熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 架純はその場になんとか意識を留めるように手をきゅっと握りしめ、ただ理人についていくのに従った。
「……ね、美玖、一体、何があったの?」
 麗奈が声を潜めて美玖に尋ねる。
「さあ? よくわからないわ。夫婦だって喧嘩くらいはするんじゃないかしら」
 美玖はしれっとそう言い、一番に戻っていく。彼女が余計なことを言わないでいてくれたことは助かったが、気まずい雰囲気は拭えない。
「ま、まあ、俺たちだって喧嘩もするし」
「え、ええ。そうよね……」
 來人と麗奈が困惑していいるのが伝わってきたが、彼らを気にかけてあげることはできなかった。せっかくご縁を結ぶ大事な席だというのに。
(ごめんなさい、來人さん、麗奈さん……私には、荷が重すぎました)
 その後、食事会は滞りなく進められた。
 最初こそ兄弟の間では気まずい空気が漂っていたものの、両家の当主夫妻が盛り上げ、來人と麗奈の二人が愉しげに笑い声を立て、酒が進んだ場はやがて和やかになっていく――ただ二人を除いては。
 理人が架純を度々気にかけて声をかけてくれていた。けれど、架純は彼の顔がうまく見られなかった。
 理人のことを無視したいわけじゃないのに、まるで表情筋が石膏か何かで塗固められてしまったかのようにうまく取り繕うことができなかった。
『離婚』のことを口にしてから、急速に自分の周りに誰も寄せ付けない堅牢な城壁が築かれていくかのようだった。
 この間、胸の内側に芽生えたやわらかな甘い気持ちはどこへ消えてしまったのだろう。あんなにふわふわ光の泡のように煌めいていたのに、シャボン玉が割れるようにパチンと消滅してしまった。
 今はただこちらには踏み込んでほしくない、と頑なになってしまっているのが自分でもわかる。
 この深い泥水に遣っているような居心地の悪さは一体なんだろう。そう自分に問うたときに、しっくりくる言葉がひとつだけあった。
(ああ、きっとこれが『独占欲』が招いた『嫉妬』という感情なのね……)
 先日、理人がハルに嫉妬したことを明かしてくれた。好きな人が向けてくれる嫉妬には愛おしいような甘い感傷がわくのに、自分の内側から漏れ出る醜い嫉妬には、愚かな衝動しかわかない。
 同じ感情であるはずなのにこんなにも違うものだなんて知らなかった。
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