第三幕、御三家の矜持
 ゆっくりと歩き出せば、ぴたりと背中を離れず、鶴羽樹はついてきた。冷たい風に傷が()みて、ビリビリと痛みが増す。月影くんは私を(おもんばか)るような視線を一瞬だけ寄越したけれど、刺激するべきでないと思ったのか、以後は黙々と歩き、本校舎の前まで来る。

 当然、昇降口は閉まっていた。月影くんは扉を引いて、開かないことを確認する。


「……施錠されていて入れん」

「隣の教室の窓の鍵が開いてる。そっから入って内側から開けろ。一分以内に戻ってこなかったら幕張の喉掻っ切んぞ」


 幕張──。桜坂ではなく幕張と敢えて呼んだのは、幕張匠を知ってるから……?

 月影くんが窓から教室内に乗り込んだ後、頭上から降ってきた声は笑う。


「あぁ、そうだ。もう知ってんだろーけど、俺はお前が幕張匠だって知ってるぜ」

「……知ってる」


 思い出したように告げるその言い方からすれば、きっと情報を握っていることのアピールではない。


「つか、どこまで知ってんの?」

「……御三家の同級生で、松隆くんに私の情報を吹き込んで、雅を嵌めた」

「へぇ、全然知らねぇじゃん」


 馬鹿にしたような笑いのすぐ後、月影くんが昇降口を内側から開けた。予定よりも早く感じたのは焦ってくれたからだろうか。鶴羽樹に促され、校舎内に入る。

 本校舎にあるのは理事長室や応接室、そして図書室、生徒会室だけ。当然明かりは全て消えている。隣の校舎なら職員室があるし、まだ残っている先生もいるかもしれないけど、少なくとも本校舎に人の気配はなかった。

 そして、真っ暗な校舎内は、それだけで一層肌寒く感じた。


「三階」


 単語だけで命令され、月影くんは階段を上る。それに続いてゆっくりと階段を上りながら、視線だけで足元を伺った。このまま、後ろ向きに倒れれば、逃げられるだろうか。


「お前さぁ、マジで、余計なこと考えんじゃねーぞ」


 チャッと、ナイフの向きが一瞬で変わった。ほんの少しの振動さえも、首を傷つけるには十分だ。この寒さの中で切り傷ができることを想像するだけでも背筋が震える。既にある創傷が痛みを増した気がした。

 それどころか、私は、前のめりに転ぶだけで、死ぬ。


「おい」


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