熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 そのとき架純は夢中になって素ではしゃぎすぎていて、隣にいる理人がどんな顔をしていたかなんてわからなかった。
 理人の手を引っ張っていたことを気にしていなかったことに我に返る。
「やだ、私ったら。ごめんなさ――」
 顔を上げた拍子に、頬のところにやわらかい感触が触れた。それの意味することを理解する前に、同じ場所に啄むようにもう一度。架純だけに聞こえる僅かなリップ音を残して離れていく。
(……!)
 理人は何も言わない。架純は理人の顔が見られないまますっかり固まってしまった。
 何が起きたのか受け止めきれなくて、言葉を発することはおろか身動きができない。このままでは窒息してしまいそうになるかと思った。
 それなのに。
「足元に気をつけて。向こうに行こう」
 なんでもないことのように、理人は歩き出してしまう。置いてきぼりになりそうだった架純を連れ出すように彼が握った手を引っ張った。架純は慌てて小走りでついていく。
 どうしてキスをしたの?
 今のは何の意味があったの?
 それを尋ねる隙を与えてくれない。
 尋ねてしまったらいけない気がする。
 架純も同じように知らないふりをしているのがいいのだろうか。それが大人というものなのだろうか。
 でも、二人はそもそもそんな大人の交際マニュアルみたいなものを挟む関係にはない。
 理人が何を考えているのかがわからない。だいたい、新しい縁談の話はどうなったのだろうか。相手の人に失礼なのではないだろうか。
 結婚前に遊びたかった?
 いいえ、と架純はすぐにかぶりを振る。
理人がそんなタイプではないことくらいわかる。
 それなら、理人はその相手と実は結婚したくないと思っているとか。
 いいえ、と架純はまたかぶりを振る。それはただ架純の都合のいい解釈にすぎない。
 悶々と考えている間にも理人の手に引かれてあたふたとついていく。
 掌が汗ばんでいくのさえ気にかけていられる余裕がないほど、頭の中がさっきの不可解な彼の行動のことでいっぱいに支配されていってしまう。
「疲れていない?」
「だ、大丈夫です」
「また、君が行きたいと思う場所があるなら連れていくよ」
 理人は話に触れさせてくれない。彼の表情はいつものクールな雰囲気のまま。架純だけが動揺している。
 どうして、さっきキスしたんですか。
 どうして、誘うんですか。
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