獣紋の聖女
「でね、お兄さま。お話したいことがあるの」
嵐のような感謝をあびたあとで。
やっと二人きりになったのを幸いに、お兄さまに切り出した。すると、場所を移すぞということで、「第十三騎士団長室」というお兄さま専用の部屋に移動する。
騎士の訓練はいいのかなと思ったけれど、副団長に任せてあるから、とお兄さまは複雑そうな顔をした。
「今は、お前の問題のほうが大事だろ。どういうことなんだ? 成人覚醒でもしたのか?」
驚く兄をよそに、「やっぱり、そう思うよね?」と自分の紋を見つめる。
今、私の手の甲にはカメレオン紋と猫紋。そしてよくわからない複雑な紋が乗っている。
猫紋の上には、どこかでひっかいたのか、うっすらと星形の傷も増えているようだった。
「猫紋は家系的に成人覚醒だと思うのよ。でも……それだけじゃないみたいで」
だって、牛獣のコスタさんまで獣化を治してしまうのはおかしい。結局、紋については謎が残るままだ。
「マジか……成人覚醒だってだけでもかなり珍しいのに……なんなんだよあの聖力は」
お兄さまは、うなだれてしまう。
私を心配してくれているのはわかるけど、こちらにしても、答えようがない質問だ。
ややあって、お兄さまは頭をあげ、少々疲れた顔をしながら私を見る。
「ま、獣紋については後回しとしよう。――で、なんでお前、ここにきたんだ?」
まだ事情を話してなかったことに気づく。
自分が回帰したことは伏せて、侯爵家からの求婚状が届いたこと、以下の私の事情をお父さまに話したように伝えた。
「……なるほどな。じゃあ神殿に成人覚醒の報告はできないってことか……それがいいかもな」
あれ? と首をかしげる。こんなにあっさり、お兄さまがわかってくれるとは思わなかった。
てっきり、「神殿にいかないと、父さんに迷惑がかかるだろ」って言われると思ってたのに。
「そりゃ、長く隠してれば咎められるかもしれないけど。でもお前の聖力――ちょっと常識外れだ。しばらくは誰にも話さずに、しっかり調べたほうがいい」
お兄さまは、「少し待ってろ」と言い、部屋の隅にあった机の引き出しを開けた。
「ほらこれ。ホントは次の休暇で帰ったときに渡すつもりだったんだけど」
リボンがかけられた包みを渡される。
解いて、中を見ると獣紋手袋が入っていた。
「アルルにせがまれていたんだ。アカデミーでつけたいからってさ。王都で発売されたばかりの新商品で、絹製で性能がいいらしい」
「まぁ、お兄さま……ありがとう」
ちゃんと私の分まで用意していてくれたことに感激してしまう。さっそく手袋をつけてみると、薄い生地なのにちっとも紋が透けない。これなら暑い季節でもつけられるし、どんな服装でも合いそうだ。
「トレミー侯爵子息がどこまで騙されてくれるかはわからないけどさ。お前が他に想う人がいるのなら、獣紋結婚なんかしないほうがいいもんな」
想う人はいないのだけど……という言葉を飲み込み、「うん」と頷く。
高位貴族とは違って、このへんの頭の柔らかさはお兄さまの美徳だと思う。
「お前のトロさじゃあ、向こうに迷惑ばかりかけるだろうし……」
前言撤回する。私はトロいわけではない。ちょっとゆっくりなだけだ。
「――でね。一人で生きていくとなると、やっぱり仕事が必要じゃない? 私、神殿は身元がバレるから無理としても、昼間にみた獣サロンみたいなところで働けたらなって思うの……もちろん、もっと良心的なサロンでよ。ああいう施設は、王都にもたくさんあるの?」
「いや」
少しの沈黙の後、お兄さまは首を振った。
「民間のサロンはみんなあんなものさ。侯爵家に縁のあるバーソラン商会がほぼサロン経営を独占している。国営のサロンもなくはないけれど、そっちはあてがう自由聖女の数が圧倒的に足りてないせいで、ほとんど機能してないって話だ」
そういえば、騎士の方たちも言ってた気がする。神殿は人であふれてて、待ち時間がすごいって。
「ああ。獣化で苦しむ男が増えている。もう神殿だけでは、捌ききれないくらいになってるんだ。かといって、サロンは平民には払えない金額だし、こういっちゃなんだけど、国が大きな改革でもしてくれないと、患者が増え続けるだけなんだよな」
「そっかぁ……待たされてる人、かわいそうね。私も何かの役に立ちたいなって思って……自由聖女になれないかなぁ」
その台詞にお兄さまはうーん、と唸った。
「サロンで雇ってもらうには聖女ランクは3以上でないと通らないって聞いたことがある。コルルの紋はちょうど三つあるから、その条件は満たしているとは言えそうだが……そもそも神殿への登録がないと、どこも雇ってくれないんじゃないか?」
今度は私が唸る番だった。
「それは、そうかも」
言いつつ、ぐっと喉をつめる。振り出しに戻ってしまった。
この国での聖女のランクはおよそ6段階に分けられる。
いちばん低いランク1の聖女、つまり回帰前の私は、十年、相手に聖女の祈りをして、やっと獣化が治る……そんな力量だった。
十年も一緒にいるわけだから当然、結婚した者同士でないと世間の目が厳しくなる。平民なら離婚もできるし、契約的な同居も許されるけど、古くからの伝統を背負う貴族にそこまでの自由はない。
これがランク2になるといくらか聖力が増えるので、相手と一緒にいる時間が半分、つまり五年程度に短縮される。
ランク3はその上のクラスだ。
ただしかなり数が少ない。その上、希少紋を持った聖女となると王都でもかなり珍しい部類になる。
ゆえに、このランクになると貴族女性でも結婚は義務ではなく、『自由聖女』の身分となって、神殿やサロンで働くことができる。ただし、どの人に対しても愛を与えることができるような、慈愛の心を持たなくては難しい。
――実は、私が望んでいるのはこれだった。
トレミーに見つかる心配さえなければ、すぐに神殿に登録しに行って、自由聖女として生計を立てていこうと思ってたんだけど……。
「コルルのランクが今、3だとして。自由聖女の力って、具体的にはどうなってたんだっけ」
私に聞いたと思ったのだけど、どうやらお兄さまがひとり言で呟いたらしい。「たしか昔、神殿で配布してたよなぁ」と頭をかきながら机上の書類を触り始める。
私もちょっとわからない。
実はこのへんの勉強は熱心にはしてこなかった。だって以前は死ぬまで聖女ランク1だったから。あまりにも力不足で哀しくて、聖力については考えないようにしていたのだ。
しばらくして、兄の手によって一枚の紙が掲げられる。そこには大神殿の印章の入った、聖女ランクの説明が記されていた。
<聖女ランク>
・1 → 獣化する人間を一人、十年ほどで治癒できる。
・2 → 獣化する人間を一人、五年ほどで治癒できる。また『聖女の祈り』により、獣化したときの身体の痛みを和らげることができる。
・3 → 三年程度で獣化する人間を一人、治癒できる。また『聖女の祈り』により、獣化したときの身体の痛みを和らげ、獣周期による獣化を遅らせることができる。
・4 → ランク3の聖女の能力に加えて、わずかな時間のみ、獣化を解くことができる。
・5 → ランク3の聖女の能力に加えて、一定時間、獣化を解くことができる。
・6 → 獣化を長時間解くことができる。
うん、細かい。
それに、ちょっとややこしい。ランク3まではわかりやすいけれど、4以降は覚えなくてもいいのではと思ってしまう。
私は図表を渡してくれたお兄さまにお礼を言いつつ、すぐに返却した。
「すごい貴重な資料なのね? 見せてくれてありがとう」
「いや? 神殿ならどこでも1ブロンズで買えるけど?」
「あら、そうなの?」
「……お前は、そんなことすら知らないのか。お兄さまは心配だぞ」
だから、獣紋とか聖女とかに関してだけは、無知なんだってば。と言い訳しつつ、改めて自分の手の甲を見つめる。
「問題なのは……獣紋がわからないことなのよね。ランクだって本当に3なのか怪しいし。神殿で調べることができないから、とっても困ってるのよ」
と。愚痴のようにこぼすと、お兄さまから意外な返答があった。
「だったら、王家主催の獣紋夜会に出てみたらどうだ? 獣紋夜会では、特別に宝物の聖杯が置かれるって聞いたことがある。それがあれば神官がいなくても自身の獣紋を調べられるし、お前も、正体を隠しつつ参加できるし」
「え、なにそれ?」
王都の行事にも疎い私は、上ずった声で聞き返したのだった。
嵐のような感謝をあびたあとで。
やっと二人きりになったのを幸いに、お兄さまに切り出した。すると、場所を移すぞということで、「第十三騎士団長室」というお兄さま専用の部屋に移動する。
騎士の訓練はいいのかなと思ったけれど、副団長に任せてあるから、とお兄さまは複雑そうな顔をした。
「今は、お前の問題のほうが大事だろ。どういうことなんだ? 成人覚醒でもしたのか?」
驚く兄をよそに、「やっぱり、そう思うよね?」と自分の紋を見つめる。
今、私の手の甲にはカメレオン紋と猫紋。そしてよくわからない複雑な紋が乗っている。
猫紋の上には、どこかでひっかいたのか、うっすらと星形の傷も増えているようだった。
「猫紋は家系的に成人覚醒だと思うのよ。でも……それだけじゃないみたいで」
だって、牛獣のコスタさんまで獣化を治してしまうのはおかしい。結局、紋については謎が残るままだ。
「マジか……成人覚醒だってだけでもかなり珍しいのに……なんなんだよあの聖力は」
お兄さまは、うなだれてしまう。
私を心配してくれているのはわかるけど、こちらにしても、答えようがない質問だ。
ややあって、お兄さまは頭をあげ、少々疲れた顔をしながら私を見る。
「ま、獣紋については後回しとしよう。――で、なんでお前、ここにきたんだ?」
まだ事情を話してなかったことに気づく。
自分が回帰したことは伏せて、侯爵家からの求婚状が届いたこと、以下の私の事情をお父さまに話したように伝えた。
「……なるほどな。じゃあ神殿に成人覚醒の報告はできないってことか……それがいいかもな」
あれ? と首をかしげる。こんなにあっさり、お兄さまがわかってくれるとは思わなかった。
てっきり、「神殿にいかないと、父さんに迷惑がかかるだろ」って言われると思ってたのに。
「そりゃ、長く隠してれば咎められるかもしれないけど。でもお前の聖力――ちょっと常識外れだ。しばらくは誰にも話さずに、しっかり調べたほうがいい」
お兄さまは、「少し待ってろ」と言い、部屋の隅にあった机の引き出しを開けた。
「ほらこれ。ホントは次の休暇で帰ったときに渡すつもりだったんだけど」
リボンがかけられた包みを渡される。
解いて、中を見ると獣紋手袋が入っていた。
「アルルにせがまれていたんだ。アカデミーでつけたいからってさ。王都で発売されたばかりの新商品で、絹製で性能がいいらしい」
「まぁ、お兄さま……ありがとう」
ちゃんと私の分まで用意していてくれたことに感激してしまう。さっそく手袋をつけてみると、薄い生地なのにちっとも紋が透けない。これなら暑い季節でもつけられるし、どんな服装でも合いそうだ。
「トレミー侯爵子息がどこまで騙されてくれるかはわからないけどさ。お前が他に想う人がいるのなら、獣紋結婚なんかしないほうがいいもんな」
想う人はいないのだけど……という言葉を飲み込み、「うん」と頷く。
高位貴族とは違って、このへんの頭の柔らかさはお兄さまの美徳だと思う。
「お前のトロさじゃあ、向こうに迷惑ばかりかけるだろうし……」
前言撤回する。私はトロいわけではない。ちょっとゆっくりなだけだ。
「――でね。一人で生きていくとなると、やっぱり仕事が必要じゃない? 私、神殿は身元がバレるから無理としても、昼間にみた獣サロンみたいなところで働けたらなって思うの……もちろん、もっと良心的なサロンでよ。ああいう施設は、王都にもたくさんあるの?」
「いや」
少しの沈黙の後、お兄さまは首を振った。
「民間のサロンはみんなあんなものさ。侯爵家に縁のあるバーソラン商会がほぼサロン経営を独占している。国営のサロンもなくはないけれど、そっちはあてがう自由聖女の数が圧倒的に足りてないせいで、ほとんど機能してないって話だ」
そういえば、騎士の方たちも言ってた気がする。神殿は人であふれてて、待ち時間がすごいって。
「ああ。獣化で苦しむ男が増えている。もう神殿だけでは、捌ききれないくらいになってるんだ。かといって、サロンは平民には払えない金額だし、こういっちゃなんだけど、国が大きな改革でもしてくれないと、患者が増え続けるだけなんだよな」
「そっかぁ……待たされてる人、かわいそうね。私も何かの役に立ちたいなって思って……自由聖女になれないかなぁ」
その台詞にお兄さまはうーん、と唸った。
「サロンで雇ってもらうには聖女ランクは3以上でないと通らないって聞いたことがある。コルルの紋はちょうど三つあるから、その条件は満たしているとは言えそうだが……そもそも神殿への登録がないと、どこも雇ってくれないんじゃないか?」
今度は私が唸る番だった。
「それは、そうかも」
言いつつ、ぐっと喉をつめる。振り出しに戻ってしまった。
この国での聖女のランクはおよそ6段階に分けられる。
いちばん低いランク1の聖女、つまり回帰前の私は、十年、相手に聖女の祈りをして、やっと獣化が治る……そんな力量だった。
十年も一緒にいるわけだから当然、結婚した者同士でないと世間の目が厳しくなる。平民なら離婚もできるし、契約的な同居も許されるけど、古くからの伝統を背負う貴族にそこまでの自由はない。
これがランク2になるといくらか聖力が増えるので、相手と一緒にいる時間が半分、つまり五年程度に短縮される。
ランク3はその上のクラスだ。
ただしかなり数が少ない。その上、希少紋を持った聖女となると王都でもかなり珍しい部類になる。
ゆえに、このランクになると貴族女性でも結婚は義務ではなく、『自由聖女』の身分となって、神殿やサロンで働くことができる。ただし、どの人に対しても愛を与えることができるような、慈愛の心を持たなくては難しい。
――実は、私が望んでいるのはこれだった。
トレミーに見つかる心配さえなければ、すぐに神殿に登録しに行って、自由聖女として生計を立てていこうと思ってたんだけど……。
「コルルのランクが今、3だとして。自由聖女の力って、具体的にはどうなってたんだっけ」
私に聞いたと思ったのだけど、どうやらお兄さまがひとり言で呟いたらしい。「たしか昔、神殿で配布してたよなぁ」と頭をかきながら机上の書類を触り始める。
私もちょっとわからない。
実はこのへんの勉強は熱心にはしてこなかった。だって以前は死ぬまで聖女ランク1だったから。あまりにも力不足で哀しくて、聖力については考えないようにしていたのだ。
しばらくして、兄の手によって一枚の紙が掲げられる。そこには大神殿の印章の入った、聖女ランクの説明が記されていた。
<聖女ランク>
・1 → 獣化する人間を一人、十年ほどで治癒できる。
・2 → 獣化する人間を一人、五年ほどで治癒できる。また『聖女の祈り』により、獣化したときの身体の痛みを和らげることができる。
・3 → 三年程度で獣化する人間を一人、治癒できる。また『聖女の祈り』により、獣化したときの身体の痛みを和らげ、獣周期による獣化を遅らせることができる。
・4 → ランク3の聖女の能力に加えて、わずかな時間のみ、獣化を解くことができる。
・5 → ランク3の聖女の能力に加えて、一定時間、獣化を解くことができる。
・6 → 獣化を長時間解くことができる。
うん、細かい。
それに、ちょっとややこしい。ランク3まではわかりやすいけれど、4以降は覚えなくてもいいのではと思ってしまう。
私は図表を渡してくれたお兄さまにお礼を言いつつ、すぐに返却した。
「すごい貴重な資料なのね? 見せてくれてありがとう」
「いや? 神殿ならどこでも1ブロンズで買えるけど?」
「あら、そうなの?」
「……お前は、そんなことすら知らないのか。お兄さまは心配だぞ」
だから、獣紋とか聖女とかに関してだけは、無知なんだってば。と言い訳しつつ、改めて自分の手の甲を見つめる。
「問題なのは……獣紋がわからないことなのよね。ランクだって本当に3なのか怪しいし。神殿で調べることができないから、とっても困ってるのよ」
と。愚痴のようにこぼすと、お兄さまから意外な返答があった。
「だったら、王家主催の獣紋夜会に出てみたらどうだ? 獣紋夜会では、特別に宝物の聖杯が置かれるって聞いたことがある。それがあれば神官がいなくても自身の獣紋を調べられるし、お前も、正体を隠しつつ参加できるし」
「え、なにそれ?」
王都の行事にも疎い私は、上ずった声で聞き返したのだった。