獣紋の聖女
18 おかしな猫さん
その後、ジュレさんの案内で私は再び寝室へと戻ることにした。
こんな乱れた格好でお客様に会うのは失礼だし、何より自分が恥ずかしい。さっきはお兄さまの危機だからとつい飛び出したけど――……わりと大胆なことをしてしまったと後悔する。お兄さまの何ともいえない表情も気になるし、はしたないと後で怒られるだろう。
「コルルさん、しばらく休んでてね。私はお客の相手で隣の部屋にいるよ」
「はい」
ここへ来てから丸二日。ベッドの中からジュレさんと話していた内容を思い返す。
私の聖女の祈りは、まったく効力はなかった。さらにその後、マッピオさんの口針に刺されてしまい、毒にうなされたことまではなんとなく覚えている。
しかし一方で、マッピオさんはみるみるうちに回復し、人間の姿を取り戻したという。
私は何もしていない。なのに、ジュレさんの中では私の聖女の祈りが、時間差で効いたことになってるらしい。
(そんなはずないと思うのだけど)
サイドテーブルに用意されていた洗濯済みの自分の服が目に留まる。今、着ている寝着は、ジュレさんが着替えさせてくれたのだろう。途中で血を吐いたのか、じんわりと痕が残っている。
服を着替え、傍にあった自分の獣紋手袋へと手を伸ばす。
今回は、獣紋は少しも光らなかったなぁと思いながら何気なく手の甲を確認すると――息をのんだ。
「……増えてる……?」
思わず瞬きをしてしまった。
獣紋が五つに増えている。カメレオン紋、猫紋、鳥のような紋、それから複雑な紋、ともう一つ、蝶のような紋。さらにいうと、猫紋の上にあった傷のようなものはしっかりと星形の痕になり、複雑な紋だったほうは線の数が減っている。
よくわからない。でも五つに増えたということは、聖女ランクが5だということを示している。
ランク5で神殿に報告しないのは、さすがにまずい気がした。
(どうしよう、すぐにお兄さまに相談したいけど……)
今、兄は皆と一緒に隣の部屋にいるはずだ。
休んでていいと言われたけれど、これでは気がせいて休むどころではない。
身づくろいを終え、急いで客間へ向かう。ノックをすると中からジュレさんが出てくると思いきや、現れたのはゼンメルさまだった。
「休まなくてよろしいのですか、レディ」
びっくりした。まるで私が来ることを予想していたように、開けたあとの間がなかった。
「どうしても、兄に相談したいことがございます。……お邪魔でしょうか?」
「まさか」とにこりと笑いながらゼンメルさまは中へと促してくれる。すると、部屋の奥から聞き覚えのない声が上がった。
「あ、ゼンメルだけズルいな~。聖女さんと仲良くなってるし!」
身なりのいい男の子が、ゼンメルさまに声をかける。
アルルと同じくらいの年の子だ。陽の光のような金髪がひときわ眩しく見える。私と目が合うと、人懐っこそうな笑みを浮かべ、こちらへと寄ってきた。
「はじめまして、聖女さん。無事に回復してよかった」
笑顔で手を差し出された。おそらくゼンメルさまの知り合いなのだろう。自分の名をカーテシーと合わせて伝え、手を重ねる。
すると、その男の子は無言のまま、私のことをじっと見つめた。
(な、なんでしょうか……?)
顔をあげられなくて困ってしまう。しばらくうつむいてると、横からゼンメルさまが助け舟(?)を出してくれた。
「失礼、ラピスさま。今あちらとは、どのへんまで話がいってます?」
ああ、とようやく私から視線が外れ、ほっとする。
「それがさぁ。ここの商人がさ、買った覚えのない薬の瓶が転がっているっていうんだよ。念のため、獣化しちゃった旦那のほうにも聞いてみたけどさ。やっぱ知らないっていうんだ」
その台詞に、客間の奥で聞いていたジュレさんとその伴侶――マッピオさんは委縮する。
マッピオさんが言うには、「獣化する前は記憶がない」とのことだった。獣周期でもないのに、身体がおかしいので念のためにポーションを飲んだという。その後、自分がわからなくなったらしい。
「ま、この二人に協力してもらうってことで話はまとまったからさ。城の学者と連携して調べるし、ネイジアの件も合わせて調査を進めることにするよ。僕の用事はここで終わりだから、あとはレディをまかせるね」
「承知いたしました」
私にはよくわからない会話だったので、お兄さまを見つめる。ところがお兄さまも詳しくはないのか、そっと肩をすくめた。
「――さて、レディ。多少なりとも回復されたのは喜ばしいが、まだ安静にしていた方がいい。ご事情はあとでまとめてご兄弟に聞くとして……よろしければ私の邸に招待しますが、いかがでしょう」
「えっ?」
思いがけない提案にびっくりしてしまう。なぜゼンメルさまはここまで良くしてくださるのだろう。
兄を見れば、白目だ。ぼやけたカピバラのように動かない。
小声で理由を聞いてみたけれど、「すまん、口止めされた……」と頼りない返事がきただけだった。
ということは、ゼンメルさまにも事情があるのだろう。兄がこうなるくらいだ。あまり図々しくかかわってはいけない人なら、やはり断るのが筋だと思える。
呼吸を整え、改めて頭を下げた。
「ご配慮、ありがとうございます。ですがネイジアのサロンにはまだ私の治療を待っている方々がおります。ゆえに、一刻も早く戻らなくてはなりません。ゼンメルさまのご恩情に感謝いたします」
返答がない。
断ったことに怒ってしまったのかと思い、そろそろと顔をあげると、ゼンメルさまはわずかに笑みを浮かべていた。
「あの……?」
口元は笑っている。でも瞳は静かな湖面のように凪いでいて、私を見ているようで見ていない。
戸惑っていると、
「自由聖女は皆、同じことを言うんだな」
と呟いたのが聞こえた。
けれど、その表情はほんの一瞬で、ゼンメルさまはすぐに元の表情に戻る。
「承知しました。あなたのためにサロンまでの馬車をご用意いたしましょう。しかし、今日一日だけはどうか王都の宿でご静養を。そこで問題がなければ、後日ネイジアまでお送りいたしましょう……騎士ナヴァール」
「はっ」
お兄さまは直立不動の姿勢になる。
「お前はこっちだ」と笑顔のゼンメルさまに、上ずった声で「はい!」と返答するのだった。
「じゃあね、コルルさん。うちの旦那を助けてくれて、本当にありがとう。この恩をどう返していいか」
別れ際。ジュレさんがもう何度言ったかわからないお礼を繰り返した。
「ほんとにねぇ……悪かったよ。ごめんな。俺っちが毒針を刺したせいで苦しませてさあ……。今後は仲間を集めて、ラピスさまに協力することにしたから、許しておくれね。ちなみに、金はないから慰謝料は勘弁ね」
タガメ獣のマッピオさんは、細身の体をさらに細くしならせながら頭を下げる。となりのジュレさんがマッピオさんの背をたたいた音が聞こえた。
「そんな……獣化してるときのことですし、気になさらないでください」
理性を失くして誰かを傷つけてしまった……それは本人が一番傷ついているはずだ。いくら毒を受けたとしても、責める気にはならない。
「強い毒でなかったみたいだし、私も回復しましたし。今後もし獣化で苦しむようでしたらまた呼んでくださいね」
と言って別れようとすると、二人は微妙な顔をした。
一呼吸おいて、マッピオさんが「人を殺せるくらいの強い毒のはずなんだけどなぁ……。お嬢ちゃんみたいなか弱い子なら死――」と言いかけた瞬間、またもや、ジュレさんの平手が彼の背にとんだらしい。今度は力が強かったらしく、そのままマッピオさんは前のめりに倒れる。
ジュレさんは「じゃあね」と明るく手を振った。頭から倒れたマッピオさんも、顔だけをあげてにかりと笑っていた。
こんな乱れた格好でお客様に会うのは失礼だし、何より自分が恥ずかしい。さっきはお兄さまの危機だからとつい飛び出したけど――……わりと大胆なことをしてしまったと後悔する。お兄さまの何ともいえない表情も気になるし、はしたないと後で怒られるだろう。
「コルルさん、しばらく休んでてね。私はお客の相手で隣の部屋にいるよ」
「はい」
ここへ来てから丸二日。ベッドの中からジュレさんと話していた内容を思い返す。
私の聖女の祈りは、まったく効力はなかった。さらにその後、マッピオさんの口針に刺されてしまい、毒にうなされたことまではなんとなく覚えている。
しかし一方で、マッピオさんはみるみるうちに回復し、人間の姿を取り戻したという。
私は何もしていない。なのに、ジュレさんの中では私の聖女の祈りが、時間差で効いたことになってるらしい。
(そんなはずないと思うのだけど)
サイドテーブルに用意されていた洗濯済みの自分の服が目に留まる。今、着ている寝着は、ジュレさんが着替えさせてくれたのだろう。途中で血を吐いたのか、じんわりと痕が残っている。
服を着替え、傍にあった自分の獣紋手袋へと手を伸ばす。
今回は、獣紋は少しも光らなかったなぁと思いながら何気なく手の甲を確認すると――息をのんだ。
「……増えてる……?」
思わず瞬きをしてしまった。
獣紋が五つに増えている。カメレオン紋、猫紋、鳥のような紋、それから複雑な紋、ともう一つ、蝶のような紋。さらにいうと、猫紋の上にあった傷のようなものはしっかりと星形の痕になり、複雑な紋だったほうは線の数が減っている。
よくわからない。でも五つに増えたということは、聖女ランクが5だということを示している。
ランク5で神殿に報告しないのは、さすがにまずい気がした。
(どうしよう、すぐにお兄さまに相談したいけど……)
今、兄は皆と一緒に隣の部屋にいるはずだ。
休んでていいと言われたけれど、これでは気がせいて休むどころではない。
身づくろいを終え、急いで客間へ向かう。ノックをすると中からジュレさんが出てくると思いきや、現れたのはゼンメルさまだった。
「休まなくてよろしいのですか、レディ」
びっくりした。まるで私が来ることを予想していたように、開けたあとの間がなかった。
「どうしても、兄に相談したいことがございます。……お邪魔でしょうか?」
「まさか」とにこりと笑いながらゼンメルさまは中へと促してくれる。すると、部屋の奥から聞き覚えのない声が上がった。
「あ、ゼンメルだけズルいな~。聖女さんと仲良くなってるし!」
身なりのいい男の子が、ゼンメルさまに声をかける。
アルルと同じくらいの年の子だ。陽の光のような金髪がひときわ眩しく見える。私と目が合うと、人懐っこそうな笑みを浮かべ、こちらへと寄ってきた。
「はじめまして、聖女さん。無事に回復してよかった」
笑顔で手を差し出された。おそらくゼンメルさまの知り合いなのだろう。自分の名をカーテシーと合わせて伝え、手を重ねる。
すると、その男の子は無言のまま、私のことをじっと見つめた。
(な、なんでしょうか……?)
顔をあげられなくて困ってしまう。しばらくうつむいてると、横からゼンメルさまが助け舟(?)を出してくれた。
「失礼、ラピスさま。今あちらとは、どのへんまで話がいってます?」
ああ、とようやく私から視線が外れ、ほっとする。
「それがさぁ。ここの商人がさ、買った覚えのない薬の瓶が転がっているっていうんだよ。念のため、獣化しちゃった旦那のほうにも聞いてみたけどさ。やっぱ知らないっていうんだ」
その台詞に、客間の奥で聞いていたジュレさんとその伴侶――マッピオさんは委縮する。
マッピオさんが言うには、「獣化する前は記憶がない」とのことだった。獣周期でもないのに、身体がおかしいので念のためにポーションを飲んだという。その後、自分がわからなくなったらしい。
「ま、この二人に協力してもらうってことで話はまとまったからさ。城の学者と連携して調べるし、ネイジアの件も合わせて調査を進めることにするよ。僕の用事はここで終わりだから、あとはレディをまかせるね」
「承知いたしました」
私にはよくわからない会話だったので、お兄さまを見つめる。ところがお兄さまも詳しくはないのか、そっと肩をすくめた。
「――さて、レディ。多少なりとも回復されたのは喜ばしいが、まだ安静にしていた方がいい。ご事情はあとでまとめてご兄弟に聞くとして……よろしければ私の邸に招待しますが、いかがでしょう」
「えっ?」
思いがけない提案にびっくりしてしまう。なぜゼンメルさまはここまで良くしてくださるのだろう。
兄を見れば、白目だ。ぼやけたカピバラのように動かない。
小声で理由を聞いてみたけれど、「すまん、口止めされた……」と頼りない返事がきただけだった。
ということは、ゼンメルさまにも事情があるのだろう。兄がこうなるくらいだ。あまり図々しくかかわってはいけない人なら、やはり断るのが筋だと思える。
呼吸を整え、改めて頭を下げた。
「ご配慮、ありがとうございます。ですがネイジアのサロンにはまだ私の治療を待っている方々がおります。ゆえに、一刻も早く戻らなくてはなりません。ゼンメルさまのご恩情に感謝いたします」
返答がない。
断ったことに怒ってしまったのかと思い、そろそろと顔をあげると、ゼンメルさまはわずかに笑みを浮かべていた。
「あの……?」
口元は笑っている。でも瞳は静かな湖面のように凪いでいて、私を見ているようで見ていない。
戸惑っていると、
「自由聖女は皆、同じことを言うんだな」
と呟いたのが聞こえた。
けれど、その表情はほんの一瞬で、ゼンメルさまはすぐに元の表情に戻る。
「承知しました。あなたのためにサロンまでの馬車をご用意いたしましょう。しかし、今日一日だけはどうか王都の宿でご静養を。そこで問題がなければ、後日ネイジアまでお送りいたしましょう……騎士ナヴァール」
「はっ」
お兄さまは直立不動の姿勢になる。
「お前はこっちだ」と笑顔のゼンメルさまに、上ずった声で「はい!」と返答するのだった。
「じゃあね、コルルさん。うちの旦那を助けてくれて、本当にありがとう。この恩をどう返していいか」
別れ際。ジュレさんがもう何度言ったかわからないお礼を繰り返した。
「ほんとにねぇ……悪かったよ。ごめんな。俺っちが毒針を刺したせいで苦しませてさあ……。今後は仲間を集めて、ラピスさまに協力することにしたから、許しておくれね。ちなみに、金はないから慰謝料は勘弁ね」
タガメ獣のマッピオさんは、細身の体をさらに細くしならせながら頭を下げる。となりのジュレさんがマッピオさんの背をたたいた音が聞こえた。
「そんな……獣化してるときのことですし、気になさらないでください」
理性を失くして誰かを傷つけてしまった……それは本人が一番傷ついているはずだ。いくら毒を受けたとしても、責める気にはならない。
「強い毒でなかったみたいだし、私も回復しましたし。今後もし獣化で苦しむようでしたらまた呼んでくださいね」
と言って別れようとすると、二人は微妙な顔をした。
一呼吸おいて、マッピオさんが「人を殺せるくらいの強い毒のはずなんだけどなぁ……。お嬢ちゃんみたいなか弱い子なら死――」と言いかけた瞬間、またもや、ジュレさんの平手が彼の背にとんだらしい。今度は力が強かったらしく、そのままマッピオさんは前のめりに倒れる。
ジュレさんは「じゃあね」と明るく手を振った。頭から倒れたマッピオさんも、顔だけをあげてにかりと笑っていた。