獣紋の聖女

17 神獣の血

「僕の聖女が死にかけてるって、どういうこと?」
 レイフェの顔が珍しく強張った。

 ――いや、ちがうだろ。誰も「お前の」聖女とは言ってない。聖女候補に挙がってる娘が、瀕死だということで報告をしただけだぞ俺は。……とゼンメルは胡乱な目で告げる。ちゃんと順を追って伝えたはずなのに、どうして曲解されてしまうのか不思議でならない。

「なんでいきなり、とか言うなよ。調査の結果をいちいちお前に報告していたら政務が滞るから、わざと黙っていたんだ。あと、正確には十名の候補のうち、あと二人は会ってない。すなわち、お前の探す聖女がコルオーネなのか、アルイーネなのかは未だ不明だ」
「へー、さすがゼンメル。もうあと二人に絞ったんだ?」

 隣から口をはさむのはラピス王弟殿下だ。てっきり、自分が朝一番にレイフェの自室にきたと思ってたが、殿下は殿下で急ぎの用事があったらしい。
 ちょうどラピスが報告している最中に、ゼンメルが入ってきたという形になった。
 レイフェが黙る。その傍らで、ゼンメルはラピスに説明を続ける。

「ああ。最初は変装なんかして怪しい女だと思ったが……俺の部下の報告によると獣サロンで慈善活動をしていたらしい。その評判を聞く限りでは見て例の聖女で間違いないと思う」
「え、何、その話。詳しく」とラピスが距離を詰める。
 そこへ、レイフェが割って入った。
「話は分かったよ、ゼンメル。急いで地下室へ移動しよう。ちょうど獣周期だし、いつものように身体を痛めつければ獣になるのは難しくない」

 間があった。ふつう、獣化とは獣周期に自然に起きるものだ。しかし、体を極限まで痛めつけることによって闘争本能を引き起こし、獣化を可能にする者もいる。
 ただし、死に至るほどの痛みを受ける必要があるため、本当に死ぬ者もいるというのがこのやり方の難点でもある。そこを超えられるかどうかは個人差であり、才能といってもいい部分だが、リムディアの王族ではできる者のほうが多かった。
 ラピスが不安げに眉を寄せる。
「……兄上、神獣になれば、もう戻れないんじゃあ」
 そう。自分で獣化の限界を感じたから――『意識的な旅立ち』(コンシャス・デパーチャー)をグリオーニ湖畔で行ったのではないか。と言いたいのをこらえた。
 もちろん、その意味はレイフェにも伝わったらしい。
 レイフェはラピスの傍に寄り、まだ若い弟の頭をそっと撫でた。
「心配はいらないよ。少し前、あの子に祈ってもらったからね。まだ人間に戻れる自信はある」
「兄上」
 ほんと? という瞳でラピスはレイフェを見つめる。レイフェは頷き、視線をゼンメルへと向けた。
「ただ、後のことは頼む。僕の血なんか搾り取ってくれてかまわない。その代わり必ず、あの子を助けて」
「ああ、お前の血は、貴重な外交カードだ。極限まで痛めつけてから、ありがたく抽出させてもらうさ」
 手袋を取り出し、装着する。ゼンメルの口元が歪んだ。

 リムディア王国に伝わる『神獣の血』は、人体に対してはどんなケガも毒も治す特効薬となっている。
 先祖代々、この類まれな血のおかげで、リムディアは他国に蹂躙されない歴史を綴ってきた。
 ただし、効力が出るのは王族が獣化し、神獣となったときの血だけ。
 その血の効能は長くは持たないため、獣周期に獣化した際には必ず腹心の手によって血を抽出することが定められていた。

「じゃ、やるか」
 ゼンメルは王の自室にある呼び鈴を鳴らし、侍女を呼ぶ。
 何ごとかと駆けつけた侍女に、「これから抽出の儀を始める。父上に伝えよ」とだけ告げ、自らはそのまま退出していく。
 残されたレイフェは、ラピスの肩に手を置いた。
「しばらくの間、王宮を頼むよ。何かあれば宰相を頼るといい」
 素直にラピスは頷く。それから何か思いついたように、青い瞳をキラキラとさせた。

「ねぇ、兄上。僕もその聖女に会っておきたいな。提案なんだけど、その子が回復するまで王宮で預かるのはどう? そのほうが兄上も安心するだろうし」
 レイフェは首を振る。
 てっきり賛同を得られると思っていたのに、と、ラピスは口を尖らせた。
「彼女にはこれまでの生活や人間関係がある。自分の欲で連れてきたら、どこかおかしくなってしまうよ。彼女が自ら来てくれる時を待たないと」
「……兄上は、王に向いてないよね」
 ラピスは瞳をぐるりとまわした。自分の提案は間違ってないと思う一方、兄の言うこともわからなくはないといった風情だった。


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