熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 しかし町田は驚いた様子は見せなかった。架純の様子から薄々察していたところがあったのだろう。
 応接室で対応した際に、町田は覚悟を決めたように言った。
『架純お嬢様がそう決めたことなら私は従うほかにありません。お嬢様はもう二十六歳……大人の女性なのですから』
 どうやら町田はこの間の架純の言葉を彼女の中にしっかりと受け止めていてくれたらしい。
 交渉では、転居先が理人が暮らしているマンションで、十和田総合病院に近いというところもポイントだった。たとえ理人が忙しく架純に構えない時間何かあってもすぐに対応してもらえることを理由に加えた。
 それからこれは建前かもしれないが、実は少しゆっくりする暇が欲しかったと彼女は承諾してくれた。
 そうして架純は理人の元へ行くことになったのだが――。
 引っ越し……といっても、持っていくものとすれば仕事の道具と少しの着替えと普段家にいるときに使うものがいくつかあるくらい。理人のマンションと自宅の家は、必要があればすぐに取りに行ける距離だ。
 つまりそれ以上架純が迷う暇はなく時間稼ぎをすることさえできないまま、架純はすぐにも理人のマンションの部屋に身を移すことになったのだった。
 引っ越し当日は、理人が車で迎えにきた。そして彼は玄関先にまとめていた架純の荷物をトランクに積みこんでくれた。
『しばし暇はいただきますが、こちらの家の留守番はしかと任されましたので、寂しく感じたらいつでも戻ってきてくださいませね』
 見送りの際の町田の頼もしい言葉に、架純は頷いた。架純だってしばらく町田と会えなくなるのは寂しい。ひょっとしたらホームシックにかかって顔が見たくなってしまうかもしれない。
 だが、隣にいる理人の絶対王者的な空気からはそう簡単に戻してくれなさそうな気配が感じられたのだった。
(理人さんが……こんなにも強引なタイプだったなんて知らなかったわ)
 だが、それはけっして負の感情ではない。理人が架純を離そうとしない独占欲を向けてくれることには、架純はむしろ嬉しいとさえ思っていた。理人とは仮初の契約を結んだだけで本物の夫婦ではないけれど、それでも彼が心を許して頼める相手が自分なのだと思うと、こんな自分にも少しだけ自信がわくのだ。
 ――そんな紆余曲折を経て、架純は理人のマンションに移り、たった今、引っ越しは完了した。
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