熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 それどころか、架純自身が自分の感情の置き場に一番困っていた。今日で終わりではなくまだ理人と一緒にいられるのだと思うと、受け入れてしまいたくなるのだから。
(ダメ……流されないで)
 仮初の関係は、短い時間だからこそ成り立つもの。
 泡沫の夢は、すぐに終わるべき。
 そうでなければ、長い夢のあとに思い知る現実に辛くなるだけだから。
(そうよ。断らなきゃ……)
 焦燥に駆られるように架純が唇を開こうとすると、理人が次の策略をしかけてくる。
「君にしか頼めないと言ったこと覚えている?」
 そう問いかける声はまたいちだんと甘い。いつから彼は医師ではなく詐欺師になったのだろう。よっぽどそう言ってあげてしまいたくなった。
「……っそんな、ずるいです」
「まだ、君に頼みたいことすべてを打ち明けていないんだ」
 そう言って縋るように困った表情を浮かべるのも、完全に架純の気持ちを試している。だんだんと架純は泣きたくなっていた。
「それもずるいですよ」
「今ちゃんと言うよ」
「あ、後出しでは許可できるかわかりません」
 次から次へと後出しされる要求を聞き入れていたら身がもたない。
 もう、耳を塞いでしまおうか、と思ってしまった。でもそれは遅かった。
「これから、君の負担が増えないようにするから、俺の妻として一緒に暮らしてほしい」
 架純は目を丸くする。どんどんエスカレートしていく要求にただ茫然と唇を動かすだけで、そこから何も言葉にならない。
 目を白黒させながら、架純は自分の状況をひたすら整理しようとしていた。
 しかし。
「で、でも、家政婦の町田さんがいるし……」
 混乱しすぎて見当違いなことを口走ってしまう始末。違う。そうではない。
「と、とにかく困ります。どうしてそんなことになるんですか。すぐに説明をしてくださるのではなかったのですか?」
 だいたい一緒に暮らすことの意味がわからない。仮初の契約妻というのはそこまでするものなのだろうか。必要な場面でその場しのぎの対処をする妻の役というカムフラージュでは済まないということなのだろうか。
「勿論、父さんや兄さんにはいずれ話をする。だが、身内はよくても対外的にね。きっともう今頃色々言い触らされているだろうし」
「そ、そんな……」
 そうだ。たとえ理人が黙っていたとしても社交的な彼らが何も口にしないでいるという確証はない。
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