熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 逃がさない、という強い眼差しに縫い留められ、架純は何も言えなくなった。せめて瞳に膜を張りはじめた涙が零れないように必死に持ちこたえるくらいしかできない。
 彼はずるい。
 否、ずるいのはどちらだろう。
 自分の方ではないだろうか。
 もしかしたらこのまま、ずっと彼の側にいられるのではないかと期待する気持ちが膨らんでいく。
 理人は、架純に生きてほしいと思っているのに、架純はもし短い寿命が待っているのなら、この契約期間中に人生を終えることを望んでしまっている。
「俺の側にいてほしい。どこにも行かないでほしい」
 結局、理人に望まれるままに架純は頷いて、彼と離れがたい気持ちを優先してしまった。
「よかった。とはいえ、先方には申し訳ないが……改めて俺の方からきちんと謝罪を申し入れておくよ」
 ほっとしたようにやさしく微笑む理人の顔を見たら、心臓がまたそのまま彼に握られたみたいにきゅっと痛くなった。
 この恋はつくづく矛盾だらけの痛みでできている。そしてもう抗うことはできそうにない。
 どうかあと少しでいいから、もう少し泡沫の夢の中に身を投じさせて。この命と引き換えにしたって構わないから。
 そんなふうに架純は願ってしまっていた。


■5 悪いが、他の誰にも渡さない


 結局、転院はとりやめることになった。
 とりやめさせられたといっても過言ではないけれど。理人にあんなふうに迫られたら架純の心境としてはもう拒めるはずがない。
 あんなに悩んで転院を決めたはずだったのに、つくづく自分の決断力の無さに呆れてしまう。
 それもこれも理人のせい……否、理人に惚れた弱み。彼に赦されてしまうと、架純は甘えてしまいたくなる。それをどうにか押しのけなくてはならなかったのに。
 交換条件のように仮初の契約妻を続けることを望まれ、架純はそれを呑むことになった。
(高辻先生は交渉上手……)
 何かのタイトルみたいなキャッチフレーズが頭の中に流れていく。と同時に王の冠をはめた絶対王者の彼の姿が思い浮かんだ。
 そんな益体もない現実逃避をしても意味がない。現実は自分が考えていたものとは別の世界に変わっていこうとしている。
 先日、町田を説得しに理人が頭を下げにきた。母代わりに架純の面倒を見てくれている家政婦の町田に話をするのが筋だと、彼はスーツに身を包んで菓子折りを携えてきたのだ。
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