獣紋の聖女

26  想い人

「れ、レイフェさま……?」
 ぱちぱちと目を瞬かせる。幻かと思ったけれど、そうではなさそうだった。

「心配しなくていいよ。神獣になっただけだから。さっきの祈りはね、聖力で獣化をさせるための祝祷(しゅくとう)なんだ。コルルにならできると思った」

 ラピスさまが言う。
 獣化を治すだけでなく、獣化させる祈りもあるの? とびっくりしてしまう。

「これで、ネイジアは大丈夫だよ。神獣に叶う者なんて誰もいやしない。それとコルルさ、左手」
「えっ」
 自分の左手を見ると、新しく獣紋が光っているのがわかる。でもこの位置にある紋は――。
(カメレオン紋が変化してる……?) 
 金色に光るその紋様は、誰が見てもわかるほど竜の形になっていた。




 ――このあとのことは覚えていない。

 なぜなら、竜紋を確認したあと、急激に眠気がおそってきて、その場で意識を失ってしまったからだ。
 けれど、おそらくネイジアでの暴動は抑えられたのだと思う。
 気がつけば私は王宮で借りていた客間のベッドに寝ていたし、傍にはアルルがついていてくれた。

 眠っている間、お兄さまもお見舞いに来てくれたという。足のケガをどうやって治したのかはわからないけれど、お兄さまが騎士を続けられることになったと聞き、ほっと胸をなでおろした。


「……不思議な夢を見たの、アルル」

 アルルに話しかける。
 数日前、私がここに運ばれた夜から、アルルはずっと傍にいてくれたらしい。たまに呼び出されて騎士団から事情聴取を受けていたみたいだけど、必ず戻ってきて私がさみしくないようにしていてくれたという。

「あのね。ここではない別の世界でね。やっぱり私とあなたが姉妹なんだけど。そこで学校帰りにね、私が一匹の猫を車からかばって、代わりにぶつかって死んでしまうのよ。それを見ていたあなたが、「お姉ちゃんのバカ」っていいながら泣いてくれてるの。……変よね。『学校』も『車』も、どういうものかよくわからないんだけど」

 そう伝えると、アルルは眉を下げて微笑んだ。

「まぁね。お姉さまは回帰前のことしか思い出してなかったからね。でも私はわかるわよ。なんたって人生三回目だもの」

 などとやはり、わからないことを言う。さらに、

「そのときに助けた猫がリムなのよ。あいつ――お詫びに私たちを転生させたらしいけど、一回目は詰めが甘すぎて失敗したって言ってたわ。いい迷惑よね」

 言いつつ、フンと鼻を鳴らした。
 訊いた話によると、ネイジアでは騎士団が獣人たちの暴動を鎮圧したあと、獣人墓地で扇動していた悪い人たちを捕らえ、王都へ持ち帰ったらしい。
 その中にはトレミーもいたという。彼は泣きながら命乞いをして牢へ入ったとのことだ。今後どういう処分が下されるかはわからないけれど、サロンの収容所に数々の証拠が残っている以上、釈放されることはないとアルルは言う。

「次男のグレミオのほうは、私の持っていた証拠品が効いてるしね。二人そろってブタ箱に入れられて良かったわ。ザマァ」

 ……『ブタ箱』って何だろう。どうも豚さんの家畜小屋のことではない気がするのだけど。

「もうアレパ侯爵家には力はないわね。領地も狭められたし、子息二人は牢の中。かろうじて令嬢が残っているけれど……いくら侯爵が知らぬ存ぜぬで通していても、家門の罪は免れないし」

 アルルは半眼で「子どもなんか駒の一つなのよねぇ……自己保身の鑑だわ」と妙なところで感心する。それから、
「あっ、いちばん良かったことは、もちろん、トレミーとお姉さまとの婚約が無しになったことだけどね!」
 と続けた。
 
 トレミーとの会話を思い出す。婚約が反故になるのならとても嬉しい。

「でさあ。お兄さまから聞いたんだけど、お姉さま、今いい人がいるんですって? その後どうなのよ。獣紋は合ってるんでしょ?」

 そう言われて、思い浮かべる人は一人しかいない。
 先の一件を思い出し、頬の熱さを隠すように顔を覆った。

「……実は、勢いで告白までしてしまっているの。でもまったく私とは釣り合っていないし、お返事もお聞きしてないし……」
 ネイジアでのことを思い出すと、死ぬほど恥ずかしい。彼はどう思ったのだろう。おでこにキスはしてくれたけど、あれは「応えられなくてごめんね」という意味なのだろうか。

「それなら、早く聞いといたほうがいいわね。お姉さま、諦めるのが早いのは昔からの悪い癖よ」
 と、そのとき窓際にある呼び鈴から音が響いた。
 こちらからの音は、パティオからの来客があるということだ。「誰かしら」と呟くけれど、アルルは音を聞いた瞬間私を起こし、身支度を整えはじめる。
 即座にゆったりしたドレスに着替えさせられ、髪を軽くまとめられた。
「どうしたのアルル」と聞いてるのに、それは無視される。そのままアルルは私の手を引き、強引にパティオへと連れこんだ。
「アルルってば」
 背中を押される。アルルは「じゃあ」と短く言って踵を返し、部屋へと戻ってしまう。
 まるでここに、何かがあるようだ。けれど、いつものパティオの風景と変わらない。
 鳥はさえずり、風は気持ちよく――そして、動物たちがいて。

「え」
 ふと、視界に好きな人の姿が見える。
 相変わらず、その人は動物たちに囲まれているけれど、今日は手に一輪の花を持っていた。





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