熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
「さあ、お部屋までお運びしましょう」
 本当なら町田のいるリビングの部屋でいただい感想を伝えてあげるべきだろう。けれど、町田もきっと架純が沈んだ顔のままリビングにいたらいたたまれないだろう。ここは彼女の気遣いに甘えることにした。
「町田さん、ありがとう。絶対に美味しいってわかっているけれど、あとでちゃんと感想を伝えるわ」
「いえいえ。何か他にお手伝いできることがあれば、なんなりとお声がけください」
「ええ。シャワーを浴びたら、お昼過ぎまで眠るかもしれないわ」
「承知しました。では、私も静かに針仕事をして過ごすことにいたします。ハンカチに刺繍をしていたんですよ」
「素敵ね。仕上がったら見てみたいわ」
「ええ、もちろん。では、まずはごゆっくりお過ごしくださいませ」
 架純の部屋にマフィンと紅茶を運んでくれた町田は、笑顔を残して退室した。架純も町田のおかげで少しだけ笑顔を取り戻すことができた。
 さっそくデスクの上に置かれたお盆の上のマフィンと紅茶を並べ直し、口に運ぶことにする。あたたかい紅茶にほっとしつつフルーツマフィンのふわっとした感触にほっこりとした気持ちになった。
 ……戻ってきてよかった。
 そんなふうに感じてから、胸の奥がぎゅっと詰まるように感じた。少しいつもよりも息苦しい。マフィンを詰まらせないようにゆっくりと咀嚼する。
 その間にも花の朝露がこぼれゆくみたいに、架純の目からあたたかい涙が溢れでていった。
 美味しい、のに、悲しい。
 ほっとした、のに、寂しい。
 ふっと思い浮かぶのは、理人と過ごした日々のこと。自分から離れると決めたなら、忘れなくちゃいけない数々の記憶。
 目を瞑るときらきらと輝く、ひとつひとつの煌めく泡のような思い出……ゆっくりとそれは溶けて見えなくなっていく。それらは夢のような幻だったのだと、架純は思いこもうとした。
 それから、しばらくして落ち着いたあと、架純はさっそく町田に感想を伝えた。
「まあまあ、それはよかったです。次は何を作りましょうか」
「町田さんの作ったものはなんでも美味しいわ。もしできたらハニーパイが食べたいかも」
「かしこまりました。次のおやつは決まりですね。夕飯も栄養のつくものをご用意いたしましょう。和食でいいでしょうか」
「ええ、楽しみにしているわ」
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