熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 そう。理人を困らせたくない。それに自分だって傷つきたくない。
 だから、これでいい。これでよかったのだ、と架純は自分に言い聞かせ続けた。


***


 架純が診察室を出て行ってから、理人はしばし何が起こったのかわからなかった。
 情けないことに、彼女のことを直視できなかった。かけてやる言葉が何も出てこなかった。
 今まで彼女の主治医としてついてきたというのに。なんていうザマなんだ。しかし医師の仕事は残っている。役目を放棄して引き留めに出ることはできない。
 だが、このまま見過ごしていいわけがない。一旦落ち着いて何か考えなくてはならない。混乱しかけていた思考を無理矢理追い出し、理人はそれからため息を吐き出した。
「先生、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、すまない。次のカルテ回しておいてくれるかな」
「はい」
 看護師に怪訝な顔をされてしまい、なんとか冷静に立ち戻って医師の顔に戻ろうとする。
 そしてさっきの架純の様子を改めて思い返し、理人は今さらながら自分の傲慢さに気付かされていた。
 架純のことを思えばこそ、こちらから本来ならば担当医の変更あるいは転院を勧めることも考えるべきだった。
 最初から担当医の変更ではなく転院を希望した彼女の気持ちなど推して図るべきだった。
 慕ってくれている架純なら自ら離れていかないだろうと、いつまでもここにいるものだといつの間にか理人はそう思い込んでいた。
 その心理がどこから来るものなのかといえば、自分がただ架純の側にいたいだけだった。彼女が自分にとって必要だからだ。彼女に必要とされない自分に意味を見出せないと焦りを感じるほどに。
 自分自身の愚かさに心底呆れ、乾いたため息がこぼれる。と同時に胸を焼くほどの熱が腹の底からこみ上げてくるのを感じていた。
 ――君を手放したくない。
 たとえ傲慢だと言われようとも、彼女の側にいるのは自分でありたい。
 彼女の病を治すのも、彼女を幸せにするのも、自分でありたい。
 理人は思わず椅子から立ち上がった。
 すぐにも追いかけたい衝動に駆られたが、無論、責務を放棄するわけにはいかない。
「先生?」
「いや。次の患者の診察が終わったら、回診の前に一旦休憩に入る。時間を伝えておいてくれないか」
「承知しました」
 頭を冷やすつもりだった。
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