獣紋の聖女
 私たちは国営の獣サロンの中へ足をふみいれる。
 騎士の方々が全員入れる広さではないので、交渉の末、私とお兄さま、コスタさんだけがサロン内へと入ることになった。
 入るなり、キューちゃんが肩に乗る。それを見た獣人の方々が、どこかほっとしたような表情に変わった。
 
「なんだ……中は綺麗じゃないか。俺はてっきり廃墟かと」
 コスタさんの呟きに、対峙した獣人の方が答える。
「ここにいるのは、まだ理性が残ってる奴らばかりだからな。いつでも自由聖女が戻ってこれるようにしてあるんだ」
 ぶっきらぼうに言うわりに、獣人の皆さんは親切だった。
 ふかふかのソファに座るよう促してくれたり、お茶を出してくれたりもする。
「ありがとうございます」と、お礼を言うと、お茶を運んでくれた首から上がアルパカになってる獣人の方が、
「いやぁ、俺たちもこんな見苦しい姿でごめんね。女の子がいるって知ってたら、身を整えるくらいはしたんだけどさ」
 と、気さくに笑ってくれた。
 よく見ると皆、顔だけ獣化しているとか下半身だけが獣化しているとか、いびつな状態の方が多い。でも私はさほど気にならないため、逆にじっと目の前のもふもふを見つめてしまう。そして、自然に触りたくなってしまう。手を伸ばしかけたとき、隣でお兄さまが咳ばらいをした。

「それで、先ほど耳にしたのだが……討伐隊って何のことなんだ? たしかに騎士団はネイジアの調査は受け持っているが、獣人を討伐するなんて命令はきいたこともないぞ」

 言った瞬間、空気が変わった。
 それまで黙っていたカラスの獣人が、低い声で話し始める。

「それを信じろと? ならネイジアの獣人墓地を見てくるといい。そこでは毎日のように王都の騎士に殺された同胞の死体が運び込まれていく」
 お兄さまの息を飲む音が聞こえる。
「なんだって……? 俺たちはそんな命を受けてないぞ。聞いたこともない!」
「それを信じろと? 白々しい。王の命令でなくて騎士が動くものか。――リムディアの王は我らを見捨てた。俺たちを助けてくれるはずの自由聖女を引き上げさせ、国益のために荒れ狂った獣人を始末する方向に切り替えたのだ」
 カラス獣人の方が言うと、他の人もそれに続いた。
「そうだ。弱者は切り捨てられる。――お前らだっていい身分なんだろう? 聖女を得られなかった俺たちのようなはみ出し者の気持ちなんかわかんねーよな!」
「俺だって人間だった頃は、国のため家族のためにがんばっていたんだぞ。――はっ、もう見る影もねーけどよ!」

 シン、と静まりかえる。
 否定する材料がない。もし、獣人たちの言うとおりなら、私たちの国の王さまは非情で残念な人なのかもしれない。そもそも獣化するのは本人の責任じゃない。……なのに、殺すなんてあんまりだと思う。
「お兄さま……」
 お兄さまはソファに座ったまま深くうなだれ、両手で頭を抱えていた。
「いや……待ってくれ。本当に、そんな命令は聞いたことがない。それに現陛下は穏やかな方と聞いているし、何か誤解がある――」
 お兄さまのくぐもった声に、獣人の低い声が重なる。
「それを証明できるのか? できないのなら、我らが譲歩することはないぞ。すでに獣人たちは団結し、王家への憎しみを募らせている」
 そこで、獣人は言葉を切る。私のほうへ目線を動かしたとたん、いくぶん柔らかな瞳になった。
「聖女よ。我々の自由聖女のつくった結界を通り抜けたということは、あなたも同等の聖力を持っているのだろう。しかし、今の時点では歓迎するわけにはいかぬのだ」
 申し訳なさそうに告げる。それからお兄さまへ視線を戻すと。
「このような話し合いは、今回が最後だ。ここは、我が自由聖女のサロンだ。帰ってもらいたい」
 強い口調にドキッとした。
 この人たちがウソを言うとは考えにくい。消えた自由聖女のことも、私に対する扱いを見れば、獣人たちが言うことのほうが真実のように思える。
 でも……。
 万が一、誤解だったらと望みを抱かずにもいられない。
 
「うん?」
 黙っていると、肩にいたキューちゃんがソファのところまで降りて、私の手をつついていた。
 くちばしで獣紋手袋を引っ張っている。千切れそうなくらい勢いが強い。
「キューちゃん? だめよ、これは大事なものなの」
 引き離そうとすると、バサバサと翼を動かして抵抗する。なおも手袋をとろうとするので、どうしたのかなと疑問に思った。
「……あ、お祈りしなさいってこと?」
 カァと鳴き声が響く。
 お兄さまとコスタさん、それと獣人の方々が無言でこちらを見つめているのを感じとり、立ち上がった。

「あの……せっかくですし、自由聖女のようにはいかないのですが、退出する前に皆さんのことを祈らせていただいてもよろしいですか?」

 妙な気配が漂った。和んだ顔をする獣人や、哀しそうな瞳を向ける男性。皆が顔を見合わせ、「祈り」と口々に言い合う。
 この方々にとっては、聖女の祈りすらもう昔の話になっているのかもしれない。自由聖女がいなくなって五年――獣化に伴う痛みを、癒してくれる機会はなかったはずだ。
「気持ちは嬉しいが……聖女よ、我々はもう――」
 皆を代表して、カラス獣人の方が答える。それに被せるようにしてお兄さまが言った。
「いいな、祈ってくれ。簡略したものじゃなくて、神殿の神子がやるような正式なやつでな」
 お兄さまが私を見ない。ここで私が祈って何になるのか。気休めにしかならない祈りで、とりあえず話を終わりにしたいのか――意図が見えないまま、獣紋手袋をはずす。
 私は目を閉じ、ていねいに祈りの文言を唱えた。
 
『猫神リムよ、貴女の慈愛と光で、この世を照らし給え。
 我が心を清め、正しき道を示し給え。
 困難に立ち向かう力を我に授け、貴女の名のもとに、全ての者に安らぎをもたらさんことを。
 竜神グランディスよ、貴方の深き静寂にて、我を包み給え。
 迷いし魂に道を示し、隠された真実を我に啓示し給え。
 全ての影を取り払い、貴方の名のもとに、我が祈りが届かんことを――』

 この祈りはリムディア国の女性なら誰でも唱えることができる。幼少のころから暗唱できるまでしつこく覚えさせられ、年頃になって恋人ができたときには必ず唱えるから、忘れたくても忘れられない唄になっているのだ。
 一言一句、間違えずに祈りを終えると、視界が急に明るくなった。
 左手の甲から金の光が放出する。それに驚いて目を見開いてしまった。

「獣紋が……増えた?」
 ぎょっとする。でも見間違いじゃない。たしかに紋が増えている。
 増えたというより、複雑な紋であった部分からひとつだけ独立し、これまでの獣紋に連なったというのが正しい言い方かもしれない。
「お兄さま、これって――」
 思わず、お兄さまを振り向く。その際にこちらを見つめていた獣人の方々と、ことごとく目が合ってしまった。
 
「あっ」

 治癒の光に加え、トランスインプレッションの光がサロン内に満ちる。
 本当は音なんかない。
 でも破壊音が確実に脳内に響いたように思う。

 ピンク、ピンク、金、銀、白。さまざまなプリズムがサロン内を照らし、夢の中に引き込まれたような錯覚を起こした。


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