獣紋の聖女
 走る。走る、走る。
 ちなみに走っているのは虎のラピスさまであって、私はその背に乗っているだけだ。
 獣の背中に乗せてもらうのははじめてだったけれど、あらかじめ私を背に乗せる予定だったのか、ラピスさまの身体には固定用の鞍がはめてあったため、だいぶ負担が軽い。
 もふもふの毛皮に顔をうずめながら、一緒にネイジアへの門を抜ける。

 森に入ると、静寂の中で息を潜めるかのように、鳥のさえずりも止んでいた。
 しかしやがて、その静けさを切り裂くように、剣と剣が激しくぶつかり合う音が聞こえてくる。少し入った場所でカラスたちの集団が鳴き、ほどなくしてカラス獣人のニコロさんが現れた。

「レディ、待っていた。こちらへ!」
 サロンで会った獣人たちが私を迎えてくれる。皆、サロンで仕事を手伝ってくれたり、食べ物を持って来てくれたり、話相手になってくれたりした人たちだ。
「状況はどうなってる?」
 ラピスさまが聞くと、カラスを肩に乗せたニコロさんたちが答えた。
「依然としてこのあたりが、いちばん消耗が激しいです。第一、第二騎士団ともに予想よりも激しい抵抗を受け、手当てが間に合っていない様子。また麻酔薬の補充も追い付かない状態です!」
「特に大型の熊獣人は、誰も太刀打ちできない強さで……すでに多くの騎士がやられました。ご注意を!」

 ラピスさまが、頷く。
 ネイジアでいちばん戦いの激しくなっている場所がここ、王都へ抜ける門の周辺だという。
 ここが破られたら、暴走した獣人たちが王都へ流れてしまうから、騎士たちが必死に守っているらしい。
「それで、陛下は?」
「はい。昨夜、王は近衛隊とともに奥の獣人墓地へむかいました。俺に理由はわかりませんが、そちらを制圧しないと終わらないと判断されたそうで」
 今度は鹿獣だったリバールさんが答える。私の視線に気づいたのか、眉尻を下げて笑った。
「手紙、読んだよ、レディ。……あんたが王を信じてるなら、俺も信じることにしたんだ。あのサロンにいた他の奴らもそうだってよ」
「リバールさん……」
 ありがとう、というのは変だろうか。でもあたりを見回すと、皆、優しい顔で頷いてくれる。それが嬉しくて、感謝を伝えた。
 そこでラピスさまが喉を鳴らす。よく通る声で、獣人の皆さんへむけて叫んだ。
「これより、僕もそこへ向かう! 皆、背にいる聖女の護衛を頼めるか?」
「言われなくとも――俺たちの聖女です! 命に代えてもお守りします!」
 一斉に応じる声が上がった。
 

***


 森の奥へと進むごとに、負傷した騎士たちに出くわした。
 また現行でギリギリの戦いをしている騎士もいたため、見過ごせなくて、ラピスさまに助けたいとお願いする。
 するとラピスさまは一度歩みを止め、短く唸ったあとで答えた。

「わかった。どうしても危なさそうな場合はコルルに祈ってもらって獣化を解こう。でも負傷した騎士たちを手当てする時間はないよ。そっちは申し訳ないけれど素通りさせてもらう」
「はい」

 背に乗りながら、私は身体を起こし周囲を見つめた。
 それから数人、私はラピスさまに足を止めてもらって、聖女の祈りをさせてもらった。
 騎士たちの悲鳴と金属の衝突音が鳴るたびに、心臓が激しく揺れる。この状態での祈りは、聖力の消耗が激しく、たった十人ほど祈っただけで頭がくらくらとし始めてしまった。

「……コルル、しっかりして! もうすぐ獣人墓地だ。そこまで――」
「はい」と答えるものの、目が霞む。ネイジアの入り口付近では大勢いてくれた護衛の人たちも、だいぶ数が減った。
 ラピスさまの背に顔をうずめる。もう少しなら、しっかりしなければ――と自分の腕をつねり、落ちそうな瞼を無理やり開く。
 横を向いて視界を確保すると、目の端に大きな熊の姿が見えた。

(熊獣……!? まさか)

 とっさに思うのは、行方不明中のゴットハルト騎士団長のことだった。それから負傷させられたというナヴァールお兄さまのこと。もともと団長は、第一騎士団の長だったという。そんな人が獣化したら、きっと手の付けられない強さになるのではないか。
「待って、あそこに――」
 指をさした瞬間、その熊獣にやられたらしい騎士の悲鳴が聞こえた。
 起き上がる。ラピスさまの背にあてていた片方の手に力を込め、方向を示した。
「……あっ」
 熊の姿がはっきり見えた。そして応戦している騎士たちがいるのも見える。どうやら劣勢のようだ。その中に知った人がいた。

「レイフェさま……!?」

 ラピスさまがびくっと震えた。

「ラピスさま、お願いです。あの人の傍へ!」
「伏せて、コルル!」 
 瞬間、ラピスさまは茂みをものともせずに方向転換し、樹々の間に突っ込む。
 私は頭を伏せながらラピスさまにしがみつき、しばらくの間、呼吸も忘れた。
 レイフェさま――レイフェさまがいる。彼も、騎士としてずっと戦っていたのだろう。でも熊獣なんか相手に、しかも殺せないという人間相手に、何時間も戦えるはずがない。

(いや……無事でいて――死なないで、レイフェさま!)

 ザザっと草の音がする。茂みを抜けた気配だ。ここからなら祈りが届くだろう。
 熊獣を片目で見つめ、私は全神経を使って祈りに集中した。茂みを突っ切ったので、私もラピスさまも傷だらけだ。でもそんなことはどうでもいい。再びしっかり視界にとらえたそのとき、熊はその巨大な鉤爪をレイフェさまにむかって振り下ろそうとしていた。

(ダメっ、間に合って――)

 渾身の祈りを呟く。すると周囲は金の光で照らされ、まるで矢のようにあたり一帯に降り注いだ。
 その光の中、熊獣はゆっくりと崩れ落ち、その場に倒れる。
 レイフェさまもバランスを崩し、地に片膝をついた。

「レイフェさまっ!」
 まるで意思が通じているかのように、ラピスさまがレイフェさまの前で降ろしてくれる。
 レイフェさまが顔をあげるのと同時に、私は彼にしがみついた。

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