西篠成海は推し変させたい
 佑馬の友達の西條くんが芸能人である、と知ったのは、西條くんが遊びにきて7回目、初対面から実に2ヶ月が経過した後だった。私の中では「やたらよく遊びにくる佑馬の友達」「やたら背が高い友達」「やたらスタイルも良い友達」程度の認識だった。陰キャ大学生でゲーム以外に興味のない弟との共通点はゲームしかないけどゲームがある、だから友達なんだ、そう思っていたし、実際、佑馬は「ベアーズの大会で意気投合してさあ」と彼女との馴れ初めよろしく聞いてもない友情の始まりを語っていた。ちなみに「ベアー」とは“Bare’s TAG”の略で、何のゲームなのかは知らない。

 その西條くんが、ある日――というか7回目にうちに遊びにきたとき、キッチンテーブルに雑誌が置いてあった。その表紙にはモデルだか俳優だかが映っていて「今年のトレンドを見逃すな」とキャッチコピーがついていた。


「なにこれ、ファッションの勉強したほうがいいってこと?」


 週1ペースで遊びに来られれば弟の友達は私の知り合い、なんなら顔見知り、そんな勢いだったから、揃ってデリバリーのピザを食べる2人の前でついそう感想を漏らしてしまった。西條くんはピザを食べるために口を開けたまま穴が空くほど私を見つめていた。


「……ファッション雑誌であってるよね?」


 何か、間違えましたか?

 佑馬が「ほらね」と肩を竦めれば「……いやもはや俺の顔が認知されてないレベル」愕然と呟く。西條くんと私を前にした佑馬は肩を竦めてばかりだ。

 そんなことにしびれを切らしたかのように、佑馬はピザを持っていた手で「佐月、これ、ここ見て」とトントン雑誌を叩く。


「ファッション雑誌を汚れた手で触るのをやめることから始めるべきでは?」

「いやそういう話じゃないから。てかこれ成海のだし」

「他人のもの汚すのはどうかと思う」

「いやそうじゃなくて、これ見て」


 佑馬が(しき)りに叩く指先の、文字を目で追う。くすみカラーで大人の春を、彼女が喜ぶリンクコーデ、などなど。


「どれを見てほしいのかはっきり示して」

「顔!」

「顔?」


 佑馬の顔を見ると「雑誌の!」また雑誌を叩かれて、どうやら表紙のモデルだか俳優だかを見てほしいのだと知った。


「あー……これ、西條くんに寄ってるね」

「そうじゃない!」

「ははは、分かってる分かってる。西條くんが寄せてる、そういうことだよね」

「俺です!」


 気の利いた冗談のひとつでも、そんなつもりだったのに怒鳴り声に等しい大声のツッコミを受けて固まってしまった。西條くんはキッチンテーブルを叩きそうな勢いだった。


「……あ」


 困惑した私の口からは短い音が漏れた。


「……あ、これ、西條くんなの?」


 雑誌と西條くんを交互に見比べる。確かに、髪型は違うけど顔は同じだった。


「へー……西條くん、モデルかなんかやってんの」

「俳優だよ」

「……役者ってこと?」

「『愛の咲く島』に出てたよ」

「なんだっけそれ、聞いたことある」

「月9でやってたドラマ」

「あー、お母さんが見てたかも。え、すごいじゃん、じゃプロだ」

「その、主役」


 言い聞かせるようにゆっくりと言葉を区切った佑馬の前で、西條くんは不躾《ぶしつけ》にも「この女、本気で言ってるのか」なんて目で私を見つめていた。細切れの解説とその態度で、私はやっと理解した。


「もしかして、超有名? ごめん、私、テレビ見なくて」


 もともと、ドラマに興味はない。それが大学生になったところで変わるはずもなく、それでもって日常生活はバイト、カラオケ、ボーリング、そして授業以外にない。さらに言えば、たった1台のテレビは基本的にゲーマーの佑馬が占領していて、映画を見るとしたら気が向いた金曜日の夜だけ。そうなれば俳優に疎いのも必然だった。

 たまに佑馬とテレビを見るとき、私はいつもこう零す――全部同じ顔に見えるから、隅っこに名前を書いてほしい、と。


「ほーらね、最初に話したじゃん」


 鬼の首でもとったように、佑馬は大きく手を広げて私を馬鹿にする準備を始めた。


「佐月、芸能人に疎いとかいうレベルじゃないから、マジで俗世から隔絶されてますかってくらい知らないから、知ってるの松村《まつむら》浩之(ひろゆき)くらいだから」

「失敬な、他にも片手で数えられるくらいなら言えるわ」

「片手じゃん。てかいま『西條成海』って聞いて知らない女子いないっしょ!?」

「いないと思ってたよ、俺は」


 とはいえ、渋い顔でコーラを飲む西條くんは、サークルの男子と大差ない。


「あと佐月はマジでイケメンセンサーが死んでる」

「それはよく言われるけど納得してない」

「西條成海を知らなくても、見ればクソイケメンで芸能人ですか? って思うから普通は。てか俺は思った」

「佑馬も知らなかったんじゃないか」

「俺は男だから。あとベアーズの大会にいるとは思わないじゃん」

「西條くんはなに、お忍びでゲーム大会に行ったの?」

「芸能人も人間なんで、趣味は人並みにあるんで」


 しっかりと、これまた言い聞かせるように重い口調で言われたし、その内容はごもっともだったから、それもそうだなあ、と頷いた。


「じゃあ、これからは西條くんのインスタとかちゃんと見て、顔覚えるね」


 暗に西條くんの顔をまだ覚えていないと自白してしまった、その日の最後の会話はそれだった。
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