第三幕、御三家の矜持

(一)忘れない君の声

『ねぇ、月影くん』

 ふと、顔を上げる。だが視界に映る中に人はいなかった。それどころか目の前にあるのは白い壁だ。当たり前だ、自室なのだから。それなのにどうして名前を呼ばれた気になってしまったのだろうと、ボールペンを置いた。重たいそれが机の上でゴトリと音を立てる。図書館にいるときは些か目立つ音だから紙束の上に置いて衝撃を和らげようと努力するのに、自室だとその心がけをなくしてしまう。いつものことだ。

 どうして呼ばれた気がしたのだろう、と机の左隅に置いている卓上カレンダーに目を向けた。次いで時計に目を向け、零時を回っていることに気が付き、パタンとカレンダーを捲る。現れた九月の日付のお陰で納得した。もう、九月か。

 ギシ、と凭れた椅子が軋んだ。小学校に上がったときに買ってもらってから、その高低も調整できるお陰で買い替える必要なく、ずっと使っている椅子。何かを読むときに机につきたいとまでは思わないけれど、座っていたいと思う(たち)だから、いつでもこの椅子に座っている。そんな椅子がある部屋の中は、好奇心の赴くままに読んだ本が整然と並んだ大きい本棚があり、細やかなクローゼットがあり、パソコンとプリンターがあり、ベッドがあるだけの部屋だ。総にも遼にも──透冶にも、殺風景だ、お前らしい、とよく言われた。誰もがその評価をするから、きっと俺らしい部屋なのだと思う。

 ぐるりと部屋を見渡したところで、集中が切れてしまったことに気が付いて立ち上がった。手をついた机の上には、つい数時間前にプリンターで印刷した論文がある。

 誰かに、呼ばれた気がしたのは、九月になって生徒会役員選挙が近づいたからだけではないのだろう。きっと、こんな趣味に興じていたことも相俟って呼ばれた気がしたのだ。それも、誰かなんて不特定の人ではなく、特定の人に呼ばれた。


「……こんなものを、か……」


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