熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 理人がくれるものは全部、綺麗で美しい。彼が大事にしてくれる気持ちが伝わってくる。それがたとえ本物の愛ではなくても、架純にはとても嬉しいと感じてしまう。
(だって私は理人さんのことが好きだから……)
「落ち着いたかな? 大丈夫?」
「……大丈夫じゃないです」
 困ったな、と理人は笑う。
 彼の愛着を込めた笑い声も、ちょっと髪を手で掻き上げる姿も、視線を落としたときに見える長い睫毛も、彼がまとう清潔な香りも、グラスを持つ骨張った手も、命を救ってくれたその指先も――。
 全部、全部、理人の存在の何もかもが……好き。
 一緒にいればいるほど、どんどん重症になっていく。そんなこと分かり切っているのに、断る術だってあったはずなのに、自分から飛び込んでしまった。
 こみ上げるものが止められなくなっていた。架純は隣に座った理人の袖を引っ張って、無防備になりかけていた彼の頬に、自分からやり直しのキスをする。
「……っ」
 理人は目を丸くした。意表を突かれたというような、驚いた顔をした理人を見られたので、架純は満足だった。
「仕返しです」
 架純は顔に熱いものを感じつつ理人に反論させないように言った。
「本当は……」
 理人が何かを言いかけた。
「……本当は?」
「いや……」
 と、彼は肩を竦めるだけだった。
 続きの言葉が紡がれる前に、架純は彼の腕の中に閉じ込められていた。
「……架純」
「は、はい」
「引き受けてくれてありがとう」
「……はい」
「俺も、君を助けたいよ。これから先も、ずっと」
 その言葉の意味をあえて問うことはしない。理人の想いが嬉しくて、架純は両手を伸ばして彼の背にしがみついた。
 ニセモノの夫婦でも、泡沫の時間の中ではホンモノでありたい。そんなふうに願いながら目を閉じる。
 しゅわしゅわとした炭酸水が弾ける音が遠くで聞こえた。理人が架純にくれた綺麗なものたち。生きる希望を見失い、寿命に怯えながら暮らす架純にとって、灰色に染まりかけた心を彩ってくれる素敵なものたち。
 あのマーメイドが水面を見つめたときに揺れる波からこぼれる光の泡がきらきらと瞼の裏にきらきらと輝いては儚く消えていった。


***


 架純が理人のマンションに暮らしはじめてから一週間が経過した。
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