第三幕、御三家の矜持
「勿体ないことするなぁ、桐椰くん。おバカなんだから」

「そうかな」

「そうだよ」

「初恋が叶うことに、意味なんてないだろ」

「そうかな」

「そうだよ。いま好きじゃないなら、何の意味もない」


 そのとき、いつの間にか自分の足ばかり見つめていた私の顔が、そっと左右から冷たい手に挟まれて、上向かされた。


「……ねぇ桜坂」


 指先が触れるだけのその行為は、包み込むには程遠く、友達という関係以上には距離を縮めまいとしているように思えた。

 その友達が、哀しそうに、くしゃっと笑った。


「どうしても、俺のことは好きになってくれない?」


 息が、止まってしまいそうだった。

 汗が浮いてしまうほどに熱くなった私の顔と、それとは裏腹にひんやりと冷たいままの松隆くんの指が、奇妙な具合に噛みあっていた。熱さを奪われ、冷たさを奪う、そんなことが松隆くんと私の境界線でなされているというのが、妙に生々しく感じられた。

 顔に触れている指は、ただ触れているだけなのに、ただ触れる以上の意味を持っている気がした。止め処ない感情が、その表情から指先から伝わってくる。

 その感情に、胸の奥を侵食されているような気がした。

 それだけじゃない。鼻先が触れてしまいそうなほどに近い顔は、キスを想起させて。


「……キス」


 実際、松隆くんの口が、殆ど動くことなくその単語を零した。触れはしないはずの距離なのに、触れてしまう気がして、体が強張った。


「しとけば、よかったかな」


 指が、頬から髪を梳いて、耳を撫で、滑るように離れた。その過程で、体の芯が震えあがり、心臓以外の何かが大きく跳ねた。


「あ、の……」

「……来年は受験生だね」


 ざわめく私の胸中なんて無視したように、私達の関係には特別でもない台詞を、その唇はそっと紡いで。


「あんまり遊んでないで、本腰いれて勉強しようかな」


 きっと、おそらく、それに終わりを告げようとする。
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