第四幕、御三家の幕引
「桜坂が奥さんと結婚したのは、元々は桜坂の実家のためだった。家業のためには、どうしても今の奥さんと結婚しなければいけなかった。もちろん、桜坂は最終的には納得して結婚したし、桜坂は奥さんを愛しているよ。それは本当だ」


 お父さんが、あの人と結婚した理由は知っていた。

 お父さんの実家は、田舎の老舗(しにせ)旅館だった。そう言えば聞こえはいいけれど、要は過疎化に伴い町内の活気が(しぼ)み、観光の客足も遠のいていた田舎にある、ただの古い旅館だった。今後続けていくことは望めない、いわば泥船だった。ただ、その泥船に乗り続けなければ、お父さんの家族は夜逃げするしかなくなっていた。いつ沈むか分からないその泥船に差し伸べられた命綱が、今の母親の実家の事業だった。お父さんの結婚云々の条件は最初から出ていたものではなくて、事業提携の話の最中に持ち上がったものだった。そう、聞いたことがあった。

 だから、あの人にはずっと悩みがある。本当は、お父さんに愛されてなんかいないんじゃないかということ。お父さんは家族のために結婚しただけで、本当は私のお母さんのことだけをずっと好きなんじゃないかということ。──私が現れたことで、いよいよその悩みは現実になった。

 そんなあの人の事情を、お父さんとあの人との口論から察した。


「ただ、桜坂が奥さんと婚約する少し前まで、桜坂は花枝と付き合っていた。大学二年生の時からだったから、三年くらい付き合ってたかな。大学を卒業した後、桜坂は、実家をとるか、花枝をとるかという決断を迫られて……桜坂の兄弟は、当時はまだ高校生だったからね。弟たちが大学に行けなくなるかもしれないのに、自分だけ、ただ好きなだけで花枝と付き合ってるわけにはいかなかった」

「……別に、いいですよ、お父さんが不倫した理由なんて。ゼミ同窓会で会って云々、みたいに聞いたんで」

「……そうか」


 別に、松隆くんのお父さんに正当化してもらう必要なんてない。不倫は不倫じゃん、と当時の私は思ったから。責任も取れないのに、どんな理由があったって正当化されないじゃん、と思ったから。


「……花枝は、桜坂の子供ができたことを、桜坂には言わなくてね」

「……松隆くんのお父さんに、言ったんですか?」

「……ああ」

「……なんて言ったんですか? “堕胎(おろ)したい”?」

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