくりと頷いた。
 頷きながら、お兄さまが駆け足で去ってゆくその背中を、私も全速力で追いかける。
 それに気づいたお兄さまがぎょっとして、「来るな」と叫ぶけれど、こちらとしても話が終わっていない以上、お兄さまについていくしかないのだ。

 着いた先は石畳のある鍛錬場だった。お兄さまは騎士たちの輪の中に入り、獣化したらしき騎士に呼びかける。
「コスタ……おいコスタ! ああ、またこんなに白黒になって!」
 ひょこっと人垣の中を覗く。すると中央の床には、大きめの牛が横たわっていた。
 雄牛のようだけど、角が一本かけている。荒い息を繰り返し、見るからに具合が悪そうだった。

「キャサリン……?」
 コスタさんには申し訳ないけれど、回帰前、仲良しだった牝牛のキャサリンと姿が重なってしまった。
 昔、領地村では村人が放牧をしていたから、私もよく父にせがんで、遊びに行かせてもらってた。
 出会ったころはまだ仔牛だった彼女も大きくなり、とうとう初産をむかえた――まではいいものの、予想以上にキャサリンのお腹の仔牛は大きかった。
 逆子だったことも加わり、かなりの難産となった。母体も子どもも危ないって言われてた中で、奇跡的に彼女はどっちの命も絶やさすに産んだ。
 あれは命の瀬戸際だった。みんなが祈る中、空気が痛いほど緊張していた。
 今は、そのときの空気によく似ている。

「団長……すんません。オレもうダメっぽいわ……獣周期がこんなに早く来るなんて予想外で……そろそろ限界が来たんだ」
 牛のコスタさんが言う。ふっと目から光をなくした。そして牛の瞳に涙をうるませながら、空を仰いだ。
「これまで……どの女性にも選んでもらえなかったなぁ……。きっと俺は人間として生きる資格がなかったんだ……これからもずっと独り。完全に獣化して理性がなくなったら、獣化区域(ネイジア)でさみしく死んでいくんだろーな……」
 傍にいたお兄さまが、ク゚ッと喉を鳴らした。
「何言ってんだ、まだ二十代だろ!? 適齢期を過ぎたからって、諦めるな! お前の聖女はきっと現れる。それまでなんとか耐えるんだ。さぁ、神殿に行こう!」
 しかし、コスタさんは力なく目を閉じる。
「いや……最近の神殿は待ち時間が長すぎるし、獣サロンは治療費が法外で平民の俺にはムリだ……。頼む団長、俺がこのまま人間に戻れなくなった時は、ひとおもいに殺ってくれ。そして俺の肉で焼肉パーティーを開いてくれ。皆の糧になるのなら本望だ……っ」
「バカ―っ! そんな悲しいことを言うなぁぁ!」

 見れば他の騎士たちも泣いているようだった。義理人情にあふれているのか、それとも団結心が強いのか、コスタさんをぐるりと囲んで口々に呼びかけている。
「団長。コスタを獣サロンに連れて行きましょう! たとえ治療費が高くても、俺たちで金を出しあえばなんとかなります!」
「そうですよ! こんなにいい奴なのに……心まで牛になっちゃうなんて悲しすぎです。いつか牛紋の聖女と結婚して、幸せになるべき奴なんですよ!」
「そうだよな、そうだよなぁ……」
 お兄さまも泣き始めた。
 私も、辛い。
 だって気持ちがすごくよくわかるもの。
 結婚して、夫がめったに帰ってこなくなって。「私、いらないのかな」って、回帰前の自分も、いつも思ってたから。
 なんであんなさみしい気持ちになるのだろう。誰にも迷惑をかけず、慎ましく生きていたのに。それじゃいけないのかな――なんて、今でもときどき思うのに。
 はらはらと涙がこぼれる。もらい泣きだ。
 助かってほしい、と牛紋の聖女でないのは重々承知だけれど、祈らずにはいられなかった。
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