獣紋の聖女

12 レイフェ

 大陸の東、リムディア王国。
 王都ディアハートは区画整理された円形の街並みの北側の丘に王宮がある。
 その城の中央三階。謁見の間のとなりに、現国王であるレイフェ・カイザー・リム・ディアルの執務室はあった。
 バイオレットの絨毯に淡紫のカーテン。国色である紫を基調とした色合いの中、家具の細部に使われている真鍮の装飾が頑丈さに輪をかけている。彫刻や絵画はシンプルな配置で、計算された空間美を大事にと設計されているらしい。
 室内では窓に背を向けて座り、机に頬を当てながら印章を押すレイフェ国王と、その隣の長机で書類整理を行う補佐官ゼンメルがいた。
「次これ、押して」「うん」――このやりとりを何度くりかえしたか。前日から続いている同じ作業に飽きた国王は、とうとう別の話題を投げかけた。

「あの子さぁ……神殿の貴族名簿には登録なかったよねぇ……平民なのかなぁ」

 ゼンメルは黙って目を閉じる。いつもなら「そんなことより仕事に集中しろよ」と王に向かっていうところだが、ほぼ徹夜で仕事をしたうえ思いのほか落胆している相手にそれ以上、冷酷になれそうもない。
 ゼンメルにとってレイフェは国王でもあるが、アカデミー時代を共に過ごした親友でもある。また親同士が同じく学友だったため、幼少のころからの付き合いも長くあった。

(目が死んでるな……)
 これまでの王の人生を考えると、どうしても同情する心が出てきてしまう。王は――こいつは、昔から大事なところで運がないのだ。
 自らが神獣ということで、獣紋の聖女に巡り合えないことだけでも不運を背負っているのに、近年では原因不明の獣化人口の爆発まで起きている。このままでは獣化隔離区域(ネイジア)を超えて、市井にまで影響が出るかもしれない。
 ただそうなった場合、王の騎士たちも、元は民であった人間に剣を向けることになる。そうなれば、政としては最悪だ。やがて行きづまるときがくるだろう。
 そこへ、運命の相手との出会いだ。
 ようやく幸運が訪れた――と安堵したのもつかの間、今度は、その娘の行方が分からないときた。
 もともと耐久力はある方だったが、この状態で虚無感を抱かないというのも無理がある、とゼンメルは考える。

「なんて名前なのかなぁ……サラサラのハニーブロンド髪に、深みのあるアメジストの大きな目……小柄なのに声がよく通って……僕を見て恥じらう姿も可憐だった……」
「恥じらってないだろ。あれは、変態を見る目だったぞ。お前、上半身脱いでたし」

 そんなゼンメルのツッコミは聞こえていないらしい。どこか陶酔した瞳でレイフェは遠くを見つめている。
「一週間も経ったのに……まだ初めて会った日のように光が消えないよ」

 聞いててむずがゆい。
 それはトランスインプレの光ではなく、初恋の光だと言ってやりたいのをかろうじて我慢する。
 これまでの陛下は――レイフェはわけあって、婚姻も恋愛も排除してきた。今、そのツケが回ってきたのだから仕方がない――と再度自分に言い聞かせる。

「あの少女に関しては、だな」
 ゴホンと咳ばらいをすると、雷に打たれたようにレイフェが起き上がる。好奇心に満ちた目で、ゼンメルの言葉を待つさまは、まるで子どものようだ。
「あの日、あの時間帯には、中央街道から王都に向かう乗合馬車があったらしいぞ。乗客リストを調べてもそれらしき者がいなかったので、同乗していた商人を問い詰めたところ、貴族令嬢が平民のふりをして乗っていたのがわかった。時期的にアカデミーの寮へ戻ったのか、王都で仕事があるのか、それとも社交に出てきたのか……わからないが、わざわざ変装してるあたり、訳ありだろうな」
「アカデミー……はともかく、あとは範囲が広いなぁ。ぜんぶ調べるか」
 一気に声に張りも出た。そんなレイフェに苦笑する。
 しかし、ゼンメルにとって重要なのは、そのあとのことだった。
「もし、会えたらどーするんだよ? 陛下は」
「え、求婚するけど」
「求婚を断られたら? 貴族令嬢ならもう婚約者がいるかもしれない」

 間があった。
 レイフェは口をつぐみ、目線を横へと流す。
「……いくら僕が王だからって、権力に物を言わせて結婚してもらうのはよくないからね。その場合は男として勝負するしかない」
「いや、そこは権力を使えよ。歴代の王はみんなそうしてきただろうが。死活問題だぞ」
「うーん。まぁ、僕は先代や先々代とはちがって、神獣覚醒で竜痣が出たクチだから……あとから横取りするのはちょっとね。ここはやっぱり、誠実に正攻法で、好きになってもらえるよう、努力したほうがいいんじゃないかな」
「子どもかよ」
 いまどき、幼児でも言わねぇぞそんなこと。言いつつゼンメルは眉を寄せた。

 神獣覚醒――男の成人覚醒といってもいい、二種類の獣を得るその現象は、ほぼ王族にしか起こらない。
 つまり、その覚醒が起きたことは、なにより王家の濃い血を継いでいることの証なのだが、どうもレイフェ本人は、それを名誉としては受け止めてないらしい。
「レイフェは王に向いてないよなぁ。神獣であること以外は」
「かもね」
 レイフェは笑う。しかし次の瞬間には、また例の聖女を思い出しているのか、遠くを見るような目つきに変わっている。

「……ま、そのうち見つけてやるから待ってろよ。ああそれと――念のため、会ってもお前の身分は彼女にばらすなよ。逃げられたら困るからな」

 ゼンメルの声は、届いているのかいないのか。
 目を閉じたレイフェは、何の反応も示さなかった。


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