獣紋の聖女

21-2

「――これは」
「……5、6……いや、7か? これで謎が解けたな」
「ああ、湖畔小屋での出来事も説明がつくよ」

 両脇で見物していたレイフェさまとゼンメルさまが頷き合った。
 なんと私の紋は五つ以上あるらしい。
 五つに見えている今現在の状態は、聖女ランクとしては5に該当する。けれど、もし今後、重なっている紋が分離すれば、ランクは7くらいになるという。……となると、七種の獣人の治療ができるということだろうか。

「コルル、落ち着いて聞いて」
 レイフェさまが私の目を覗き込む。
「君の獣紋はおそらく七つだけど、それだけじゃない。古来より、獣紋の上にこの星のような印が出るものは、『神獣紋』といわれるものなんだ」
「神獣……?」
 初めて聞いた。お兄さまが持っていた、神殿で買える聖女ランクの表には、そんなことは書かれていなかった。
 ぽつりと口に出すと、ゼンメルさまが「それは民間用だからな」と答えてくれる。
「ランクが高い聖女の紋はもっと複雑でね。一般には知識が出回ってない。君みたいに不完全に重なっているものもあれば、途中で変化する紋もある。あとは……特殊技能な。たとえば、聖女の血や体液を使った治癒もできるようになる、とか」 
「血、ですか?」
 ちょっとびっくりしてしまう。
「近年、事例がないので確証はないけどな。大昔の大聖女がそうだったことから、推測されている事柄なんだ。コルルちゃん、今まで血を使って治療をしたことは?」

 首を振る。そんな治療はしていない……と一瞬思ったけど、先日ジュレさんの家に行ったときのことを思い出した。
 たしかあのときは、聖女の祈りは効かなかった。で、タガメ獣だったマッピオさんに口針で首元を刺されて……それで私の血が彼についたとしたら――。
「まさか……」
「やっぱりか。レイフェは気づいていたみたいだけどな」
 ちらりとレイフェさまを見る。
 そんな機会、あったかしら? と、首をひねるとゼンメルさまが口元を歪めた。
「覚えがない? 君がサロンにいたときに猫が」
「――ゼンメル、その辺で。話を戻そうか」
 レイフェさまが遮る。何か都合の悪いことでもあるのだろうか。
 でも、仲の良い二人のことだ。二人にしかわからない意思疎通があるのだろうと、深くは考えないことにした。
 
「で、神獣紋の話だけど。それを持ってるとね、その種に属するあらゆる獣人を治癒できるんだ。たとえば、君の猫紋は上に猫神リムの神獣紋が重なった形。したがって、リムへ従属する獣はすべて対象となる」
「は……?」
 言った意味が分からない。さすがにそんなにすごいはずがない。
「さらに、蝶紋の上にある三角の印は、」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 杯から手を引き上げ、まじまじと自分の左手の甲を見る。

「何かの間違い、ということはないのですか?」
 ゼンメルさまに尋ねると、彼にしては珍しく神妙な面持ちだった。
「聖女聖杯は王家の宝物だからインチキはない。それに、君の鳥紋の上にも星印がある。鳥神スコルハティの紋だから、これで俺とも光ったことに説明がつく」
「えっ……」
 そういえば、ゼンメルさまともトランスの光が出ていたんだっけ。話の内容からすると、彼は鳥獣ということだろうか。
「まだ重なっている獣紋があるからこの先はわからないけどな。少なくとも今の時点で神獣紋が二つある。これは神話時代の大聖女に匹敵する、とても稀有な紋だ。――さて、コルルちゃん。この状況になにか心あたりは?」

 すぅっと血の気が引いた。
 そんなにすごい獣紋を持って、一体どうしろというのだろう。

 心あたりといわれても、ない。一瞬、回帰前の大好きだった動物たちの姿が浮かんだけれど、それが関与してるかどうかはわからない。
 それより、カメレオン紋だけじゃなくて良かった、なんて気楽に考えてた過去に戻りたい。
 こんな力を持ってるのが世間に知れ渡ったら、また違った意味で獣紋にふりまわされる人生になってしまう……。
 
「……お、お願いします。誰にも言わないでください」

 声が震える。どうしてうかつに手を出してしまったのだろう。
「言わないで」と懇願したところで、無駄かもしれない。だってランクの高い聖女なんて、国益以外の何ものでもない。ゼンメルさまは言わずもがな、レイフェさまも高位貴族だ。いくら彼らが優しくても、私の懇願ごときで王家への忠誠を裏切るはずがない――。

「どうして? 公表すれば君は国ぐるみで大切にされるよ? まぁ、他国に知られてもいいことはないだろうから、範囲は限定したほうがいいと思うけど」
 やっぱり、と思う。レイフェさまが深い黒の瞳で、私を見つめた。
 こうなると、礼儀としてきちんと説明しなくてはならなくなってくる。自分の至らない部分を他の人にうちあけるのは勇気がいるけど、仕方がない――と思い、息を吸った。

「……気持ちが追い付かないんです。貴族令嬢としては失格なのでしょうが」
「どういうこと?」
 レイフェさまが身を乗り出す。
「実は……その、お恥ずかしい話なんですが。昔、いろいろありまして。――そのせいか、表立って何かをすることは避けたいのです」
 話し出す。するとゼンメルさまが息をついた。
「それって求婚者のことと関係ある? なんか酷い奴みたいってナヴァールからは聞いてるけど」
 目を伏せた。
 たしかにトレミーとの一件がなければ、こんな風に思ってなかっただろう。でもそれを理由として言うのは、何か違う気がする。過去、泣いたのはたしかに彼のせいだけど、回帰しても臆病な自分を変えられないのは、私の責任だ。

「……いえ。過去のことはもういいんです。ただ、それがきっかけで私、自由聖女になりたいって思うようになりまして。ネイジアのサロンのようなところで、困っている獣人たちを助けてあげられたら――年をとって聖力がなくなるまで、誰かの役に立って、穏やかに慎ましく暮らしていけたらって。……だから、聖女ランクが高いことが知れてしまえば、そんな自由もなくなってしまいそうで……」

「そうかな」
 一瞬の間のあと、レイフェさまが呟いた。「え?」と顔をあげると、今度は隣にいたゼンメルさまが私の肩に手を置く。
「慎ましい夢は悪くないけどな。君の力を考えたらそれは危険すぎるだろ。悪意のある人間から身を守れなくなる」
 そこで二人は何か目で会話をする。
 黙り込む私に、やがてレイフェさまがそっと背に手を添えた。
「とりあえず、ランクの件は秘密にしておこう。ただ、そういうことなら獣紋は塗り隠したほうがいいかもしれないね」
「え、良いのですか……!?」

 疑問形になってしまう。まさか希望が通るとは思っていなかっただけに、まじまじとレイフェさまを見てしまった。
 自分で言っておいてなんだけど、もし隠していたことがどこかから漏れたら――たとえば王家や神殿に知られたら、こちらのお二人は罪に問われないのだろうか。私の姿勢は、貴族としては怠慢ととられてもおかしくないことのはずだ。糾弾されたらぐうの音も出ない。
 不安に思って、つい「お二人に迷惑がかかりませんか」なんて本末転倒なことを聞いてしまう。
 ところがレイフェさまは「うん? 別に?」と、顎に手を当て天井を見るだけだ。
 あまりにも大らかすぎて、少しばかり違和感を覚える。

「お前がそう言うんなら、俺はいいよ。だが、予定は変更だ。コルルちゃんにはしばらく王宮に滞在してもらう。でないと守り切れんからな」
「警護は強化してくれるんだろ? 頼りにしてるよ」

 ――そんな会話が交わされる。隣にいるゼンメルさまも、特に反対はしていないらしい。
 やはり、どこか変に思えた。
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