熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 泣きたい気持ちが不意にわいてきて、架純は慌てて布団をかぶった。
 こみ上げてくる不甲斐なさと、理人に対する未練に苦しくなって、架純は声を押し殺すようにして涙をこぼした。


 翌日、物音がして架純は目を覚ました。眠れずに籠城していたが、いつの間にか疲れてうたたねしてしまっていたらしい。
 瞼がおもたくて腫れぼったいし、目の下がひりひりする。子どもみたいに泣いたせいだ。こんなみっともない顔、理人に見られなくてよかった。
 理人は昨晩ドアの前で予告した通りに出勤したのだろう。リビングにそろりと顔を出すと、彼のいた形跡と、コーヒーの匂い、それから清涼感のある香りが溶けて混ざり合っていた。
(理人さん……私はあなたが好き。だからこそ、一緒にいるのが辛いの。あなたを大事にしたいし傷つけたくもない。でも、この気持ちをどうしたらいいかわからないの……)
 ソファにぽすりと腰を落とし、それから理人の移り香のするクッションを胸にぎゅっと抱きしめた。ただそれだけで旨が苦しくなる。
 理人はベッドの代わりにソファで寝ていたのだろう。医師として忙しく働く彼にこんなところで窮屈な想いをさせてしまったことを、架純は申し訳なく思った。
 それから暫く放心したあと、架純はのろりと立ち上がる。こんな状況だというのに勝手にバスルームを借りてシャワーを浴びることも躊躇われ、まずは手荷物をまとめて町田のいる自宅に戻ることにした。
 疲労感がとれないまま気だるさが残っていたので、とても歩いて帰る気にはなれなかった。それに顔を洗っても人に見せられるような状態ではない。架純はタクシーを呼ぶことにした。
 自宅に到着してインターフォンを鳴らすと、町田が出迎えてくれた。彼女は驚いていたが、架純の表情から察したのか、第一声は「お帰りなさいませ」しか言わなかった。町田の気遣いに感謝をしつつ、架純は小さく笑みを返す。
「ただいま。少し疲れたから部屋で休みたいの」
「かしこまりました。そうだわ。架純お嬢様、よろしければマフィン召しあがりませんか。たくさん作りすぎてしまって……」
 すぐに部屋に閉じこもろうとする架純に、フルーツ入りのマフィンを見せてくれた。彼女はお菓子作りが上手だ。
「とっても美味しそうね」
「すぐに紅茶を淹れますね」
 町田が用意してくれている間、架純は手を洗ったりうがいをしたりした。
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