熱情を秘めた心臓外科医は 引き裂かれた許嫁を激愛で取り戻す
 帰りのタクシーの中で理人は架純に何も声をかけられなかった。俯いたままじっと心を閉ざす彼女にはやく声をかけたかったのだが、むりやりにそうしてはだめだと思ったのだ。
 架純の中に何かが起きた。彼女なりの考えがあるのなら待とうとした。
 しかし。
 自宅に戻って理人が架純に理由を尋ねると、
『ごめんなさい……もう、充分だと思います。私、実家に帰らせていただきます』
 架純はそう言い、逃げるように寝室へと籠城してしまった。
 行動しようと思えば、強引にでもその寝室へと押し入って彼女に迫り、振り向かせて唇を奪うことだってできた。彼女に思い知らせることだって可能だったはずだ。
 それでも理人は躊躇ってしまった。架純をこれ以上自分の都合で振り回して追い詰めてしまうべきではないと思ったのだ。
 仮の契約妻を強いたのはこちらだ。仮初の関係を強調し、戸惑う彼女を引き込んだ。
 段階を経て心を開かせ、いずれは本当の妻にしたいと勝手に考えていた。そうしたらきっと架純は受け入れてくれると傲慢にも考えていた。
 そんなときに告げられた『離婚』その言葉の意味と重みを理人は考えた。
 結局これまでの行動はすべて理人の独り相撲で、杓子定規でしかなかったということだ。人の身体以上に人の心がもっと複雑にできていることを念頭に入れておかなければならなかった。
 起きてしまったものは取り返しがつかない。では、どうしたら二人の関係を修復できるものだろうか。架純を傷つけずに彼女に寄り添うにはどうすべきか。それからも理人は延々と思い悩んだ。
 架純が寝室に籠ってしまったあと、理人は逡巡の末に寝室のドアをノックした。
「明日の早朝、俺は出ないといけない。君はここにいてもいいし、一度、帰りたいのなら実家に戻っても構わない。でも、俺はいつでも君のことを待っているし、折に触れて迎えに行くから」
 告げると、架純が微かに声を漏らした気配がした。きっと泣いているような気がして、ドアを無理矢理開けて彼女を抱きしめたくなった。
 けれど今踏み込んだところで彼女は拒むだけで、ますます傷つけてしまうだけだろう。今告げた言葉通りに待つしかないと思った。
 彼女の胸の裡にどんな理由があるにしろ彼女を泣かせたのは理人なのだ。その罪を改めて受け入れて猛省し、今後の対応を慎重に考えなくてはならない。
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