第三幕、御三家の矜持
 蝶乃さんが口にしたことと、少しだけ言い方が違う。多分、周りに人がいるから、私が襲われた云々は言わずにいてくれたんだろう。月影くん、本当はそんな気遣いをみせてくれるくらい優しいわけだし、愛想良くしろとは言わないけれど、少なくとも不愛想な態度をとるのはやめればいいのに。

 それはさておき、蝶乃さんは月影くんの問いに対して肩を竦めた。


「アタシじゃないわ。噂で聞いただけだし」

「そうか。それなら桜坂、この話はもうやめておけ」

「え、なんで、」

「問い詰めたいなら警察の力でも何でも使える。ここで(いたずら)に水掛け論をする必要はないだろう」


 未海さんがあの事件のことを口にした瞬間に沸いた私の怒りをどこに向ければいい、と目だけで月影くんに訴えたのに、返ってきたのは真っ当すぎる意見だった。その通りだ。あの事件の被害者の私が届け出れば警察は動いてくれるだろう、立派な犯罪だったのだから。事件から一ヶ月以上経っていることがどう影響するのかは分からないけれど、月影くんが言うのだからその気になれば捜査はしてもらえるのかもしれない。

 ただ、それとこれとは別なんだ。少しだけ拗ねた顔をするけれど、そんなものは月影くんには通じない。「一度頬を冷やせ」と私を水道場へと促す。渋々頷けば、そんな私を見た蝶乃さんが勝ち誇ったように鼻で笑ったのが見えた。やっぱり納得がいかない。


「蝶乃」


 ただ、私と共に立ち去ろうとしながら、月影くんは静かな水面に投石でもするように、蝶乃さんに告げた。


「その噂の出所に伝えておけ。あの件については、行為に及んだ男だけでなく画策した君自身も罪に問われるのだから、枕を高くして眠っていると痛い目を見るぞ、と。総と遼のせいで彼等の口も軽くなったことだしな」


 今度こそ月影くんは踵を返したけれど、その台詞で蝶乃さんが顔色を変えることはなかったし、私にもその発言の意図は分からなかった。

 そのまま、月影くんに忠告されるがままに水道場のほうへ足を向けると、月影くんは黙々と後ろをついてきた。月影くんなら「頬を冷やすくらい一人でできる」とか言って別れそうなのに、不気味だ。ちらりと振り返ると目が合うので余計に不気味だ。


「……あのぅ、つっきー、どうかしましたか?」

「どうもしない。あの場に留まる気がなかっただけだ」

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