第四幕、御三家の幕引
「笑ってるじゃん!」


 こっちは真剣に悩んでるんだよ、とその肩をぺちぺちと叩いて憤慨して。


「──亜季?」


 その声に、弾けるように振り返った。

 頭の中で、いつでも再生できるようで、実は思い出せなかった、その声。

 台詞も場面も、いくつも覚えているのに、実は曖昧になっていた、その声。

 私の名前を呼ぶ、声。


「……孝実(こうじ)


 愕然としているのは、相手も同じだった。きっと相手も修学旅行か何かなんだろう、友達らしき人が二人いるし、何より、平日にこんなところで遊んでいるはずない。

 あれ、馬鹿なことを考えてる……。友達がいようがいまいが、大阪にいる時点で修学旅行なのは当たり前だ。頭が上手く回らなかった。言葉が出てこない。何も考えられない。何を考えればいいのか分からない。ただ、目の前の出来事を処理できずに、呆然と立ち尽くすことしかできない。


「亜季ちゃん、知り合い?」


 彼方の声も、私を我に返らせるには足りない。相手の友達も、言葉を失った友達に困惑しているだけだ。

 この状況では、どの答えが正解なのだろう。分からずに、頭がくらくらし始めた。


「……亜季の……友達……?」


 探るような声の、馬鹿げた疑問が、彼の思考も停止していることを教えてくれた。こんなに明らかに年の離れた男の人と二人で歩いてて、真っ先に思い浮かべるのは彼氏のはずだ。それを敢えて友達かと訊くなんて、それだけで他意があると言ってるようなもの。


「んーん、彼氏だけど」


 漸く少し頭が回り始めたところで、のしっと頭と肩に重さを感じて、飛び上がりそうになった。それは相手も同じ。突然背後から腕を回して抱き着くさまを見せつけられ、ギョッとした顔になり、一瞬で視線を泳がせる。


「あ、そう……」

「そっちは? 亜季ちゃんの友達?」


 いつもの口調なのに、有無を言わさぬ重みがあった。おそるおそる、それでもじっと相手を見つめていれば、意を決したようにその目が一瞬閉じて、開いた。


「兄です」


 そして、動揺など欠片も感じさせずに、模範解答を口にする。


「妹がいつもお世話になってます」


 それはきっと、いつ訊かれても大丈夫なように用意されていた答え。


「お兄さんでしたか。これは失礼」


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