獣紋の聖女
 その日、午後の治療を終えると、何やら外が騒がしいことに気がついた。
 窓の外を見ると、いつもの護衛騎士さんの服と違う色の外套(マント)をつけた騎士たちがサロンを取り囲んでいる。
 もう夕暮れなのに何ごとかしらと思って休憩室のドアを開けると――。
 
「迎えに来たよ、コルルちゃん」
 
 愛称で呼ばれてびっくりする。お兄さまに聞いたのだろうか。部屋の中には、キラキラに輝いた笑顔で話すゼンメルさまがいた。

(ええ、今日のお迎えってこの御方……!?)

 もしかして、お暇なのかしら? ――なんて、失礼なことを考えてしまう。身分の高い方ほど重要な仕事を任されるはずなのに……こんなところで自分にかまっていて大丈夫なんだろうか。

「あの、獣紋夜会はたしか、明日の夜だったのでは?」
 ゼンメルさまが笑みを絶やさずに告げる。
「うん、そう。今から君を王都に連れて行って、身支度をさせて、明日の夜にギリ間に合うってところだ。馬車の中では寝ててかまわないから――なんなら、支度中もそれでかまわないから。というわけで、行こうか」
 パチンと指をならす。すると背後に控えていた騎士たちがわらわらと寄ってきて、「レディこちらへ」と移動を促す。いつのまにか、ドレスの入った箱も回収済みだ。
「ああ、サロンの手伝いをしてくれる民にはすでに伝達済みだから。コルルちゃんが社交界デビューもまだだと伝えたら、皆、喜んで協力してくれるってさ」
「なんでそんなことまで――」
 質問する間もない。
 私は、着の身着のままで馬車へと押し込められ、サロンの皆さんが手を振る中で出発する。かろうじてカラスのキューちゃんだけは肩に乗ってくれたけど、他の方々には挨拶すらできなかった。
 
 馬車は予想通り中身も豪華な造りだった。向かい側に座っているゼンメルさまのせいで、緊張する。
 そういえば、急にくだけた印象になったのはなぜなのだろう。前回とは距離感が違う。お兄さまと話をしたあと、何か彼の中で変化があったのだろうか。
 ちらりと視線を向けると、ばっちりと合ってしまうため、またうつむくことになる。
 そんな落ち着かない様子に気づいて、ゼンメルさまは「眠る? 肩貸そうか」などと、とんでもないことを言ってくるのだけど、もちろん承諾するわけにはいかない。
 結局、私は壁にもたれて眠ったふりをすることにした。
 ……と、決めたにもかかわらず、聖力を使った日はやはりすぐに眠くなり、そのうちウトウトし始めてしまったのだった。


***


 馬車は街道を走り、やがていくつかの門をくぐる。
 どこでどうしたかは、眠かったのでよく覚えていない。
 ただ眠気と戦っている間、湯殿に入ったりはしていたような。
 気がつくと朝が来ていて、さらにどこかの豪華な部屋で目覚め、傍に控えていた侍女さんらしき人によってあっという間に支度が終わってしまったのだった。

「いかがでしょうか、お嬢さま!」
 侍女さんが大きな鏡を持って来てくれる。
 それまで瞼が重かった私だけど、おかげさまでぱっちりと目があいた。
「わ……キレイ」
 淡いラベンダー色の生地に薄紅の花の装飾。レースは控えめな白レースに艶やかなバイオレット色のリボンをアクセントに入れている。
 ふわっとした正円を画くドレスの型は、まるで幼い頃に憧れたお姫さまのようだ。こんな服を着て、王子さまと踊れたらなって思っていた時期が懐かしい。
 
「よーしよし、美人さんだ」
 そういって、部屋に迎えに来てくれたのは、昨日からご一緒しているゼンメルさまだ。
 ここがどこかを聞いてみると、なんとすでに王宮内に入っているという。前世ではまったく縁のなかったこの場所で、この身なり。そこへ、貴公子スタイルのゼンメルさまの姿があっては、ふだん通りに体など動くはずがない。カチコチのままなんとか微笑んだけれど、ぎこちない顔になっていることだろう。

「そのウィッグは変装用かい? サロンでもつけてるようだけど」
「はい。ジュレさんから購入したんです。ちょっと派手ですけど、気に入ってしまって」
 するとゼンメルさんは眉をあげ、「なるほど。あの女商人の功績のほうが大きいか。なら旦那の罪は軽くしてやるか」などと呟く。
 特に私に言ってるようにも思えなかったので、「これにアイマスクをつければ、変装は大丈夫かと思います」と、衣装箱からマスクを取り出した。素性を隠す夜会では定番といわれる、目元だけを隠す仮面だ。
 
「あの……ところで、今日のパートナーは、その、畏れ多くも、ゼンメルさまなのですか……?」
 変な敬語になってることを自覚しつつ訊いてみる。
 するとゼンメルさまは一歩距離をつめ、私の目を覗き込むようにして微笑んだ。
「だったらどう? コルルちゃんは俺と一緒で嬉しい?」
 か、顔が近い。
 この場合、光栄ですと答えるべきなのか、どうか。
 まごまごしていると、ゼンメルさまは私から離れ、代わりに背中をぽんぽんと叩いた。
「残念ながら俺は会場まで。そのあとは俺の友人に君を任せるつもりだ。――そのドレスを送った本人がね」
 それならお礼を言わなくては、と思うのと同時に、とある人の顔が浮かんだ。

 アカデミー寮であったあの人……名前を聞いたあと、こっそり呟いてみたこともある。
 このドレスを贈ってくれたのが黒髪のあの人だったらどんなにいいだろう――なんて。

(でも、それはないわよね。だって治療した中に、レイフェさまはいなかったもの……)
 
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。仮面をつけているのだから、ほぼ無礼講のようなものだ」
 そうは言われても、と苦笑する。
 けれど、ゼンメルさまがしきりに気を遣ってくださるので、ありがたくお礼を告げた。
 
「……夢みたいです。こんな素敵なドレスを着て、夜会に行けるなんて」
「おっと。そういうことはこれから会う奴に言ってやってくれ。でもま、コルルちゃんは可愛いよ。俺が保障する」
 そういって、彼は私の手の甲にキスを落とした。いつもなら、ゼンメルさまの賛辞に戸惑うところだけど、今日は素直に嬉しい。

 会場はすでに大勢の参加者で溢れかえっていた。
 あちこちでピンクゴールドの輝きが見られるのは、獣紋夜会だからだろう。いつもは起こさないようにしているトランスインプレッションも、この時間に限っては大事な出会いのしるしとなる。

 ただ――私はしっかり獣紋手袋をつけてるのだけど。
 だって今日の目的は、王家の宝である聖女聖杯だ。聖女ランクと獣紋を知る……そのために来ているのだから。

「どうしたの? 何か探してる?」
「はい、獣紋夜会で展示されてるという、聖杯を試してみたくて」

 そういえば、ゼンメルさまには言ってなかったなと思い、恐縮する。獣紋夜会に来た目的が、「出会いのため」と思われていたとしたら、それは違うから訂正ができて良かったのかもしれない。
「そっか。……それにしてもあいつ遅いな。もうとっくに来ていていいはずなのに、段取りが狂う」
「コルルちゃん、少しだけここで待っててくれ」、と言い残し、ゼンメルさまは場を離れた。

 私は頷き、壁の花となった。
 ホールでは色とりどりの華やかな令嬢たちが獣紋の合致した男性と踊っている。
 仮面の下で微笑みあっているのだろう、運命の相手を見つけたとばかりに踊る子たちはとても幸せそうだ。

(私……最後に踊ったのはいつだったっけ。前世の結婚式以来かな?)

 前夫の顔が浮かんできそうなので、払うように頭を振る。
 なるべく考えないようにしているのは、一度思い出してしまうと回帰前の恐怖が全身を包むからだ。泣きたくないのに涙は出てくるし、震えたくないのに身が縮まる。
「落ち着いて、今は今よ」と自分に言い聞かせ、目の前の光景に集中しようと顔をあげた。
 そのとき、ちょうど傍にいる身分の高そうな令嬢たちのおしゃべりが聞こえてくる。見た感じ、夜会には慣れているようで、ここへは出会いというより遊びに来ているような印象だった。

「――ねぇ、ご存知? 今回の夜会には、久しぶりに陛下が参加されるそうよ」
「まぁ、獣紋の夜会は初めてではなくて? 陛下といえば……未だに聖女に出会ってないって噂じゃありませんか」
「ええ、だからこの場にはご興味ないと思っていたのですけど……もしかしたら何か変化がおありなのかもって。ここに来るくらいなら、ねぇ?」

 あら、と思いつつ耳を澄ます。そういえば、現国王さまは独身だったはずだ。まだ運命の聖女に会えてないとかで、いろいろ苦労なさってる――と聞いたことがあった気がする。
 たしか、回帰前では私が婚約したころに国政から手を引き、いつのまにか存在が消えていた。
 結局聖女は見つからなかったのだろう。完全に獣化する前に『意識的な旅立ち』を行ったと民への通達があったから、哀しい道をたどったのだと思う。
 
(王とはいえ、気の毒な御方だわ……先代も先々代も)

 平和と引き換えに、逝かなければならない――なんて。

 聖女を得ることができなかった男性は、人として生きることが叶わない。王室としては、完全に獣化する前に次代へ継がなければならないから、結果、短命な政権となり、国力が徐々に弱まってしまう悪循環におちいることになる。
 反対にトレミーやトレミーの一族は反国王派だったから、いつも都合が良いとは言っていたけれど……。彼らに嫌われるくらいなら、国政は悪くなかったのかもしれない。

「思えば、国王陛下がお亡くなりになったあとのリムディアは、かなり荒れてしまったのよね……。まだ若い殿下が即位してがんばっていらしたけど……」
 ぽつりと呟いた。その後のことは毒殺されたのでわからない。
 せっかくの夜会で、哀しいことを思い出してしまったことに気づいて、「止めよう」と顔をあげる。

 そこで、会場のほうから騒ぎが起こった。
 若い女性たちの悲鳴、そして諍いの声。パリンとグラスの割れる音もしたから、ただごとじゃないということがすぐにわかる。
「何かしら?」
 他の皆さんも視線を移した。
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