獣紋の聖女
25 リムディアの神獣
ほどなくして部屋は解放され、私とアルルのもとへ、ゼンメルさまとラピスさまが来てくれた。
ラピスさまはまだ獣周期の最中らしく、虎の姿だ。けれど、以前に見たときよりも毛並みが汚れ、あちこちに傷を作っている。
「コルルちゃん、無事か――よかった! よく、腕輪を使ってくれた!」
「……!?」
会うなり、ゼンメルさまにぎゅっと抱きしめられ、思考が停止する。
「……ぜ、ゼンメルさま……っ」
「――ああ、すまない。つい」
腕を離してくれるけど、こちらとしてはどんな反応をしたらいいのかわからない。
よほど心配をかけてしまったということなのだろう。気を取り直して「サリアナさまのおかげです」と答えると、彼は怪訝な顔をした。
「サリアナ?」
ゼンメルさまがはっとして周囲を見回す。そこには他の女性たちを誘導しているサリアナさまの姿があった。
そこに視線を留めたゼンメルさまは、目を見開き、息をのんだ。
「生きてた……か」
表情にいろいろな感情が宿る。どの顔も、私の知っているゼンメルさまとは違うような――不思議な印象だった。
「ゼンメル、そっちはあと。今はコルルを優先して」
虎のラピスさまが、前足でゼンメルさまを小突く。するとゼンメルさまは我に返ったように表情を戻し、改めて私へと向き直った。
「……ケガはないな? よし、じゃあ、頼みがある」
私に? と聞き返してしまう。ゼンメルさまは頷き、早口で話し出した。
「まず、ナヴァールの負傷についてはすまなかった。今、ネイジアでは獣化した民が暴動を起こし、騎士団が鎮圧にあたっている状態だ。だが、大型の獣も多く、苦戦を強いられてる」
頷くことしかできない。お兄さまのことも心配だし、騎士団の皆さんも心配だ。
そもそも暴走した大型獣相手に、殺さないように戦うなんてムリがあると思う。
「それで――君にはレイフェを助けてほしい。あいつは先日獣周期を終えたばかりで、今は人のままで戦っているが、そろそろ体力的に限界だ。無理やり獣化させるのは可能でも、従来のやり方では命が危ない。だから、君がいってやってくれないか」
耳を疑った。同時に心臓が大きく揺れた。レイフェさまが危ない……? と、そのことばかりがぐるぐると頭を回る。
それになぜ、そんな大事なことを、私に頼むかがわからない。
獣紋が多い聖女だから? 端から祈れば、理性を失った獣人たちを治せると推測されているんだろうか。でも、それは――。
「む、ムリです。ゼンメルさま。私ではお役に立てません。ひとりずつ祈るにしたって……」
おそらく、がんばれば、数十人くらいなら獣化治療はできるかもしれない。でもそれは、サロンのような落ち着いた場所できちんと向き合って、ていねいに聖女の祈りをした場合だ。たぶん、度を超えれば私は眠気に勝てず、意識を失うだろう。それで状況が変わるとも思えない。
「違うんだ、コルル。そうじゃない」
そこへ、虎のラピスさまが口と身を同時にはさんだ。
「治療の祈りをしてほしいわけじゃない。このメモを見て。ネイジア湖の水底の石碑に書かれた祈り文だ。マッピオが仲間と一緒に見つけてきてくれた……大昔の大聖女が残したものだって。やっと解読が済んだからこれをレイフェの前で唱えてほしいんだ」
唱える? 祈りの文言のように?
聞き返すと、ラピスさまが頷いた。
「うん。もしかしたら君なら、古の大聖女のようにできるかもしれない。これは、そういう祈りだから」
メモを受け取る。文字の羅列を見ると、すうっと頭に入ってくるような親近感があった。
けれど、具体的に何を――。
「頼む、コルルちゃん。ラピスさまも同行するし、ネイジアでの案内はサロンにいた奴らがやってくれる。……あ、そうだこれ、そこで拾ったものだけど」
と、ゼンメルさまは、ぐったりとして動かないキューちゃんを懐から出した。
「きゅ、キューちゃん! ああ、ごめんねっ、助けられなくて――」
慌ててアルルに塗ってあげた特効薬を取り出し、キューちゃんの体に塗る。
すると瞬く間に傷は消え、キューちゃんの瞳に生気が戻ったのだった。
ゼンメルさまもふうと息を吐く。
「ごめんな。先にこっちだよな。その薬、レイフェにだけには効かないから注意してくれ」
「え、どうして」
顔をあげたそのときだった。
「ゼンメル、もう説明はいいでしょ。乗ってコルル。急ぐから!」
ラピスさまが痺れを切らしたように、私の服を口でつまんだ。
「あ、じゃあ――いってきます!」
と。
会話をしている最中、なぜかずっと目と口を大きく開けて固まっていたアルルに、視線で合図を送った。
ラピスさまはまだ獣周期の最中らしく、虎の姿だ。けれど、以前に見たときよりも毛並みが汚れ、あちこちに傷を作っている。
「コルルちゃん、無事か――よかった! よく、腕輪を使ってくれた!」
「……!?」
会うなり、ゼンメルさまにぎゅっと抱きしめられ、思考が停止する。
「……ぜ、ゼンメルさま……っ」
「――ああ、すまない。つい」
腕を離してくれるけど、こちらとしてはどんな反応をしたらいいのかわからない。
よほど心配をかけてしまったということなのだろう。気を取り直して「サリアナさまのおかげです」と答えると、彼は怪訝な顔をした。
「サリアナ?」
ゼンメルさまがはっとして周囲を見回す。そこには他の女性たちを誘導しているサリアナさまの姿があった。
そこに視線を留めたゼンメルさまは、目を見開き、息をのんだ。
「生きてた……か」
表情にいろいろな感情が宿る。どの顔も、私の知っているゼンメルさまとは違うような――不思議な印象だった。
「ゼンメル、そっちはあと。今はコルルを優先して」
虎のラピスさまが、前足でゼンメルさまを小突く。するとゼンメルさまは我に返ったように表情を戻し、改めて私へと向き直った。
「……ケガはないな? よし、じゃあ、頼みがある」
私に? と聞き返してしまう。ゼンメルさまは頷き、早口で話し出した。
「まず、ナヴァールの負傷についてはすまなかった。今、ネイジアでは獣化した民が暴動を起こし、騎士団が鎮圧にあたっている状態だ。だが、大型の獣も多く、苦戦を強いられてる」
頷くことしかできない。お兄さまのことも心配だし、騎士団の皆さんも心配だ。
そもそも暴走した大型獣相手に、殺さないように戦うなんてムリがあると思う。
「それで――君にはレイフェを助けてほしい。あいつは先日獣周期を終えたばかりで、今は人のままで戦っているが、そろそろ体力的に限界だ。無理やり獣化させるのは可能でも、従来のやり方では命が危ない。だから、君がいってやってくれないか」
耳を疑った。同時に心臓が大きく揺れた。レイフェさまが危ない……? と、そのことばかりがぐるぐると頭を回る。
それになぜ、そんな大事なことを、私に頼むかがわからない。
獣紋が多い聖女だから? 端から祈れば、理性を失った獣人たちを治せると推測されているんだろうか。でも、それは――。
「む、ムリです。ゼンメルさま。私ではお役に立てません。ひとりずつ祈るにしたって……」
おそらく、がんばれば、数十人くらいなら獣化治療はできるかもしれない。でもそれは、サロンのような落ち着いた場所できちんと向き合って、ていねいに聖女の祈りをした場合だ。たぶん、度を超えれば私は眠気に勝てず、意識を失うだろう。それで状況が変わるとも思えない。
「違うんだ、コルル。そうじゃない」
そこへ、虎のラピスさまが口と身を同時にはさんだ。
「治療の祈りをしてほしいわけじゃない。このメモを見て。ネイジア湖の水底の石碑に書かれた祈り文だ。マッピオが仲間と一緒に見つけてきてくれた……大昔の大聖女が残したものだって。やっと解読が済んだからこれをレイフェの前で唱えてほしいんだ」
唱える? 祈りの文言のように?
聞き返すと、ラピスさまが頷いた。
「うん。もしかしたら君なら、古の大聖女のようにできるかもしれない。これは、そういう祈りだから」
メモを受け取る。文字の羅列を見ると、すうっと頭に入ってくるような親近感があった。
けれど、具体的に何を――。
「頼む、コルルちゃん。ラピスさまも同行するし、ネイジアでの案内はサロンにいた奴らがやってくれる。……あ、そうだこれ、そこで拾ったものだけど」
と、ゼンメルさまは、ぐったりとして動かないキューちゃんを懐から出した。
「きゅ、キューちゃん! ああ、ごめんねっ、助けられなくて――」
慌ててアルルに塗ってあげた特効薬を取り出し、キューちゃんの体に塗る。
すると瞬く間に傷は消え、キューちゃんの瞳に生気が戻ったのだった。
ゼンメルさまもふうと息を吐く。
「ごめんな。先にこっちだよな。その薬、レイフェにだけには効かないから注意してくれ」
「え、どうして」
顔をあげたそのときだった。
「ゼンメル、もう説明はいいでしょ。乗ってコルル。急ぐから!」
ラピスさまが痺れを切らしたように、私の服を口でつまんだ。
「あ、じゃあ――いってきます!」
と。
会話をしている最中、なぜかずっと目と口を大きく開けて固まっていたアルルに、視線で合図を送った。