獣紋の聖女
「眠い……」
 サロンでの生活は数日間、順調だった。ある一点を除いては。
 連日患者さんが列をなし、日が暮れるまで治療の祈りをした。評判が評判を呼んでいるらしく、ネイジアにある集落からわざわざ日をまたいで訪れる獣人も少なくはない。
 いったい何種類の獣化を治しただろう。
 アルパカ、シマリス、猪、狼、フェネック、カワウソ、コウモリ、カピバラ、デグー、豚、梟、ペンギン……思い出すときりがない。哺乳類がほとんどだったけれど、今のところ鳥類も治療ができている。本当にさまざまな種類の動物たちがやってくるので、未だに自分の獣紋の正体はわからない。

 この間、思い知ったことといえば、聖力は無限ではないらしいということ。
 いえ、聖力は枯れることはないのだけど、使えば使うほどこちらが眠くなってしまい、体力が続かないことがわかったのだった。

「レディ、あまり無理をしないでくれ。以前ここにいた自由聖女も、祈りは一日三十人までと決めていた」

 休憩室で休んでいると、ニコロさんが肩掛けを持って来てくれる。三十人……たしかに聖力の消耗具合を考えるとそれくらいのほうがいいかもしれない。
「あの、以前ここにいた自由聖女って、どんな方だったのですか?」
 働くようになって数日だけど、獣人だった皆さんが「まるで俺たちのサリアナさまが帰ってきたようだ」って口々に呟いていたのが気にかかっていた。それほどまでに皆に慕われている聖女がいたこと、そして行方不明になってしまったことも含めて、知りたかった。
 ニコロさんの後ろからアルパカ獣のサンモアさんがひょこっと顔を出す。

「サリアナさま……お優しい方だったなぁ。伯爵家の令嬢だってのに、ローヴェルグ公爵令息との婚約を延期してまで、自由聖女として働いてくださったんだ」
「ああ、俺たちにとっては女神のような人だったな……もちろんレディにも感謝してるけどさ」

 そういえば、王都に来る途中、公爵領の近くを通ったことを思い出す。
 ローヴェルグといえば、リムディア王国でも屈指の名門、現宰相である公爵も非常に優秀な御方だと聞いている。
 そんな公爵家のご子息が、自由聖女のサリアナさまと婚約していた……という認識でいいのかなと思いつつ、もう少し詳しく質問してみることにした。
「どうして、サリアナさまは婚約を延期されたのです?」
 すると、周りを囲んでいた獣人たちがみな、うつむいた。
「……サリアナさまはさ、なるべく聖力を維持したまま皆を治療したいっておっしゃってたんだ。ほら、女性は結婚すると聖力が落ちるっていうだろ? だからせめて二十歳になるまでは自由聖女としてここで働きたいって」
 鹿獣のリバールさんが答えてくれる。
 それを聞いて、「まぁ……」と声が漏れてしまう。なんて心根の優しい方なのだろう。
 貴族令嬢なら高位貴族との婚約が決まればそちらを優先するのがふつうだ。なのに、あえて延期までして――というあたり、慈愛の心がうかがえる。
「素晴らしい女性なのですね。お会いしてみたかったな」
 呟くと、皆はぱっと笑顔になった。
「ここのサロンの結界もさ、サリアナさまが張ってくれたんだ。隣国の血筋が入ってるらしくて、鳥紋の力を使ってると言ってた。おかげで俺たちは、王都からの討伐隊におびえることなく暮らせるようになったんだ」

「王都からの討伐隊」の言葉に、お兄さまが顔を歪める。
 獣人墓地にこっそり見に行ったところ、死体が運ばれてくるのは本当だったようで、依然としてこの件は調査中らしい。
「そうでしたか。教えてくださってありがとう。……では休憩はこのへんにして、治療を再開しましょうか」
 話題をそらそうと休憩を切り上げる。ちょうど午後からの治療を始めるタイミングだった。
 
「……どうしました?」
 次の方どうぞ。と言いかけてやめた。
 治療室のカーテンの向こう側が急に騒がしくなったからだ。扉の開閉音、男性の怒号、女性の悲鳴みたいな声が同時に聞こえる。お兄さまがすぐに反応し、私の前に立ったのはいいとして――。
「女性?」
 ここで女性の声を聞くのは珍しい。獣化した患者さんの付き添いだろうか。音が近づいてくると、「頼むよ、もう死にかけてるんだ! 情報屋に聞いたんだ、ここに自由聖女がいるんだろ!?」とせっぱつまったような台詞が聞こえる。
 ザッと、カーテンが開かれた。
 その向こうにいたのはやはり女性で、目には今にも溢れ出そうな涙をためている。

「聖女さま! 急ぎで頼みたいんだ!」
 その瞬間、対峙した私と女性が同じような顏になる。見覚えがあった。この身長の高さと艶のある巻き毛、快活な瞳に、はきはきとしたしゃべり方――。
「え……その髪、もしや」
「あ……? も、もしかして?」
 黙っていればわからない、とは思えない。この変装用のウィッグはこの方から買ったものだから、きっと一目でバレてしまっただろう。
「あなた、あのときの、コル……」
「あ、あの、どうぞこちらへ!」

 乗合馬車でお世話になった、女商人のジュレさんだった。
 ジュレさんは、今にも倒れそうなほどに青白い顔をしていた。
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