獣紋の聖女

20ー5

「あらためまして――コルオーネ・ルヴァンです。お二人には事あるごとに助けていただいて、感謝しております」

 傷の手当てを受けたあと、ようやく正式に挨拶ができた。カーテシーを終えると、パン、パンとゼンメルさまが拍手(かしわで)をうつ。
「いいね、優雅だ。もう少し場数を踏めば、映えそうだな」と、ゼンメルさまは懐から何かを取り出し、それを私の目の前に差し出した。
「これは……?」
 小指サイズの小瓶だった。小瓶にはチェーンが付いていて、首にかけられるようになっている。
「君のために用意させたんだ。小瓶の中身は特効薬だと思って。どんな傷や毒でも治すから、いざというときに使ってほしい。この間のようなことがあっては困るからな」

 あ、と毒に侵されたときのことを思い出す。
 たしかに、獣人の皆さんをサロンで治療していたら、今後あのようなことが起こらないとは限らない。
 そういえば寝込んでいたとき、ある時を境に驚くほど体が楽になった。あとからお兄さまに、ゼンメルさまが持ってきた薬が効いたと言われたから、それがこの薬なのかもしれない。
「ありがとうございます」とていねいに頭を下げる。
「礼はいいよ。そのかわり、肌身離さず持っていてほしい。あとこれね」
 
 と、ゼンメルさまはもうひとつ何かを取り出し、それを見る間もなく私の腕をとる。
 次の瞬間、パチンと金具がはまる音がして、私の左手に銀色の腕輪がついていた。
「え……えっ!?」
 戸惑いながらゼンメルさまの顔を凝視する。
 すると、ゼンメルさまはちらりとレイフェさまを見、それから愉しげな顔になった。

「こっちはスコルハティアで造られた特注品さ。俺の先祖はそっちの出身でね、以前にリムディアの姫を娶ったおかげで公爵位を得たわけだけど、技術はちゃんと受け継がれてる。そして、我がローヴェルグ家に縁のある女性が持つことのできる腕輪だ。君に、似合うと思うよ」

 えええ……!?
 そんな大層なものをいただけるわけがない。腕輪とゼンメルさまを交互に見つめる。
 それに、公爵位って。じゃあ、ゼンメルさまは、ローヴェルグ公爵令息ということだろうか。
 お兄さまが聞いたらなんて言うだろう。胃腸が破裂するかもしれない。

「あ、それね。自力では外れないからね。よろしく。使い方については――」
 それを聞いて、ますます焦った。用途などを聞いている場合ではないと思う。
 頂いておいてなんだけど、こちらはお返しするのが筋だ。だいいち、貰う理由がない。
 そうだ、レイフェさまに止めてもらえれば――と、焦って振り向いた。

「……ええ?」
 今度はレイフェさまの様子がおかしい。
 先ほどまでふんわり笑顔だったのに、今はやや影を含んだ無表情だ。
 しかも目の焦点が合ってない。ただ、耳は聞こえているのか、小さく頬が動いていた。
 またもや空気が微妙な感じになる。
 
「あ、あの……? お話ってこのこと、ですか?」

 あえて空気を読むことをやめて、口に出した。
 これで終わりなら、さっさと宿へ帰ったほうがよさそうだ。もちろん、こちらの腕輪は、後日お返しさせてもらうことにして。
「そうだな、本題に入るか。レイフェ、そろそろ戻ってこい。悔しけりゃお前も贈れ」
 さらりと言ったゼンメルさまの脇で息を吐く。まだお話が始まってもいないのに、この緊張感は何だろう。前振りが長過ぎませんか、と言いたいのをこらえて姿勢を正した。
 
「まずは、この夜会でコルルちゃんが追われていたわけを話してもらおうか。こいつの説明だと、どうもあやしくてね。理論より実践の男だし、策略より力技のゴリラだから」
「まぁ、私、ゴリラさんって優しくて好きです」
「あ、僕も好きだよ。ゴリラだけじゃなくて、猿獣、みんな可愛いよね」
 レイフェさまがふわっと笑う。よかった、さっきの無表情状態が治っている。この話題でにこやかになるなんて、レイフェさまも相当動物がお好きなのかもしれない。
「おい、そこの二人。……いいや、次にいこうな。はい、話して」
 
 促される。私は素直に、ガーデンで聞いたことを伝えた。身内でもないのに、そんな重要なことを話すなってお兄さまには怒られそうだけど――。
 でも、レイフェさまやゼンメルさまが悪人だとはとても思えない。むしろ、この二人になら話しておいたほうがいいと判断したのだ。

「……というわけでしたので、国王陛下はもちろん、可能ならその聖女さまもお守りしたほうがいいと思うのです。見つけたら殺めると、たしかに言ってました」

 静寂が訪れる。先ほどまでじゃれ合ってたとは思えないほど、二人は難しい顔になった。
 ややあって、ゼンメルさまが足を組みなおす。

「ま、あいつ怪しかったしな。数年前から財政難だってのに辺境の山を買収して、キノコ栽培とか始めていたし」
「たしかそのキノコから特殊な毒が検出されたんだっけ。……つながったかな。ネイジア湖の一件と、獣人たちの暴走の件を合わせると面白い結果が出そうだ」

 その会話の詳細まではわからない。
 けれど、私の話が何かの決め手になったのなら良かったと思う。
 なおも二人は会話を続ける。

「もう、そろそろ危険だな。今夜のこともあるし」
「だね。コル……コルル、が言うのは予想外だったけど、せっかくだしそうしようか、ゼンメル」
 なぜか、レイフェさまが私の名前を言う際に、一瞬のためらいを含んだ。まさかとは思うけど、名前を呼ぶのに照れたのだろうか。
「いいんじゃね? じゃあ、安全確保のために、場所を決めておくか。――コルルちゃん、君はどこにいたい? いや、誰のところで匿ってほしい?」
「ええ?」

 話を振られてびっくりする。前提となる選択がおかしかった。
 いえいえ、私ではなく、国王さまと、その聖女さまをお守りするのですよね――と返すと、ゼンメルさまが大げさに手を振った。
「いやいや、コルルちゃん。その秘密を知ってる君も、すでに保護対象でしょ。追いかけられたってことはもう目を付けられてるかもしれないよ?」
「そ、そうです……か?」
「そうだよ。まずは君だ」
 そう言われてしまうと……仕方ない。「なら、ネイジアのサロンへ戻ります」と伝えると二人は困った顔をした。理由を聞くと、やはり、あちらでは十分な警護ができないとのことだった。

 ううん、と二人の間で唸る。
 サロンにはまだ治療を終えていない獣人の方々が私を待っている。
 今回、送り出してくださったことは、皆さんの善意があってのことで、このまま投げ出したらあまりにも無責任だ。それにまだ、ゴットハルト団長にも会えてないのだから、与えられた任務すらできていない。
 このまま、王都にいるわけにはいかない――。

「ごめんなさい。私、やっぱり」
 と、事情をそのまま伝える。
 良くしてくださるお二人を前に言いづらいことではあったけど……こればかりは仕方がない。少しの間があってから、レイフェさまが口を開いた。
「コルルは、優しいね」
「そんな」
 恐縮してしまう。一方でゼンメルさまはずっと渋い表情を続けている。やがて腕組みを解き、私の目を覗き込んだ。
「見捨てられない、ってのはわかる。……でもな、コルルちゃん。今は本当にあの場所は危ないんだ。今回だって、夜会のおかげで連れ出せたことにホッとしているくらいなんでね。状況が落ち着くまででいい。少しの間、おとなしくこっちで守られてくれないか」
 妙に切羽詰まった空気を感じる。
 少しの間というのはどれくらいなんだろう。一週間、二週間。それくらいなら獣人の皆さんは大丈夫でいられるだろうか。
 こんなに真剣に慮ってくれるのを無下にするのも忍びない。ちょっと考えたあとで、私は頷いた。

「……わかりました。しばらく王都にいます。その代わり、ネイジアで急患の方が出たときは――あちらへすぐに行けるようお願いしたいのですが」
「ん、それでいいよ。ありがとな。俺もなるべく早く事を片付けるようにするからさ」
 ゼンメルさまがホッとした面持ちで答える。直後、私の手をおもむろに取り上げた。

「で――どうかなコルルちゃん。ネイジアが落ち着くまでの間、俺の家に来ない? 退屈はさせないし、事が落ち着いたら王都に獣サロンの一つや二つ、作ってあげるよ。もちろん、君の力を上手く隠しながらね」
「え?」
 なんだか急にゼンメルさまの雰囲気が甘くなる。びっくりして彼を見ると、さらにゼンメルさまは続けた。
「なんたってトランスインプレがあった仲だしな……。君が望むなら、ずっといてくれてかまわないよ。何でもしてあげるし、望みも叶えてあげる。俺には――まぁ、ほんの少しご褒美をくれれば」
「ちょっと待った」
 脇にいたレイフェさまがわざわざ立ち上がって回りこみ、ゼンメルさまの肩をつかんだ。
 するとゼンメルさまも背を正す。見合っている二人は、不思議に無言だ。
 
「……君、本気なの? それとも冗談――」
「いーや、冗談なんかじゃないぜ。お前じゃいろいろ不都合がありそうだから、俺が大切に預かってやるって言ってるんだよ。公爵家が全力で守るんだ、安心だろ?」
「いらない心配だよ。……ね、コルル」
 と、今度はレイフェさんが私に振り向き、にこりと笑った。

「コルルの望みは、王都の獣サロンにいけなくて困ってる人たちを治してあげることなんだよね? じゃあ僕のほうがいいよ。辺境にも領地はあるし、そこにいる人たちはみんな優しい人たちばかりだ」
「は、はい……?」
 辺境に領地――ということは、レイフェさまの爵位は辺境伯あたりだろうか。どちらにしろ身分が高すぎることには変わりないので恐縮する。

「あの、どちらかに決めないといけませんか?」と聞くと同じタイミングで二人が頷いた。
 いつのまにか二人を選ぶことになっている。どちらも正解ではない気がしてならないのだけど、民間の宿での警護は難しいのだろうし、お兄さまのいる騎士寮は女人禁制だ。きっとこの他に選択肢は出てこないだろう。  
 またもや、迷ってしまう。うんうんと唸っていると、ゼンメルさまがこんなことを言い出した。

「よし、今日はもう夜も遅い。コルルちゃんは今日、王宮のどこかに泊まってもらって、この返事は明日に聞くとしよう。ちょうど、試したいこともあったしな」
「そうだね。彼女も疲れている。今日のところは休んでもらったほうがいいね」

(お、王宮に泊まる……? 泊まれるんですかここ?)

 どこかの宿屋みたいに言う二人に、びっくりしてしまう。まさかそんな簡単にいくはずないよね? と思いながら待っていると、やがて王宮の侍女さんが現れ、部屋まで案内されることになってしまった。

「お疲れさま、俺~!」と言いながらゼンメルさまが退出していく。
 レイフェさまも、私に手を振りながら「また明日ね。ゆっくり休んで」と、部屋を出て行くのだった。
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