獣紋の聖女

22 コルルの恋

 そんなわけで、しばらくの間、私は王宮に滞在することになった。
 滞在初日、さっそくお兄さまに手紙を書く。アカデミーにいるアルルに、こちらを訪ねてくれるよう言伝をお願いしたのだ。
 あの夜会の日、何かありそうだったのがずっと気になっていたから。
 ガーデンでのアルルの姿が浮かんでくる。ふくれっ面をしながら、ハンカチを貸してくれた。それに――。

『……回帰してるからって、何もかも分かった気になってんじゃないわよ? 私も、いろいろ思い出してるんだからねっ』

 この言葉が気になって仕方がない。
「回帰」なんて言葉、経験してなければ出るものじゃない。だとしたら、一度あの子とはじっくり話さないといけない気がする。


「コルオーネさま、準備ができましたよ。どうぞこちらへおいでくださいませ」

 コンコンとノックの音が鳴り、侍女さんが声をかけてくれる。
 今日は、王宮の中を見学させていただく予定だ。とうに身支度を済ませてあった私は、侍女さんの案内で、さっそく広い城内を回った。
 リムディアの王宮は特殊だ。なんでも歴代の王さまが民との交流を優先したため、平民でも気軽に入れる区画がある。
 そこには図書館があったり、湖があったり。広い敷地に緑や花が溢れ、人々がゆったりくつろげる広場がある。城自体は灰色の堅実な石づくりの城だから、普通は殺風景になるところなのに、民が作って寄贈したタペストリーが所狭しと飾られている。

(こんな活気にあふれたお城だったんだ……)

 回帰前、一度も王宮には来たことがない。
 表向きの仕事は全部夫がやっていたし、私は家の留守を任されることしかしなかった気がする。
 夫の言いなりになっていた――それを自責の念とともに後悔する。

 最初の日はほぼ見学で終わってしまった。
 お付きの侍女さんや護衛をしてくださる騎士さまは親切だったけれど、この日はレイフェさまにもゼンメルさまにも会えなかった。



「コルオーネさま。今日はとても良いお天気ですよ」

 翌朝、侍女さんがカーテンを開けてくれる。
 私がお借りしている客間は、『紫蘭の間』と呼ばれるようだけど、侍女さん曰く、ここは国賓の方が泊まるようなお部屋だという。
 広さはもちろん、家具や調度品も一流。なのに、色のトーンは薄い紫と銀でまとめられ、豪華なのに落ち着いているといった印象だ。
 中でもすごいのは、パティオが見えるガラス張りの窓だ。部屋から出られる扉の先にはテラスがあって、ひとたび抜ければまるで野外のような広さの自然が広がる。
 なぜこんな風な造りになってるかというと――。

「国王陛下のご趣味なのですよ。こちらへ招待されたお客様が、自由に動物と触れ合えるよう造られたのです」

 まぁ、と感心してしまう。さすがリムディアの王さま。動物を好きでいてくれるとわかってほっとする。
 ……となると、ネイジアへ討伐隊を派遣したというのはやっぱり違うのだろうか。その辺りの情報がないので、ちょうど迎えに来てくれたゼンメルさまに聞いてみると、見る見るうちに不機嫌な表情へと変わる。

「ああ、ナヴァールから聞いた。そんな情報操作があったらしいな。悪意しか感じないが」

 あまりの不穏さに「ごめんなさい」と頭を下げると、ゼンメルさまが慌てて「いや、コルルちゃんは悪くないから」と謝ってくれる。今現在は、そんな悪意のある噂を消すべく、いろいろと騎士団が動いているという。
「陛下は動物も獣人もお好きなんです?」
 何気なく聞いてみると、ゼンメルさまは「好きというか……ありえないくらい獣びいきだ。喰われても笑ってるからな」と虚空を見つめた。どうやら彼の反応を見る限り、王さまはいい人らしい。

 今さらだけど、私はネイジアの獣サロンにいる皆さんに手紙を書かなくてはならないようだ。
 どこまで私の言うことを信じてくれるかはわからないけれど、それで王さまへの誤解が少しでもなくなるといい。そして、いつか争う心もなくなるといい――。今夜にでもさっそく手紙をしたためようと気合を入れつつ、パティオへと向かった。


 王宮のパティオは、柔らかな日差しが降り注ぎ、緑豊かな芝生が一面に広がっていた。
 白い大理石の噴水が、庭園の中心で静かに水を跳ねさせ、まるで時間が存在しないようにも思える。色とりどりの花も咲いていて、甘い香りが風に運ばれてくる。

「……気持ちがいいですね、ここ」
「だろ? リムディアの城は後方に岩山もあるから、鳥も多くやってくるしな」

 得意げに言うゼンメルさまだった。空をよぎる数々の美しいな鳥さんたちを眺めながら、傍にあったベンチに腰を掛ける。
 風が本当に気持ちいい。
 何もかも忘れて、ここで一日中、動物たちとじゃれ合えたら、どんなに幸せだろう。
 想像しながら目を細め、風の音に耳を澄ませる。
 瞬間、木々の間から何かが動く気配を感じた。

「あら……?」
 刮目した。視界に飛び込んできたのは、一頭の大きな白い虎だった。
 あまりの毛並みの美しさと立ち振る舞いの優雅さに、目が離せなくなる。
 じっと見つめていると虎もこちらに気づいたらしい。私に視線を定め、ゆるりと歩いてくる。
 続いて、木陰からは鹿、ウサギ、狐や羊たちも現れた。ちょっと不思議な光景に見とれていると――。
「あ」
 最後に現れたのは、レイフェさまだった。
 にわかに気分が高揚していく。昨日は会えなかった。でも今日は会えた。それだけのことなのに、なぜか心がほわっとする。

 レイフェさまは私に気づいていたらしい。いろいろな動物を伴って傍までくると、いつもの朗らかな笑みで話しかけてくれた。

「や。ここで一緒に過ごしている子たちを連れてきたんだ」

 彼の声は深く、しかしどこか柔らかい響きがあり、聞くだけで和んでしまう。長毛種のワンちゃんが足元に絡んでいるのを見て、自然と笑みをこぼした。
「この子たちとお友だちなんですか?」
「さぁ、どうだろう。彼らが僕を選んでくれたかどうかまでは、わからないから」

 彼は目を細め、優しげに動物たちを撫でる。謙虚な言い方だけど、どの動物たちもレイフェさまを慕っているのがわかるくらい懐いていた。

 ふいに、自分の心臓が甘く疼いた。
 彼の肩に留まった鳥が急にうらやましく感じる。他に、傍に来ている犬も兎も。――彼が撫でている姿が、とても眩しく思えた。

(やだ、なんで今……)

 急に、レイフェさまを見るのが恥ずかしくなる。目線をそらすため、後ろを振り向くと、ゼンメルさまがなぜか不思議な笑いでこちらを見ている。
 あわてて振り向くのをやめると、今度は距離をつめたレイフェさまの顔が、正面に現れた。

「あ。そうだ。コルル、生活に不自由してない?」
「……きゃっ」
「きゃ?」
 半歩ほど後ろへ下がる。心臓が大きく跳ねる一方で、その質問はありがたいと思った。これで変な間が生まれなくて済む――と顔をあげた。

「はい。ゼンメルさまがネイジアとの連絡経路をつくってくれましたし、一安心です」
 今、連絡はカラスのキューちゃんが請け負っている。ネイジアのサロンにいるカラス獣人のニコロさんと意思疎通ができるので、何かあちらであった場合は、キューちゃんが伝達してくれるという手筈なのだ。
「うん、カラスか、いいね。ところで……聞いてみたかったんだけど、コルルは鳥が好きなの?」
 困ってしまう質問だった。だって、鳥さんは可愛いけど、他の子たちだってもちろん可愛い。今日初めて会えたこちらの虎さんなんかは、全身でもふもふしたいくらいの可愛さだ。
 そう伝えると、レイフェさまが「あ、この子はね」と紹介するそぶりを見せてくれる。けれどその前に、他でもない虎さんから人語が発せられた。

「コルル。僕だよ。久しぶりだね、ジュレのところで会って以来だ」

 ええ? まさかの獣人? ――と驚いてしまう。
 しかも、私のことを知っているらしい。目線を合わせるため、その場にしゃがむと虎さんは自己紹介をしてくれた。
「ラピスだよ。今、ちょうど獣周期に入っちゃってさ。あぁ、僕はまだ子どもだからお祈りは要らないよ。しばらく、この姿を楽しもうと思ってるんだ」
「まあ」
 子どもの姿なら、獣化の負担も軽いのだろう。無邪気に言うさまが微笑ましい。
「コルル、僕とも遊んでくれる? あと僕のことはラピスってよんでね。友だちになりたいから」
 と、片足を前に差し出してくれる。
「それは、喜んで。ラピスさま」
 答えつつ、前足と右手で握手をした。
「虎もいいでしょ? 今度、コルルを背に乗せて走ってあげる。猫や鳥にはできないもんね」
 美形(ハンサム)な虎の顔がくしゃりと崩れる。鳥とはゼンメルさまのことなのだろう。じゃあ猫は? となると思い当たる人はひとりしかいない。
「え、レイフェさまって猫獣なのですか?」
「そうだよ?」
 わぁ、もふりたい。
 もふって、ナデナデして、抱っこしたい。……などと言うわけにはいかない。己から出る欲望を必死に押しとどめ、至極平静を装って笑顔を作った。

「そうでしたか。皆さん、もし獣化でお困りのときは、私のところへ来てくださいね」
「うん、よろしくね!」
「そうだな。俺のために祈ってもらおう」
「ありがとう、コルル」

 皆さんの反応にほっとする。私を必要としてくれる、役に立てる――それがとても嬉しかった。


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