獣紋の聖女

21 聖女聖杯

 翌朝。王宮内にある貴族専用ラウンジに案内される。
 昨夜から着ているドレスは泥が付いてしまったので、侍女さんたちが綺麗に直してくれるらしい。大事なものだったので、ほっと胸をなでおろす。新たに借りたお客様用のシンプルなドレスも、なぜか私の身体にぴったりだった。
 侍女さんの案内でラウンジへと入る。
 するとすでに中でくつろいでいたらしい二人が、そろって振り向いた。

「コルルちゃん、おはよう。よく眠れた?」
 部屋の中央奥を見ると、ゼンメルさまが行儀悪くソファに座っている。
 一方ゼンメルさまの向かいに座っていたレイフェさまは立ち上がり、私の傍まできて手を取った。
「待ってたよ、こちらへどうぞ」
 まるでお姫さまのような扱いに、気分がふわっとする。

 昨日と同様、一人掛けのソファに促され、侍女さんたちが用意してくれたお茶を飲みはじめた。
 こちらのラウンジはすでに人払いをしてあるという。昨夜のお礼と、他愛のない会話をしたあと、ゼンメルさまが切り出した。
 
「それで、決まった?」
 主語がないけれど、その言葉だけで十分だった。ティーカップを置き、手元を見つめる。
「……はい。厚かましいお願いだと承知しておりますが――」
 そこまで言って、レイフェさまに視線を向けた。

「レイフェさまに、お願いできますか? ただ、私を保護してほしいってお願いではなく、何かお役にたてるお仕事があれば働かせていただくということで」
 直後、「やった……」とレイフェさまは顔を手で覆いながらソファの背にもたれた。逆に反対側のゼンメルさまは半眼となり、「こいつに負けるとは……」と舌打ちをしたようだ。えっと、公爵令息さま。

 レイフェさまがにこにこと笑顔を向けてくれる。あらためてよろしくね、と片手を差し出したので握手のつもりで私も手を出すと、いち早くゼンメルさまが間に入り、寸前で食い止められた。

「ゼンメル、どいて?」
 レイフェさまが笑顔のまま、言う。
「浮かれんな。立場を考えろ。なぁ、参考までに聞きたいんだけどさ。コルルちゃんは、こいつのどこが気に入ったの?」
「ええ? それは」
 本人を前にして言うことだろうか。けれど、ゼンメルさまのほうをお断りしてしまった以上、納得できるような理由を言わなければいけない気がする。なるべくレイフェさまからの視線を受けないように、顔ごと横にそらしながら理由を話した。

「その……レイフェさまって、辺境伯のご身分なのですよね? 王都よりも地方にいたほうが私に合ってると思ったので。動物も都会よりは多そうですし」
「そんな理由?」
 まるで重たい岩でも落ちてきたように、レイフェさまががっかりの表情を見せる。一方、ゼンメルさまはニヤリと白い歯を見せた。
「あと、やっぱりローヴェルグ公爵家にお世話になるには、身分不相応と言いますか……」
 付け加えると、ますますゼンメルさまは笑みを濃くしながら、「だとよ」とレイフェさまに向かって顎を揺らした。
「ねえ、コルル、他には? 理由はそれで終わりなのかい?」
 レイフェさまが再び前のめりの姿勢になる。これ以上、何を言えばいいのだろう。
 たしかにレイフェさまには好感を持っている。一緒にいるとほっとしたし、一方でドキドキもするし、声も素敵だと思うし、それに、あたたかいし……。

「あら……?」
 なんだか、考えていたら顔がほてってきた。昨夜のガーデンでのことを思い出してしまったのかもしれない。レイフェさまに助けてもらって、とても安心したから――……。

「はいはい、その辺でお子様は黙っときな。それより、もっと重要なことがあるだろ。本日のメインイベント行くぞ」
 
 ゼンメルさまは、サイドテーブルにあったベルを鳴らす。すると騎士が二人、ノックのあとに入ってきた。手にはワゴン。ワゴンの上には、立派な台座に置かれた大きな銀杯。
 杯の縁には繊細な紋様が刻まれており、それが光の加減で水面に浮かび上がる。見てすぐにわかるほど、特別な聖杯だとわかった。
 それをサロンの中央付近まで運ぶと、騎士の二人は一礼して去ってゆく。
 バタンと重厚感のある扉が閉じ、再びここには三人だけとなった。

「聖女聖杯だ。コルルちゃん、夜会で試してみたいって言ってたよね?」
「あ」

 そうだ。獣紋夜会では、王家の宝物である聖女聖杯が飾られている。その聖杯を使えば、ランクと獣紋の詳細が判明する、という話だった。
 これで調べることができれば、神殿へ行かなくても済む。
 夜会の前に、何気なく言っただけなのに――と、覚えていてくださったゼンメルさまに感謝を伝えた。

「かまわないさ。そのかわりと言っちゃなんだけど、俺もコルルちゃんの獣紋に興味があるんだ。せっかくだから見ててもいい?」
「はい」と頷く。
 聖杯の前に立ったところで私は自身の獣紋手袋を外した。
 わけのわからない複雑な獣紋を含んで、今あるものは五つ。
 このあと、左手を杯に入れれば、ようやく謎が解ける。
 水に指先を入れるとき、ゼンメルさまはもとより、レイフェさまも真剣な眼差しをしているのがわかった。やはり見た目だけでもおかしな紋なのだろう。

 左手が完全に杯の中に入る。すると、徐々に水底から銀色の光が上がってくる。私の手からも紋が浮き上がって、水面に均等に並べられていく。

(あら、重なったまま離れない紋もあるみたい……?)
 
 やがて銀色の光は、私たちの周りを包み込むほど大きくなった。
 トランスインプレッションのときの派手な光とは違う。月のように穏やかでつつましい光だ。

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