獣紋の聖女
「おい、コルル……お前、魔性の女か……?」
お兄さまは、ソファに座ったまま私を見ない。焦点の定まらない瞳で、遠くを見つめているようだ。
「……」
「全員とトランスインプレって、お前の獣紋はどうなってんだ……? 俺は血が近いから免れてるが……どうするんだ、これ?」
「……」
「あとさ……気づいてるかと思うけど――人間に戻ってるんだよなぁ……。お前、聖女ランクさぁ」
「……ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて」
とりあえず、しずしずと獣紋手袋をはめなおす。
はめたところで、トランスインプレッションの光は消えないと知っていても、あまりの申し訳なさでこうせずにはいられない。
やがて、自らの姿が変わったことに気づいた獣人の方々が、その場に立ち尽くし、「ウソだろ……」と互いの姿を確認し始める。
しばらくすると、皆が人間となった姿に狂喜し、叫びはじめる。最後に涙を流して仲間と抱き合うまで、私とお兄さまは無言で見守った。
「――レディ。あなた様はなんという聖女……いや女神の化身か。これまでの数々の御無礼、どうかお許しいただきたく」
カラス獣人の方が足元に跪く。
それにつられ、他の獣人の男性たちも、次々に床に片膝をついた。皆、額を床にこすりつける勢いだ。
「本当に、失礼した。我らを治療しにきてくださった聖女を、討伐隊などと誤解したことを申し訳なく思う。まさか、これほどまでの力をお持ちとは……追い返そうとした自分が恥ずかしい」
「あらためて、騎士の方に問いたい。こちらの聖女さまはいずこの――」
「はいそこまで。質問はそこまでにしてもらいたい。あと、俺の妹を見るな」
「隊長……アルイーネ嬢が……あああ!」
「コスタ、お前もか……トランスインプレの餌食か」
「お、おおれれれおれ、アルイーネ様を娶って幸せにいいい!」
「やらんわ! 寄るな!」
ゴンと硬い音がする。暴力はいけないことだけど、今すぐ私めがけて飛びついて来そうなコスタさんを止めるためには、こうするしかないのかもしれない。
元はといえば私のせいなので、申し訳なく思う――けど、口出しできない。
お兄さまはあたりを見回し、私を騎士の外套で隠しながら立ちあがった。
「とりあえず、俺たちは帰路につくが、その前に願いがある。ネイジアの獣人たちよ、もし俺の妹に恩義を感じてるのなら聞いてほしい」
皆さんが静まる。
「――我が妹アルイーネは、聖力はみての通りだがまだ正式に神殿での登録がされていない。ゆえに、このような治療を無断でやったと明るみに出れば、咎めがあるだろう。今回は偶然に起きてしまった出来事として、秘密にしていただけないか」
すぐさま、「もちろん」、「レディのためなら」――と声が上がる。こういうことを言ってくれるあたりさすがお兄さまだなぁと感心していると、奥にいた山羊獣の方が手を挙げた。
「いや待ってくれ。もちろん秘密にするが……その代わりにひとつ頼みがある」
チッとお兄さまが舌うちした。
「見ての通り、今は求愛期の状態だから帰ってくれてかまわない。我ら一同、レディが愛おしくてたまらないゆえ、迷惑をかけてしまうだろうからな。だが――時が過ぎればこのやっかいな感情を理性で抑えることもできよう。ネイジアの入り口まで迎えを寄越すから、ぜひまた来てくれないか」
お兄さまは、まるでこうなることを予想していたかのように、ため息をつく。なおも山羊獣の方は続けた。
「ここにはまだ獣化で苦しんでいる仲間がたくさんいる。来てくれるなら俺たちが命をかけてレディを守ろう。なんならここに住んでもらっても構わない。自由聖女が使っていた私室もあるし……頼む、もう俺たちにはレディしかいないんだ」
「悪いが。それは、俺たちの仕事では――」
あ、断るつもりだ。
とっさに私はお兄さまの外套をひっぱり、耳元で「ちょっと待ってください」とお願いする。
今の話、悪くはないと思ってしまった。
たしかに、トランスインプレッション後の状態は難がある。でもそのあとなら、と考えると……。
「あの、お兄さま。数日後にまた来るとして……そのときは、そのままこちらでお世話になってはいけませんか? もともと自由聖女が住みこみで働いていたサロンですし、私に使わせていただけたら、皆さんの治療もできますし」
「……お前はバカか? 理性のある人間の男なら安心だとでも思ってんのか? どいつもこいつも獣以上の獣と化すぞ?」
わりと失礼なことを言ってるけれど、たぶん声は届いてないだろう。
「ここの方々は無体なことはしないと思うわ。トレミーに捕まる恐れがある街より、ずっと安全じゃないかしら? それにまだ、例の騎士団長さまにも会ってないですし」
む、とお兄さまは口をつぐむ。
すぐには返事をせず、「保留としよう、とりあえず帰るぞ」と話を切った。
「では、十日後にまた来る」
お兄さまは私を隠しつつサロンを出る。
コスタさんにはもちろん、今回の件を内緒にしてもらうようお願いしたのだった。
お兄さまは、ソファに座ったまま私を見ない。焦点の定まらない瞳で、遠くを見つめているようだ。
「……」
「全員とトランスインプレって、お前の獣紋はどうなってんだ……? 俺は血が近いから免れてるが……どうするんだ、これ?」
「……」
「あとさ……気づいてるかと思うけど――人間に戻ってるんだよなぁ……。お前、聖女ランクさぁ」
「……ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて」
とりあえず、しずしずと獣紋手袋をはめなおす。
はめたところで、トランスインプレッションの光は消えないと知っていても、あまりの申し訳なさでこうせずにはいられない。
やがて、自らの姿が変わったことに気づいた獣人の方々が、その場に立ち尽くし、「ウソだろ……」と互いの姿を確認し始める。
しばらくすると、皆が人間となった姿に狂喜し、叫びはじめる。最後に涙を流して仲間と抱き合うまで、私とお兄さまは無言で見守った。
「――レディ。あなた様はなんという聖女……いや女神の化身か。これまでの数々の御無礼、どうかお許しいただきたく」
カラス獣人の方が足元に跪く。
それにつられ、他の獣人の男性たちも、次々に床に片膝をついた。皆、額を床にこすりつける勢いだ。
「本当に、失礼した。我らを治療しにきてくださった聖女を、討伐隊などと誤解したことを申し訳なく思う。まさか、これほどまでの力をお持ちとは……追い返そうとした自分が恥ずかしい」
「あらためて、騎士の方に問いたい。こちらの聖女さまはいずこの――」
「はいそこまで。質問はそこまでにしてもらいたい。あと、俺の妹を見るな」
「隊長……アルイーネ嬢が……あああ!」
「コスタ、お前もか……トランスインプレの餌食か」
「お、おおれれれおれ、アルイーネ様を娶って幸せにいいい!」
「やらんわ! 寄るな!」
ゴンと硬い音がする。暴力はいけないことだけど、今すぐ私めがけて飛びついて来そうなコスタさんを止めるためには、こうするしかないのかもしれない。
元はといえば私のせいなので、申し訳なく思う――けど、口出しできない。
お兄さまはあたりを見回し、私を騎士の外套で隠しながら立ちあがった。
「とりあえず、俺たちは帰路につくが、その前に願いがある。ネイジアの獣人たちよ、もし俺の妹に恩義を感じてるのなら聞いてほしい」
皆さんが静まる。
「――我が妹アルイーネは、聖力はみての通りだがまだ正式に神殿での登録がされていない。ゆえに、このような治療を無断でやったと明るみに出れば、咎めがあるだろう。今回は偶然に起きてしまった出来事として、秘密にしていただけないか」
すぐさま、「もちろん」、「レディのためなら」――と声が上がる。こういうことを言ってくれるあたりさすがお兄さまだなぁと感心していると、奥にいた山羊獣の方が手を挙げた。
「いや待ってくれ。もちろん秘密にするが……その代わりにひとつ頼みがある」
チッとお兄さまが舌うちした。
「見ての通り、今は求愛期の状態だから帰ってくれてかまわない。我ら一同、レディが愛おしくてたまらないゆえ、迷惑をかけてしまうだろうからな。だが――時が過ぎればこのやっかいな感情を理性で抑えることもできよう。ネイジアの入り口まで迎えを寄越すから、ぜひまた来てくれないか」
お兄さまは、まるでこうなることを予想していたかのように、ため息をつく。なおも山羊獣の方は続けた。
「ここにはまだ獣化で苦しんでいる仲間がたくさんいる。来てくれるなら俺たちが命をかけてレディを守ろう。なんならここに住んでもらっても構わない。自由聖女が使っていた私室もあるし……頼む、もう俺たちにはレディしかいないんだ」
「悪いが。それは、俺たちの仕事では――」
あ、断るつもりだ。
とっさに私はお兄さまの外套をひっぱり、耳元で「ちょっと待ってください」とお願いする。
今の話、悪くはないと思ってしまった。
たしかに、トランスインプレッション後の状態は難がある。でもそのあとなら、と考えると……。
「あの、お兄さま。数日後にまた来るとして……そのときは、そのままこちらでお世話になってはいけませんか? もともと自由聖女が住みこみで働いていたサロンですし、私に使わせていただけたら、皆さんの治療もできますし」
「……お前はバカか? 理性のある人間の男なら安心だとでも思ってんのか? どいつもこいつも獣以上の獣と化すぞ?」
わりと失礼なことを言ってるけれど、たぶん声は届いてないだろう。
「ここの方々は無体なことはしないと思うわ。トレミーに捕まる恐れがある街より、ずっと安全じゃないかしら? それにまだ、例の騎士団長さまにも会ってないですし」
む、とお兄さまは口をつぐむ。
すぐには返事をせず、「保留としよう、とりあえず帰るぞ」と話を切った。
「では、十日後にまた来る」
お兄さまは私を隠しつつサロンを出る。
コスタさんにはもちろん、今回の件を内緒にしてもらうようお願いしたのだった。