獣紋の聖女

14 聖女さがし

 静かな夜が王宮を包んでいた。
 澄み切った夜空には、銀の円盤のように輝く月が高く浮かび、柔らかな光を投げかけている。
 厚い石壁に囲まれた執務室の中、レイフェは静かな面持ちで重厚な机に向かう。
 いつもならこのあたりで、疲労がピークに達するのだが、この日は様子が違っていた。
 頬はつやつやほんのりバラ色。瞳は輝き、口角はゆるやかに上がっている。いつもボサボサだった黒髪は、きっちりまとめられ、王宮侍女の手によって整えられている。
 そんなレイフェは、書類の山に埋もれながらもたびたび仕事を中断し、補佐官のゼンメルに話しかけていた。

「ねぇ、アカデミーで成果あった? とうに卒業して社交界デビュー済ってこともあるよね。なんで見つからないかなぁ……ゼンメル、きいてる?」

 背中から語りかける。
 意図してこの配置なのか、ゼンメルの執務机は、いつの間にか移動され、レイフェから見て背を向けた形になっている。対する返事は舌打ちだった。
 ゼンメルにしても、さっきからこの調子で話しかけられては、たまったものではない。
 何度、うるさいという言葉を飲み込んだか。
 それに今は、この部屋に入室してきた王弟殿下の報告をうけている最中だ。最低限、仕事のジャマをしないで欲しいと切に願う。

「ゼンメル、兄上が何か言ってるみたいなんだけど」
「あれは放っておいていいですよ、ラピス殿下」
 ゼンメルはレイフェの呼びかけを無視する。
「いや、放っておけないでしょ? あんな兄上、久しぶりに見たよ。どうしちゃったの今日は」
 そんな質問をするのは、ラピス・エピ・リム・ディアル殿下だ。先日十五歳になったばかりのレイフェの実弟で、アカデミーに在籍中でありながらすでに一部の公務に携わっている。
 金髪に青い目の、凛とした佇まい。服装は白を基調にでまとめられ、すっきりとさわやかな出で立ち。その面差しは母であるレイリア王太后とよく似ている。が、性格はおしとやかな母とは正反対で、活発で明るく、太陽のような王弟殿下として、広く国民に慕われていた。

「あー、ラピス殿下。伝え遅れて申し訳ない。少し前にレイフェに奇跡が訪れてな。運命の聖女と出会えたばかりなんだ」
「ウソ!」
 ラピスは目を丸くする。何をしても、どこを探してもいないと諦めていた兄上の相手が見つかるなんて――と、半信半疑でゼンメルの隣に寄った。
「ゼンメル。兄上の相手が見つかったなんて……でっちあげなんでしょ? 兄上にひとときの夢をってやつなんでしょ? でもそれ、僕は逆効果だとおも」
「違います。俺はどんな酷い奴ですか」
 即座に答える。ぼうっと遠い目をしているレイフェを横目で確認し、隣に立っているラピスに小声で話した。
「本当に、レイフェには春が来たんです。次の獣周期が来る前に『意識的な旅立ち』(コンシャス・デパーチャー)をしようとしたら、向こうから飛び込んできたんですよ、聖女が。俺がこの目で見たから間違いないです」
「えっ。兄上、死のうとしてたの!? 聞いてないんだけど!」
 ラピスの顔が引きつった。
「殿下には黙ってましたが、実はこいつ獣化が本格的にヤバくなってきてまして。禍にならないうちに公爵領の例の場所へ行ったんですよ。殿下に書いた手紙とかあったんですが、捨てときました」
「ええ……」

 二重に驚いてレイフェを見る。先ほどまではニコニコ顔だったけど、今は蕩けるような笑みだ。もともと柔和な顔立ちだけど、ここまで幸せそうな表情はみたことがない。しかも、どこを見ているのかわからない。 

「気持ち悪いだろ……もうこうなると取り付く島もない、初恋なだけにタチが悪い。おそらく陛下は今、聖女との再会妄想を楽しんでいるところだから、ラピス殿下もあまり関わらないほうがいいかと――」
 瞬間、「やった!」と声が上がる。
 ラピスは両の手でこぶしを作り、キラキラした青の瞳をレイフェへと向けた。
「傍観なんかしてる場合じゃないよ! 僕、はりきっちゃうかも」
「は……?」
「だって、僕が無理に即位しなくてもいい未来が来るかもしれないってことでしょ?」
「まぁ」とゼンメルは呟く。
 ラピスはまるで自分のことのように興奮して、にっこりと、太陽のような笑顔を作った。
「だったら、喜んで協力させてもらうよ。だいたい、僕が王になってもただの虎獣だしね。兄上みたいに神獣覚醒は起きなかったから長生きはするだろうけど、それだって平和であることが条件だ」
「殿下は王位に興味はないんですか?」
 見た目も中身も素直な王弟に、ゼンメルは往来の気安さで質問する。
 予想どおり、ラピスは口をすぼませながら、
「何度言ったらわかるのさ。僕じゃあ獣化区域(ネイジア)の暴動すら止められないよ。帝国の脅威だってあるし、大公がこっちに来てくれればまた別かもだけど……やっぱり」
 と、だんだんしかめ面になっていく。
 笑えない要素も入っていることに、ゼンメルの口が歪んだ。

「またまたご謙遜を。殿下はそこまで弱くはないでしょう」
「どうかな。最近のネイジアはね、第一騎士団でも抑えられないくらい厄介になってきてるんだよ。原因をさぐっているけれど、一向に手がかりもつかめないし……。神殿は『自然の流れですよ』って言ってるけどさ。だからといって何もしないわけにはいかないでしょ」
「おや?」とゼンメルは書類をめくるのを止め、ラピスのほうへ身体の向きを変えた。
「そんなに顕著になってきてるんです?」
 ラピスは頷く。
「うちの学者たちが訝しんでるほどにはね。獣周期が乱れてるって。季節的なことも関係してるのかなって思ったけれど、そっちは不発だった。本当に神官のいうように、これが神の思し召しなら――僕はまずいと思うんだ」
「……なるほど。ありがとうございます」
 ゼンメルはラピスに向かって、一礼した。まだ十五歳とはいえ、こんなに仕事熱心な王弟殿下がいてくれるだけでもありがたい。
 ちらりとレイフェの様子を見る。

『せめて、ラピスが王位を継げるような年齢になるまで、生きないと――』

 そんな悲観的に呟いていたこともあった、レイフェとはまるで別人のようだ。

「これもリムの思し召しか……」と口の中で呟いたとき、ラピスが耳元で聞いた。
「でさ、その聖女ってどんな子なの? 貴族? 性格はどうなのかな、兄上とうまくやっていけそう?」
「いやそれが――」
 と、ゼンメルは事の経緯を話す。
 どこぞの貴族令嬢であることは予想しているが、まだ名前すら知らない。
「秘密裏に調査は進めているのですよ。でも絞れないというか。やはり実際に会わないとってところでして」
 その瞬間、背後でガタリと音がする。
 ゼンメルは十分に声を潜めたつもりだったが、当の本人は聞き逃さなかったらしい。
 ラピスの頭の上から、まるで最初から会話をしていたように、自然にレイフェが加わった。

「手がかりがあったんだ?」
「どんな耳してんだよ」

 レイフェはラピスに微笑んでから、ゼンメルの正面に立って瞳を覗き込む。
「寄るな」と額を押されるが、レイフェは諦めない。仕方なく観念したようにゼンメルは息をつき、机の引き出しから数枚の紙を取り出した。
 それを机上にパラパラと置き、あらためて二人を見つめる。

「調べたところ、条件に会う令嬢は十名ほどだった。可能性の高そうな令嬢から調べているが、今のとこ当たってない」
 ゼンメルは一人ずつ令嬢の名をあげ、それぞれの経歴と特徴を述べる。
 十名といっても、すぐに会うというわけにはいかない。こちらからこっそり会うためには、それなりの段取りが必要なのである。
 
「獣紋夜会に出てきてくれれば楽なんだがなぁ」
 
 たぶん、そううまくはいかないだろうと、自分で言っておいて否定する。年頃の娘であれば、とうに恋人か婚約者がいるから、夜会には参加しない可能性が高い。
 ねぇ次は? と急かすラピスに応じ、ゼンメルがまた違う書類をめくる。これが最後だなと確認しながら、指をさした。

「中央街道の果て、大陸最南端のド田舎の領主、ナイロン・ルヴァン男爵家。こちらは金髪と金髪に近い髪色の娘が二人いるそうだ。名は、姉がコルオーネ。妹がアルイーネで、妹はアカデミーに在籍している。婚約はどちらもまだだが――姉のほうは妙齢だし、そろそろ結婚してもおかしくはないな」
「あ、この子。僕知ってるよ。アカデミーで見たことある。一年下の後輩だと思う」
 一枚の書類の名前部分を、ラピスが指さした。
「アルイーネ嬢か……面識があるのかい? ラピス」
 レイフェが聞くとラピスは首を振る。
「面識ってほどじゃないよ。でも悪いウワサをよく聞くんだ。ワガママで横柄、平民の生徒にきつく当たったり、物品を与えて言うことを聞かせたりしてるみたいでさ。まあ、高位貴族にはへらへらしてるって話だから、世渡りは上手そうだけど」

 一瞬、静寂がよぎる。
「あー。性格が残念なのか。男爵令嬢がイキっても、良いことないだろうになぁ」
 ゼンメルは目を半眼にしながら、ラピスの指した紙をとりあげ確認した。「猫紋」と書かれている箇所で、視線を止める。
「だよねぇ。兄上と上手くいくとは思えないから、リストから外してもいいんじゃない? 姉のほうだってそんな妹を野放しにしてる家庭なんだから、きっとよくないよ」
 ラピスは何気なく呟く。レイフェが何か言いたげに動いた瞬間、ゼンメルが先に口を開いた。

「いや、外しはしないさ。俺はレイフェの聖女が悪女でも犯罪者でもかまわないんだ。こいつを治療してくれるならそれなりの代償は払うし、結婚後に不仲でもどうってことない。ただ……」
「ただ?」
「一族としては、正妃にすることだけは口出しするかもしれない。傾国の女は、さすがにまずいからな」

 ゼンメルはレイフェを見上げる。
 冗談ともとれる口調、それでいて射抜くような強い視線だったが、レイフェは楽し気に微笑むだけだった。
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