第三幕、御三家の矜持
 この人が私を花高に編入させることを決めたのは、世間体だった。万が一私の素性が周りにバレてしまったときに、私を冷遇していると思われないように張った予防線。そのときに、周りに笑われるような生徒ではいてくれるなと──桜坂家に恥じない生徒でいるようにと言い聞かされてきた。対価と言わんばかりに、桜坂家が私の養育費も教育費も特別惜しむことはないし、進学は義務付けられているし、最近のことでいえば、数カ月先に控える修学旅行のお金を──もちろん編入の私は積み立てていなかったので──ポンと渡してくれた。そんなその人の希望(・・)に応えるべく、私は花高で優等生でいようと思った。そこそこ勉強して優秀な成績をとって、生徒会に入るかどうか悩んだし、授業料の減免措置を貰えそうだったときは真っ先に報告した。でもこの人の反応はいまいちだったから、それなりに良かった模試の結果も見せた。褒めてもらえるなんて、そこまでの烏滸がましい期待はしなかったけれど、少なくとも安心くらいしてくれるんじゃないかなと思った。私はあなたの顔に泥を塗ったりしませんと、そう表明したつもりだった。


「なんで……、なんで、孝実(こうじ)よりも、優実(ゆみ)よりも、あなたが……!」


 でも、逆だった。うっかり、他の二人よりも優秀でいてしまった私は、この人の神経を逆なでしたらしい。この人は、大企業の役員を務める夫に比して凡庸な自分にコンプレックスを抱いているらしいから。実の息子と娘に自分の凡庸な遺伝子が混ざっていることに耐えがたい苦痛を感じているらしいから。だから、私という娘が“さすが優秀ですね”なんて褒められると、癇癪(かんしゃく)を起してしまいそうになるのだろう。


「……あなたなんて、生まれなければよかったのに」


 何度も何度も、零すなんて表現では不適切なほどに強い口調で告げられるその言葉が、いつだって私の価値を否定する。


「……夕飯のときにまた降りてきます」


 怒りのあまりそれ以上何も口に出来なくなったその人のもとを去り、一人きりになれる自室に閉じこもる。そこで模試の結果を丁寧に千切って捨てた。あの人がもう一度目にすることがないように。その作業を終えた後、ベッドに寝転んで、ほう、と息を吐く。

 でも、いま私が死んだら世間体が悪いから、今は私に死んでほしいわけじゃないんでしょう──そう言いかけた自分がいたことに危うさを感じた。そんなこと言った日にはどうなることやら。ころんと寝返りを打った。


「……松隆くん、謝りに来てくれてたのか……」


 開け放した窓の外から、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。もうすぐ、夏は終わる。

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