獣紋の聖女
15 コルルへの依頼
宿で過ごして三日。依然として私ができるような仕事は見つからない。
獣紋夜会に出るためのドレスも、当然入手できそうもない――と、困っていた矢先だった。
「コルル、ちょっといいか」
お兄さまが直接宿に来て、思い詰めた表情で告げる。なんでも騎士団の方から、有償で仕事の依頼が来ているということだ。
「どうして私に?」と聞くと、先日獣化を治したコスタさんが、私の「お祈り」のことを上司に話してしまったらしい。そのため、過去に獣化してしまい、現在は行方不明になっている騎士団長を治せないかという話が出たのだそうだ。
ちょっとびっくりしてしまう。こんなお仕事の依頼は、初めてだったから。
「正直、コスタについてはなんてことを言っちまったんだって思ったよ。獣化しちまったゴットハルト団長は、気の毒には思うけどさあ」
お兄さまにしては珍しく仏頂面だ。
いくら正式な依頼とはいえ、あそこは女の子を連れて行く場所じゃないだろ、と文句を続ける。
聞けば、その騎士団長は、今は獣化区域にいるらしい。
ネイジアに住む人間は、もう自力で人間に戻れない、神殿にも獣サロンにも行けなくなった人たちが住む地域だ。
距離にして、王都から馬車で半日。入り口には高い石の壁があり、申請して門番のカギを使わなければ向こう側に行くことはできない。
さらに聞いた話だと、向こう側には獣人が住む集落がある。けれどそこも、年々荒廃化しているという――。
「もちろん、お前が依頼を受けるのなら、俺たちが護衛について行くことになるが……どうする? 断ってもいいんだぞ。むしろ断れ」
真顔でお兄さまが詰める。
「断ってもって……私が治療できる前提なんですか?」
「治療ができなくてもな、慰問扱いになるから、同行しただけで報酬は入るらしいぞ」
「いえ、そういうことではなく。その騎士団長さまは何獣なのです?」
「熊だ。もとは第一騎士団の長で豪傑な兄貴だったんだが、女が苦手だったらしい。コスタ含め、多くの騎士たちが世話になってたんだが……獣化が戻らなくなってから、まったく連絡が取れなくなったと聞いた」
「まぁ」
言葉を失ってしまう。
それは、人の心を失くして完全に獣になってしまったケースも考えられるからだ。
ふつう、人間が獣化してからは数年は理性が残っている――と言われるけれど、そこは個人差もあるので誰にも断定はできない。いつ本物の獣になってしまうのか、本人にもわからないのだ。
「心中お察しします……でも、熊獣では力になれないかもしれません。他にもっと適切な自由聖女はいらっしゃらないのですか」
「それがなぁ」とお兄さまは困ったように頭をかいた。
「もともと、ネイジアにも国営の獣サロンがあったんだよ。五年前までは機能していたらしいんだけど、ある時期に自由聖女がこぞっていなくなるって事件が起きてからはほぼ閉鎖状態になったんだ」
「えっ」
「もちろん、行方不明の原因はわからない。獣に喰われたケースも考えられるけど、証拠はない。加えて近年、あっち側は獣がますます凶暴になってるから、なかなか調査が進まないんだ」
「そんな……」
そこまで危険な場所だとは思わなかった。
もちろん、獣を倒すだけなら、騎士たちにとってさほど脅威にはならないだろう。
けれど、相手はただの動物ではない。同じ命を持った獣人である場合もある。たとえ理性を失った獣人でも、国の法律によりいろいろな調査や段階を踏まないと、安易に殺してはいけないことになっている。すなわち、殺さずに戦わねばならない――それは、騎士たちにとってかなりの負担となる。
「で、今回も騎士団から選出された有志が、ネイジアの調査に行くことになっている。もちろん行方不明の自由聖女の捜索も兼ねてだけどな。そこへ、コスタの話が滑り込んだんだ」
話が戻る。言いにくそうにしゃべるお兄さまは、先ほどから視線の先が落ち着かない。
なんとなく早口なのは聞き流してほしいという思いがあるからだろう。最後には目線を逸らした。
「というわけだ。言ったからな。ちゃんと伝えたからな、俺は」
「お兄さま、私――」
「わかった。俺から断っておくから。仕方ないよな!」
「行きますね」
「……っんでだよ!」
身をよじりながら嫌そうに首を振る。
お兄さまが心配してくれるのは嬉しい。でも、私の獣紋で熊獣を治療できるという可能性を捨てきれない。
それに、ドレスを買うためにはお金が必要だ。報酬をいただけるという話だし、なにより騎士団はお兄さまがお世話になっている。
ここは行くしかないと思う。