獣紋の聖女
 翌日、騎士団の訓練所に行くと馬車が用意されていた。
 お兄さまの話だと、騎士団は小隊に分けられて時間差で出発するらしい。

「アルイーネ・ルヴァンです。皆さまの日頃のご尽力に、心から感謝申し上げます」
 ていねいに礼をする。
 となりではお兄さまがものすごい形相で騎士たちを睨んでいる。今日の私は獣紋手袋をつけているのだから、目が合っても大丈夫なのに、あいかわらずの警戒心だ。これではお兄さまの部下の方たちが気の毒だと思う。

「アルイーネお嬢様、お心遣いに感謝いたします! お嬢様のお優しき心、コスタ・ピサは生涯忘れません!」
 コスタさんだけは、お兄さまの睨みは届いていないらしい。朗らかに私に話しかけてくれるので、苦笑しながら手を振った。
 ところで、今日も私はアルルの名を使用させてもらってる。
 万が一、トレミーに見つかったらまずいので、と事前にお兄さまと打ち合わせた結果、こうすることにしたのだ。

 やがて、待機していた馬車が移動を開始する。
 半日ほどで馬車はネイジアの入り口門へたどり着き、そこから急に重い雰囲気が漂った。
 門の外は森から始まる。ゆえに、私もここからは徒歩だ。
 お兄さまを前に無言で歩いていくと、急に森が深くなったことに気がついた。
 木々は密集し、枝葉が絡み合っているため、道はあれども太陽の光はほとんど届かない。薄暗い霧が漂う中、足音ひとつひとつが地面に響いた。

「あら……?」
 妙な気配がした。それを感じたのは私だけではないようで、即座に私の周りを騎士たちが囲む。
 突然、背後の茂みが激しく揺れ、野生の眼差しを持つ狼たちが姿を現した。
 鋭い牙を剥き出しにし、低い唸り声が喉の奥から漏れ出る。

「……なんだこいつら! 獣人か?」
 統制のとれた動き。一斉に現れた彼らは、まるで私たちが来るのを待っていたかのようだ。
「コルル、俺の背後に居ろ! 皆、ひとまず獣サロンまで行くぞ!」
 そこへ、カラスの鳴き声も聞こえてきた。何羽いるのかわからない。でも大体言ってることはわかるような気がした。
 そう――「来るな」、と叫んでいる。来たら、容赦しないぞ、とも。
「お兄さま、カラスたちが来るなって」
「わかんのかよ!?」
 わかるというより、雰囲気なのだけど。
 瞬間、茂みの中から狼たちが顔を出し、こちらを取り囲むように走り回り始める。
「斬るなよ、お前ら! 走れっ」
 団長のお兄さまの指示で、他の騎士たちは剣を抜かない。盾を使いつつ、獣へあて身をしたり、転ばせたりして距離を保つ。
 私はお兄さまに庇われつつ、茂みを走った。
 もし偶然、猫やカメレオンや牛に出会ったら、獣紋手袋をとって祈ろうと思っていたけれどそんな余裕はなさそうだった。
 全速力で走る。こんなに走ったのは、ローヴェルグ湖畔での出来事以来だ。

「もう少しでサロンがあるはずだ! それまでがんばれ!」
 幾度も獣を避けつつ、獣道を走っていく。
 騎士団の奮闘が続いて数分、ようやく私たちは道が広いところへ出ることができた。

「……一体なんなんだよ。他の騎士団からはこんな話聞いてねーぞっ」
 お兄さまが汗をぬぐう。すぐさま私のそばにきて、ケガがないかを確認したあと済まなさそうに告げた。
「ごめんな、コルル。運悪くあたっちまったらしい」
「ううん、大丈夫よお兄さま」
 ふだんから動物のお世話で動いているから、体は比較的丈夫な方だ。
 ハンカチを出し、自分の汗を拭く。あらかじめ携帯していた水筒に手をかけたところで、人垣の向こうからコスタさんの声が聞こえた。

「団長――大変です! サロン付近に大量のカラスの群れが!」
 先に国営の獣サロンを見にいってきたらしい。急いで走ってきたコスタさんが、息を切らしながらお兄さまに報告する。
「誰かいたか?」の問いに、「見えませんでした!」と首を横にふった。
 お兄さまは隊列を組みなおし、サロンのほうへ向かう。
 すると私を囲んで歩いている騎士たちの向こうに、ギャアギャアと騒いでいるカラスの群れが見えた。
「ひどいですね……カラスに埋め尽くされて先が見えない」
 隣で私の護衛をまかされていた騎士さまが呟く。
 おそらくだけど、この先にサロンがあるのだろう。
 しかしそのサロンはもう人のいる気配がなく、カラスの住処になっているらしい。
 森の中を見回すと、どうもカラスたちがサロンを中心に、円を描くように木の枝にとまっている。
 光の乏しい空にその黒いシルエットが際立ち、彼らの鋭い目が鋭利な刃物のように周囲を警戒している――ように見えた。
 
「うわあ、襲ってきた!」
 最前列の騎士が近づこうとしたらしい。その瞬間、止まっていたカラスたちは一斉に羽ばたき、鋭い鳴き声をあげて飛び立った。
「きゃ……」
 声を出す前に、カラスたちが隊の後列まで乗り出してきた。数が尋常ではない。おそらく数百のカラスたちの嘴と爪が、私たちを押し返す。
「レディ、こちらへ!」
 騎士さまがかばうように私の前に立つけれど、翼を持っている相手に人盾はあまり効果が無いように思えた。

「……え?」
 目の錯覚かな、と刮目する。今、一瞬だけ知ってる子がいたような気がした。
「まさか、キューちゃん?」
 急いで紐付きカバンから獣笛を取り出す。家でやってたように吹くと、一部のカラスが攻撃を止めた。
 その中で、キューちゃんに見える子がよれよれの旋回を始める。戸惑っている様子に、もう一度ひと吹きを加えると私の存在に気づいたのだろう、まっすぐにこちらへ飛んできた。

「キューちゃん! なんでここにいるの?」
 呼びかけはするものの、キューちゃんは人語は話せない。あの後、動物愛護協会に引き取られているとばかり思っていたのに、どうして抜け出してきちゃったんだろう。ひとまず私の肩に留まるものの、何かあせっているように翼をバサバサとはためかせる。
 怖がってるように見えたので、なだめるように話した。
「どうしたの? あなたたちを攻撃しにきたんじゃないのよ。私はね、獣化した人を治療しに来たの」
 それがわかったのか。再びキューちゃんはまた空へ飛んでってしまう。行き先は獣サロンのある方向だ。
 しばらくすると、カラスたちの攻撃が完全に止んだ。
 騎士たちがざわめき始める。騎士さまにお願いして前方に連れて行ってもらうと、それまで黒かった視界が正常に戻っている。
 
「どうなってんだ。サロンに張り付いてたカラスが、みんな離れちまった……」

 お兄さまが頬の傷をぬぐいながら呟いた。
 それまでサロンには一歩も近づけなかったのに、今は道に一羽のカラスもいない。皆、木の枝やサロンの上に留まってこちらを見張るように周りを囲んでいる。
 そこで、サロンの扉が開いた。
 驚く私たちの前で、姿を現したのは頭がカラス、体が人間の、半獣化した状態の人だった。

「……獣人か。俺が行く」

 お兄さまが団長らしくさっと手をあげる。私もそれに続こうとすると、片腕で止められた。
 私が行くところじゃないの? という目でお兄さまを見上げると、「危害を加えないとわかってからだ」と先に返答される。そうこうしているうちに、扉にいる半獣人のカラスさんの背後から別の獣人の声が聞こえた。

「――お、女の子がいるぞ! 聖女だ!」
「じゃあ、本当に討伐隊じゃないんだな!? そこのカラスが言ってた通りだ!」
「おいお前ら散れっ! 怖がらせんな!」
 
 予想外の反応だった。お兄さまも目を丸くして、彼らのことを凝視する。
 カラスの獣人の背後には、先ほど襲ってきた狼やイノシシ、ウサギなどの獣人も姿を見せたのだった。
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