熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 植樹された立派な桜の木の下のベンチに、ぽつぽつと医師の姿が見えた。架純はそのあたりを見渡して理人を探す。
 新緑の葉をつけた樹にはところどころ木漏れ日が煌めいていて、風に吹かれるたびに葉がさわさわと清々しい音を奏でている。
 人の少ないエリアに理人を発見した。架純は小走りで彼の元に駆けていく。昼休みとはいえ、彼は忙しい。医師は急患のヘルプに回ったり患者の容態の急変で呼び出されたりすることも少なくない。
「高辻先生」
 架純は移動しようとしていた理人を呼び止めた。
 『もう俺は、君の先生じゃないよ』
 水族館で言われたことが脳裏をよぎる。
 けれど、ここでは彼は医師に違いはない。彼も特には指摘しなかった。
「わざわざ出向いてもらってごめん。俺が届ければよかったんだけど」
「いえ。先生がお忙しいのはわかっていますし……私の方こそ、うっかりしてしまってごめんなさい」
「また忘れないように先に渡しておくよ」
 紙袋の中にまるでラッピングしたみたいに丁寧に畳まれていたスカーフが見えた。理人の几帳面な性格を表すようだった。
「ありがとうございます」
 架純はそれを受け取ってから、鞄の中に入れてきたお弁当をいそいそと取り出した。内心は緊張していたが悟られてしまうと恥ずかしい。
「あの、お昼によかったらお弁当を召しあがってください」
 勇気を出して包みを差し出すと、理人が驚いた顔をしていた。
「えっと……」
「ごめん。開けてもいいかな?」
「は、はい」
 緊張の一瞬はすぐに訪れた。どうか不格好な形だけは許してくださいと願う。
「これは君が?」
「……卵焼きだけ、お手伝いさんに教えてもらって作りました」
「よくできてる。美味しいよ」
「ほんとですか……よかった。料理をすることなんてなかったから、ちょっと迷惑そうだったけれど。煮物とか絶品なのでぜひ」
 ほっとして気が抜けたら架純は饒舌になっていた。
「つい手軽に食べられるものばかりで栄養が偏りがちだから助かるよ」
「医者の不養生では困りますからね。先生が美味しそうに食べていたこと、お手伝いさんにも伝えておきますね」
「君が妻だったら、これからもこんなふうに作ってくれるのかな」
「え?」
(今、なんて言ったの?)
 風が強く吹き抜け、葉擦れの音に邪魔をされる。
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